忘れない 4
繊月の覡は直紀の中で、彼が妻を失い胸が張り裂けるほどの苦痛を感じ取ったことで、繊月の巫も先代の覡を失った悲しみと苦しみは、直紀のそれと同じだろうと自得していた。
繊月の巫が先代の覡を想って後を追って消滅したい、という願望と強固な意志を否定しても良いのだろうか。あの心優しい巫のことだ。自分を追いかけて下界に降りて来た若い覡を天界に帰らせなければ、と考えるであろうことは想像に難くない。
ただ、その若い覡のために天界に帰った繊月の巫はそれこそ「魂が抜けた状態」で寿命が尽きるまでの400年を過ごすことになりはしないか?
「一緒に天界に帰ってください」と頼むだけでは足りない。巫が天界に帰っても幸せでなければ連れて帰る意味がない。
繊月の覡にとって番の巫は母のような存在である。それは先代の覡の想いとは違うが、どちらも「愛」だ。
だからこそ追いかけて降りて来たのだから。
直紀が「作戦を練ろう」と言ってくれた。大御神から「生」をもらってまだ日が浅い覡よりも、彼のほうが妙案を思い付くかも知れないと望みを持っている。
直紀の描くジュエリーのデザインは繊月の覡の興味を大いに引いた。ケント紙に色鉛筆と水彩絵の具で描いたり、ツアーボックスとパソコンを使ってデジタル処理をしながら描いたりするのだが、どちらも美しく仕上がっている。
天界にはこのようなアクセサリーはないが、巫たちが腰まである髪を束ねるリボンに付けたら素敵だろうなぁ、などと頭に浮かべ、天界に何一つ持って帰れないことが残念で仕方ない。
『天界の巫たちのリボンにナオキどのが描くような宝石をつけることはできないのですが、天界に帰ったら巫たちの土産になるような何か良いアイデアはないでしょうか?』
パソコンのモニター画面に映し出されているペンダントトップのデザイン画を見ている直紀に尋ねてみた。そして、ツアーボックスというゲーム機のコントローラーのような形の機器から一旦手を離して両手を組んで考える。
(そうだなあ…。ジュエリーを持って帰れないんだったら、例えば飾りを付けなくてもリボンの結び方を工夫するとかは?神子様たちは工夫してるのか?)
『巫たちは皆、長いリボンを蝶々結びにしているだけです』
それを聞いた直紀は「それならば」と呟いて、仕事には使っていない別のノートパソコンを開き、女性の後ろ髪の多様な髪形とリボン結びの画像を出してきた。
繊月の覡が前のめりになって、彼の目を通して見入っているのが分かる。
『ほう…。美しいですね』と感嘆の声をあげた。
(天界に持って帰ることはできないだろうけど、結び方を覚えて帰れば良いんじゃないか?)
持って帰る…何か良い方法はないものか、と繊月の覡は身に纏っている白衣と袴を見て、この腰紐で練習はできるが、できればいろんな結び方をそのまま持ち帰りたいと欲を出す。「そうだ、この袴を裂けばリボンが作れないか?」と閃いたが、「神聖な衣を裂くなど、なんと罰当たりな!」と瞬時に反省するのだった。
(お前に覚える気持ちがあるなら、時間が空いているときは手順が分かる動画を見てやるよ)
『ありがとうございます。もう少し時間があるようですので、是非、お願いします。天界の巫たちを喜ばせたいので』
下界で過ごす時間がどれくらいあるのか定かではないが、この貴重な経験の期間を無駄にしないよう、可能な限り知識を吸収して天界に持ち帰ることを与えられた役目にしようと自分で決めた。
そして、神子の「記憶スキル」を最大限に使って覚えようと腰紐を締め直して意気込んだ。
翌日、クラフトマンの雅孝も交えて、ブライダルフェアに出展する作品の変更事項についての打ち合わせをしている。
衣装デザイナーの佐田修からマーメイドラインドレスのデコルテを飾るネックレスを10mm下げて欲しいと要請があったのだ。
たかが10mm、されど10mmである。10mm下げることによってパーツの数が変わり、イメージも随分違ってくる。今回選んだネックレスのデザインは、胸の中心から外側に向かって広がる「シャワータイプ」と呼ばれるもので、直紀たちが発表する予定のジュエリーの中からドレスに合わせて既に調整済みになっていたのだ。
「デコルテラインはこれ以上変えたくないよなあ」
「チェーンの長さを変えると、全体が重く感じられるから触りたくない」
など、スタッフの意見が飛び交う。嘱託のデザイナーも参加しているため、なかなか妥協点が見つからずに時間ばかりが過ぎていく。
しかし、これは珍しい光景ではないのだ。こうやって意見を出し合いながらも終着点を見出して、結果満足できるものになれば良い。
現在、佐田はニューヨークの事務所にいるため、ウェブでのやり取りになっている。
「オサム サダ」は新作ドレスの発表なので力が入っているのだが、「TO-J」も同じく新作発表なので簡単に「じゃあそうしましょう」とはならない。両者意見と提案を出し合いながら、お互いが納得できるよう話を詰めていった。
結局、この件に関してはネックレスのビジューの数を調整することで「TO-J」側が折れる形になった。
「雅さん、ここ弄ってもらうの悪いけど…」と、いつもながら雅孝の仕事を増やしたことを謝るが、「いいよ。プリンセルラインのほうはこっちの変更依頼に佐田さんを振り回したんだから」と笑った。
その後は「TO-J」のスタッフと雅孝で追加するジュエリーを選び、展示場所と首トルソーの並べ方をデジタル画像で確認していった。
9月に入ると11月下旬から始まるクリスマスジュエリー、年明けから始まるバレンタインジュエリーのイベントに向けて目が回る程忙しくなる。有り難いことに「TO-J」はここ数年で若者の憧れのジュエリーブランドに格上げとなったため、イベントに関係なく注文が入ってくる。
デザイン画と試作品、完成したジュエリーをどの場面で発表するのか、ホームページのトップにどれを載せるのか…。それ以外に宝石の買い付けもある。
スケジュール管理する秘書の役割りを担っていた環を失ってからは、スタッフが一丸となって、スケジュール通りに業務が運ぶよう打ち合わせの回数が増え、会議の時間も長くなっている。確実に負担が増えたのだが、誰も不満や弱音を漏らさない。直紀は申し訳なさと感謝の気持ちで、いつまでも環の死を引き摺ってはいけないと思った。
本日のミーティングが終わったところで丁度定時だ。翌日の仕事を確認して皆、帰って行った。




