忘れない 7
ホテルラウンジで触れ合って以来、接することがなかった2人がついにお互いを意識し始めます。
ブライダルフェア2日前に会場の設営と搬入がある。会場がホテルのため、短期間で準備を終えなくてはいけない。
その前日には直紀の退院1か月の診察で病院に行くという予定も入っている。診察日前夜、ギリギリで全ての作業が終わり、フェアまでに休めるのはこの1日しかないために、直紀の診察日を 「TO-J」の休日にした。
スタッフ全員、フェアに向けて体力を全回復するように、と言い渡した。
さすがに疲れ切った直紀も早く家に帰りたい。外食をせずにコンビニで焼きサバのおにぎりと蒸し鶏のサラダ、マカロニサラダ、レトルトのハンバーグなどを買って食卓に並べる。
『今夜は種類が多くて好ましいですね』
覡はすっかり直紀の食事監督になっている。
ここ数日は外食する時間すら惜しくてカップ麺と菓子パンが続いたので、コンビニ飯とはいえ、食事監督からハナマルをもらうことができた。
冷蔵庫から炭酸水とグラスを持って来て夕食を始める。
(このブライダルフェアが終わったら、ホテルで会ったあの女性を探そうと思ってる。お前もオンナミコ様に会いたいだろう?)
『はい。繊月の巫様はとても優しい神子です。ワタシが後を追って下界に降りたことを知って、おそらく一緒に天界に戻らねばならないと思っているでしょう・・・ナオキどのには伝えていませんでしたが、実は天界には番でなければ帰れないのです。つまり、ワタシひとりで天界に帰ることはできません』
「えっ!?」
思わず言葉に詰まる。
(じゃあ、もしオンナミコ様が「帰らない」って言い張ったら、お前もこっちで消えるのか?)
直紀は食べる手を止めて炭酸水の泡に目を奪われた。グラスの中で小さな泡が水面に向かって上がり…消える。
『そうなります。・・・ですが、ですが繊月の巫様は本当に優しい神子なので、ワタシが消滅することを望まないはずです。絶対に…です。ただ、覚悟を持って下界に降りた巫様の胸の内を察すると、それが是なのかわからなくなるのです』
これは思っていた以上に複雑に感情が絡んでいるなぁ。覡に頼りにされている分、責任重大だと痛感した。直紀は頭の中で整理する。
繊月の覡は巫と一緒でなければ天界に帰れないし、そもそも連れて帰るために後を追ってきた。
巫は先代の覡を下界で消してしまった責任を感じて、同じように消えるために降りて来た。
覡が追ってきたものだから、一緒に帰るしか覡を救う方法が無い。
(オンナミコ様はお前と天界に帰って幸せに暮らせるのか?)
覡からの返答は…ない。分からないのだろう。
(とりあえず会わなきゃ始まらないな。お前たちがこっちにいられるのは何日間だったっけ?)
『354日間です』
「354日間……」と言って、カレンダーを数え始めた。
(7月19日だ。まだ日にちがあるから、まず1度会って話をするのが必要だろうな。いきなり「一緒に帰りましょう」ではなく、オンナミコ様が天界に戻っても幸せでいられるよう考えるのも連れて帰るお前の役目だから、とことん話し合うことが大切だと思う。相手の想いに耳を傾けることは本当に大事なことなんだ)
直紀は自分が環の話を聞いてやらず、彼女を追い込んでしまったことが悔やまれてならないのである。だから覡には同じ轍を踏まないよう伝えた。
『わかりました。巫様は優しいので、ご自分の話をしないかも知れませんが、想いをちゃんと聞きます』
ブライダルフェアが終わったら出来る限り早く、入院中に事情を聞きに来た警察に行くことを決めた。
翌日は退院1か月の経過を診てもらうため病院へ行くが、この1か月はあっという間だったと振り返りながら受け付けをする。
退院後暫く続いた胸の痛みも殆ど気にならない程度になり、頸部、右肩と右前腕部の縫合跡も綺麗になってきていると言われた。
ただ、左眼の視力低下は依然残っており、検査しても原因は分からなかった。細かい作業が多いので、左右の視力差が大きいのは不便だし、疲れるため少々ストレスを感じるが、原因が分からないので仕方ない。
ー眼鏡でも作るか…。
そして翌早朝から怒涛の5日間の幕が開いた。
ERABLE HOTEL 3階のピーコックホールに次々と展示備品や舞台用小物、花々が運び込まれ、照明機材と音響装置の調整が行われていく。多くのエンジニアとスタッフがごちゃ混ぜになり、首から下げたネームホルダーが色分けされていなければ、誰に声をかければよいか判断できず更に混乱しただろう。
直紀と「TO-J」スタッフの藤原心春は初日に催すファッションショーのモデルたちとアクセサリーの確認をしている。衣装デザイナーの佐田から変更要求されたジュエリーの長さも満足できる仕上がりだ。
今回は大々的にプレリリースを行ったため、初日は多数のメディアが来場することが確実視されている。そちらはスタッフの佐竹亮平の担当だ。
そしてフェア開催中はベテランクラフトマンの秋元登治、洋子夫妻が雅孝と共に不具合がないかチェックすることになっている。
営業スタッフの川田ありさは当日、注文依頼が入っても対応できるようパソコンのキーボードを叩きながら画面とにらめっこ中だ。
「TO-J」のスタッフと専属クラフトマンが総出で各自の持ち場を確認しているのを見て、直紀はどうしても環がいない現実をここでも突き付けられて胸が苦しい。
今回のように大きなイベントでは、離れていても会話ができるよう身内のメンバーは共通のインカムを耳に装着している。そこから環の「こっちはオッケーです」という疲れを吹き飛ばすような明るい声が聞こえてこない寂しさは、「TO-J」スタッフとクラフトマン皆が感じていた。
「こっちはオッケーでぇす!」と1番若い川田の元気な声がいきなりインカムから聞こえて、直紀はびくっとした。彼を元気付けるために若いスタッフが気を使ってくれたことが有り難くて、「りょーかい!」とこちらもいつも通り張り切って返した。
そんなこんなで準備の2日間、フェア開催の3日間が嵐のように過ぎたのだった。
人気モデルが新作のドレスとジュエリーを身に纏うとあって、メディアと一般来場者が予想より多かった。そして大手百貨店から「TO-J」のイベント開催依頼もあり、会社としても上々の出来だといえる。
最終日を無事に終え、ホテルのイベントスタッフと「オサム サダ」の面々との挨拶を済ませてから「TO-J」関係者をスタッフルームに集めた。
「明日、撤収後、ホテル最上階集合!」
直紀の一声で皆の顔が綻ぶ。イベント後の慰労会は彼のポケットマネーで豪華に行うのが常である。
この「打ち上げ」が終わって漸く「イベント終了」となるのであった。
翌朝、眠い目を擦りながら撤収のためにホテルに行くと、ピーコックホールの前のソファにあの女性が座っていた。今日はギプスも松葉杖もない。
そして直紀の姿を見ると立ち上がり、一礼してから品の良い笑みを向けてきたのだった。




