繋ぐ手 1
腕時計が12時半を指している。
碧衣のマンションの駐車場に山根玲が迎えに来るのが12時45分なので、姿見でもう1度身なりを確認する。ダークグレーの長袖ワンピースにブラックパールのネックレスという落ち着いた服装は、佳弥斗の実家にお参りに行くために選んだ。肩までのふんわり天然ウェーブの黒髪は後ろに1つに纏めて髪色と同じ黒いリボンで結んだ。
風呂敷に包んだお供えのゼリーの詰め合わせと黒革のハンドバッグを持って、ローヒールパンプスで待ち合わせ場所に降りて行く。
そこには既に山根のプレシャスブロンズの国産スポーツ車が停まっていた。車の横に笹倉鈴子が立って「久しぶりぃ」とにこやかに手を振って「こっちこっち」と呼んでいる。
「もしかして随分待たせた?」
碧衣は支度は出来ていたのだから、もう少し早く降りてくれば良かったと謝る。
「大丈夫、大丈夫。びっくりするくらい信号に引っ掛からなかったから、ちょっとだけ早く着いたのよ。・・・あ、助手席のほうが足元広くて楽でしょ」
そう言って助手席側のドアを開けてくれた。
ギプスが取れて普通に曲げ伸ばしはできるが、気遣いが嬉しくてその言葉に甘えさせてもらう。
「ありがとう」
車内の山根と津川準二にも「お久しぶり」と言葉を交わして、弔問するのに誘ってくれたことに改めて礼を言った。
「個別にお参りさせてもらうと、むこうもいちいち対応するの大変だろうからね。それに、1人じゃあのお屋敷には行きにくいでしょ?」
碧衣たちを乗せた車は、俊介が待つ和菓子屋に寄ってから佳弥斗の実家に向かうルートになっている。車内では葬儀の際の話になった。
「お葬式はさすが大企業の御曹司っていう規模で、凄い数の参列者だったよね」
「ほんとに。私もお葬式に出るのは初めてじゃなかったんだけど、あの規模にはびっくりさせられたわ。ゆっくりお別れさせてもらうっていう雰囲気じゃなかったもんね」
山根と笹倉の会話に「そうらしいね。それを聞いた時、私も動けたとしても松葉杖じゃ迷惑かけただろうなぁ、って思ったわ」と碧衣も相槌を打ちながら「それでもやっぱりお別れしたかったけどね」と、心の中で続けた。
津川も「今日はゆっくりお参りさせてもらおうよ」と会話に加わる。
「お線香をあげさせてください、って電話をかけたら、おばさんが快く了解してくれたから、葬儀の時みたく急かされることはないと思うよ」
佳弥斗と1番つき合いの長い俊介が段取りをつけてくれた。1番連絡し難い立場であろうに、橘とのやり取りを自ら率先してやってくれたのだった。
車が都内でも有数の高級住宅地に入る。高級フレンチレストランを曲がると、それが目印のように雰囲気が一変した。
「やっぱりこの辺りは格がちがうよねぇ」
感想を漏らす笹倉に同乗者も大きく頷いて、豪邸しか建っていない住宅地の風景に溜め息をついた。
そして長く続く傾斜の緩い坂を上がると、ひときわ広大な「お屋敷」の駐車場に停めた。
割肌の天然大理石を張りつめた高さ5mはありそうな塀が一切の侵入を阻むように敷地を囲み、その要塞の一角に軽く10台は停められる駐車場がある。碧衣たちはここで下車し、自分たち以外にも訪問者がいるのだな、と隣に停まっている洗車したてのようにピカピカの黒塗り高級車を見て思った。
時代劇に出てきそうな威圧感半端ない数寄屋門で来訪を告げると、それを潜ることを許され、日本庭園を堪能するように続く石畳を歩く。
これが都内の風景かと疑いながら進むと、漸く寄棟造りの瓦屋根が広がる日本家屋が見えてきた。
「ホント、凄いとしか言いようがないよね。さすが、天下の橘商事だわ」
山根が隣を歩く津川に囁く。
「佳弥斗、結局1人暮らしせずにここから通学してたもんな」
「大学にいるときは全然、御曹司っぽくなかったけど、やっぱり別世界の人間だったんだね」
「あら、大学にいるときも、やっぱり御曹司のオーラは半端なかったけど?どれだけの令嬢がその隣を狙っていたことか」
山根と津川の会話を黙って聞きながら、そんな佳弥斗に告白した碧衣は「身の程知らず」なことをしたのだと、今更ではあるが痛感したのだった。
そして今日一緒にここを訪れた友人たちは碧衣がその殿上人に告白し、成就したことを知っている。それは碧衣の淡い初恋であり、決して将来を約束するようなものではなかった。それでも、ほんの数時間の(仮)恋人であったのだ。
どれだけ「身の程知らず」と思われても、絶対にあの数時間を無かったことにしたくない。
ー私は佳弥斗くんの(仮)でも、間違いなく恋人だよ。
片割れだけになった繊月の巫の埋められない寂しさに心を寄せる。
目の前で炎に包まれた恋人と、「アイシテル」と告げて目の前から消えた想い人。
石畳を歩きながらそれ以上、前を歩く2人の会話は耳に届かなかった。
数寄屋門のインターホンに応対してくれたお手伝いさんが玄関の格子状の扉を開けて迎え入れてくれた。
自分たちの母親より年配の上品な女性が「どうぞお上がりください」と言ってから、仏間まで前を歩く。幅が広く長い回り廊下を歩きながら、そこから見える立派な庭に目を遣ると、玄関前と同じ和風の庭が広がっている。年月を感じさせるほど苔がついた石が点在していて、庭師が手入れを怠らない松や紅葉、さつきが美しく白川砂利に映える。
木々の隙間から庭の奥に洋館が見えた。碧衣の視線がその英国風の建物に向いているのに気付いた俊介が「お兄さん夫婦の住まいだよ」と耳打ちしてきた。
「こちらでお待ちください。奥様もすぐに来られます」
年配のお手伝いさんはそう残して部屋を出て行った。
通された仏間は24畳の和室で雪見障子や目透かし天井に広い床の間がある。
そして何と言っても仏壇の大きさと豪奢な作り。鏡のように磨かれた漆塗りの本体に、内側は金箔を押して眩しいほど輝いている。御本尊の金色仏像は優しく微笑んでいるように見える。
碧衣たちが正座してー碧衣はまだ正座ができないため、片足を前方に伸ばした格好であるーその仏壇に圧倒されていると、佳弥斗の母親がやって来た。
碧衣より幾分背丈が低く、ふくよかな体型である。ほぼ黒のスーツを着て、ショートヘアは乱れることなく美しく整えられている。いかにも「大企業の創業家を預かる女主人」という風貌だ。
「今日はみんなで来てくれてありがとうございます。佳弥斗も喜んでいるでしょうから、どうぞゆっくり参ってやってください」と畳に手をついて頭を下げた。
学生の頃に1度来たときは「冷たそうで怖そうな母親」という印象だったが、目の前の母親は正反対である。あまりの違いに、碧衣は引き攣った笑顔を返してしまったほどだった。
順番にお参りさせてもらっている間に先程とはまた別の30代くらいのお手伝いさんがケーキとコーヒーを運んできた。
全員が線香を上げ終わると、離れた所で静かに正座をしていた母親が碧衣に声をかける。
「如月さん、渡したい物があるから一緒に来ていただけるかしら」
ーえ?私だけ?
そう思って俊介たちを見渡すと、「俺たちはここで待ってるから」とにっこりしている。




