碧衣 事故前 3
大学で顔を合わせると授業や演奏会などのイベントについて情報を共有するようになり、佳弥斗たちと共通の友人も増えて、グループの1員として認知され、賑やかで忙しいキャンパスライフを満喫したのだった。
碧衣は個人で利用できるレッスンルームに籠ることが多く、佳弥斗と俊介もそこで彼女の練習を聴きながら楽譜を読む課題に取り組むという時間が度々あった。
そして各々のタスクが終わると、決まって『桜小路作品』の魅力を語る会が始まり、そのミステリーの世界にどっぷり浸って楽しんだ。
俊介は佳弥斗とは幼稚園の頃から通っているピアノ教室が同じだった縁で、友達として付き合いが長い。友人である佳弥斗が『桜小路ワールド』に嵌ると、当然のように俊介も影響され、気が付けば沼に落とされていたのだ。
碧衣が気を使わずに佳弥斗と話せるようになった頃、熱狂的なファンとして佳弥斗と俊介を父に紹介したいので、家に連れてきて良いかと聞いたら「ぜひ」と快諾してくれた。
大学から途中で電車を乗り換えて30分ほどの住宅街に如月邸がある。敷地は大人の背丈ほどの板塀に囲まれ、庭に2階の屋根に届きそうなトネリコやヤマボウシが数本木陰を作り、その足元には四季折々の花が楽しめるよう計算されて植えられている。築年数が経っている洋館ではあるが、外から見ても丁寧に手入れされていることが窺われるほど美観を保っていた。
翌週の日曜日は、『桜小路恭介とミステリー小説の読み方』という雑誌のインタビュー取材が昼前に入っているだけなので、少し遅い昼食になっても構わなければ、と2人に声をかけた。
「碧衣ちゃんを利用するようで悪いけど、どうしても桜小路先生に会いたいんだ」
恐縮する佳弥斗に碧衣は心の中で、「こんなことで佳弥斗くんの役に立てるならどんどん利用して」と他の女子が知ったら悔しがる状況に浮かれていた。
7月の薄暑の中、佳弥斗は濃いグレーのカットソーをざっくり着て、白のタンクトップを裾からアクセントに出している。黒のスラックスで脚がより長く見えた。
一方の俊介はネイビーストライプの半袖シャツと濃紺のチノパンを合わせている。カジュアルな佳弥斗と少し硬めの俊介。いつもは逆のコーデを見ている所為か今日は新鮮なのだが「結局イケメンは何を着てもカッコよくなるんだ」と結論づけた。
当日は汗ばむほどの気温にはならなかったので最寄り駅まで迎えに行った碧衣と一緒に10分ほどの距離を街並みを眺めながら歩いた。
「車出すって言ったのにぃ」とそれが当然のことのように言う碧衣に俊介が「これくらいなら歩かなきゃ運動不足になる」と年寄りじみたことを言う。とは言え、多分気を使ったのだろう。彼女も決して運転に自身があったわけではないので、遠慮してもらって正直助かったのだった。
佳弥斗は銀座の百貨店でオープストブロート(ドライフルーツをふんだんに練り込んだパン)とブリオッシュ・ア・テット(円形の土台の上に頭が乗っているような形のパン)を、俊介は実家である老舗和菓子屋「小倉堂」のあんみつと金魚の型抜きが入った錦玉羹の詰め合わせを手土産に持ってきた。
2人が用意したものは碧衣と友人になるキッカケになったTSUTORA書店でのサイン会で父にプレゼントした品であり、「美味しい」と喜んだことを伝えたので、今回も同じカテゴリーで選んだらしい。
外から見た如月邸は年代を感じるが、家の中は壁や床がまだ新しい。碧衣が中学生の時にアップライトピアノからグランドピアノに入れ替え、それと同時に防音工事も含めたリフォームをしたのだ。
マントルピース暖炉がある30畳のリビングに通された佳弥斗たちは、壁に飾られている10枚の絵に気付いた。それらはハガキ大からA4サイズの画用紙やスケッチ用紙にカラフルな蝶や芋虫、美味しそうな菓子などが描かれており、きちんと額装されている。
カランカランと涼しげな氷の音をさせながら運んできたアイスティーをガラステーブルに置いて、碧衣が「兄の作品なのよ」と言い、兄の旭陽は4つ年上で絵本作家、飾られている絵はその絵本に描かれた原画であると説明した。
リビングにはグランドピアノが置かれ、ピアノと暖炉の間には大理石が敷いてある。ピアノの横にアッシュグレーの革製ソファセットとアイスティーが置かれたガラステーブル。壁際には年代物の民芸家具が並んでいる。
リビングに続いてダイニング、その奥にキッチンという間取りになっている。
そのダイニングで母と碧衣が昼食の配膳をしている。大きなダイニングテーブルの中央に庭から切ってきたカスミソウとダリア、ガーベラを飾り、カトラリーを並べていく。
そうしながらも佳弥斗と俊介をチラチラ見て、(我が家にこの2人がいるなんて夢みたい)などと考えて口角が少し上がった。
子羊のロースト、スティックサラダ、果肉と果汁の2層のトマトゼリー、冷製ビシソワーズという献立は初夏にピッタリで涼しさを演出していた。
玄関のほうで雑誌記者が「本日はありがとうございました」と挨拶する声が聞こえた後、「いらっしゃい」と言いながら父の泰道がリビングに現れた。
壁の原画を見ていた佳弥斗と俊介が憧れのミステリー作家の登場に緊張して、「本日はお招きいただき、ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をして自己紹介をしている。
父は佳弥斗たちより5㎝ほど背丈が低いが、健康のために長年続けているジム通いの甲斐あって、筋肉を纏った体躯は彼らより寧ろ大きく見えた。ボルドー色のレネックTシャツの上に羽織っていたダークグレーのサマージャケットを脱ぐとその厚い胸板が分かる。
記者が帰ったので取り敢えず佳弥斗たちに声をかけるためにリビングに顔を出したが、挨拶を交わすと「着替えてくる」と告げて出て行った。しかし、次にリビングに現れたときはサマージャケットが消えた以外同じ格好だ。
父がダイニングテーブルの配膳状況を見て、もう暫く着席するまで時間があると判断して訪問客2名をソファに誘った。
「新作のサイン会にきてくれたんだって?」
父のその言葉をきっかけにして、その時を待っていたかのように佳弥斗も俊介もアイスティーを手に持ったまま、新作の『殺人鬼はじゃんけんがお好き』の感想を熱く伝え始めた。
「新作が出るたびに『今度こそはじっくり時間をかけて味わおう』と思って読み始めるのですが、結局一気に読んでしまうんです」
俊介が「お前もそうだろう?」と佳弥斗に同意を促すと、大きく頷く。
「まさかあの場面でじゃんけんを迫るとは予想できませんでした。ひと息つくならあの幕間なのに、先が気になって気になって、僕も一気に読んでしまいました」
それから暫く、どこが素晴らしかったとか、あれは見抜けなかった…などと話し、父も嬉しそうに目を細めて若い2人の感想に耳を傾け歓談していた。
食事中はキャンパスライフや定期演奏会の様子、ボランティア活動の一環としてグループで病院や老人施設に出向いて演奏していることなどが話の中心になった。
母と碧衣が、くり抜かれたメロンを器に、メロン、キウイ、イチゴ、ブルーベリー、フランボワーズを入れたフルーツポンチをデザートとしてテーブルに並べ終えたまさにその瞬間、電話が鳴った。




