神子が来たワケ 4
* * *
「久しぶりに長時間の外出で疲れただろう。少し横になるといい」
兄の旭陽と一緒にホテルから帰って、臨時につくられた1階自室のベッドに腰を下ろした。
ERABLE HOTEL まで旭陽の車の後部座席で脚を伸ばしていたが、ホテルでは松葉杖を使っていたために脇の下が痛いし、下半身が浮腫んでいる。
ギプスが巻かれた左脚をオットマンに乗せた。膝下からギプスが巻かれているので、その重さもあってなかなか辛い。太腿を揉み解すと気持ちのよさに思わず「んん~」と声が出る。
少し痩せた脚とギプスとの隙間を眺める。もう暫くこの固い覆いのお世話にならなければいけないのかと思うといい加減気が滅入った。
「これが外れたら佳弥斗くんのお宅に行かなきゃ」
独り言ちる。
あの悍ましい事故が実際より昔のことのように感じるのは、悲しみを和らげようとする防衛反応だろうか?決して忘れてはいけないことなのに心が痛んだ。
退院して自宅のピアノを毎日弾いていると、「佳弥斗くんは死んでしまって、描いていた未来が断ち切られたというのに、自分はこうやってピアノを弾いたり、家族と笑い合ったりしている。佳弥斗くんに申し訳ない」という後ろめたい気持ちで押し潰されそうになる時間がある。
母が「暑くなかった?レモネードを作ったから飲むとスッキリするでしょ」と、母特製のキンキンに冷えたレモネードを受け取った。
「ありがとう。ギプスがあると蒸れて、脚だけじゃなくて全身汗まみれよ」
唇に当たる氷の冷たさが心地よい。半分だけ飲んだらベッドサイドテーブルにグラスを置いて、ホテルで手に入れたあのイベントのチラシをバッグから取り出した。
『オサム サダ & TO-J ブライダルフェア』が9月21日から3日間、 ERABLE HOTEL 3階 ピーコックホールで開催、とある。チラシの裏面には2人の男性のモノクロ写真が載っていて、若いほうのイケメンがホテルで接触した男性だ。
ー東条直紀、34歳。 TO-J の代表でジュエリーデザイナー…か。
この男性からも同じように神子の声が聞こえたということは、自分と同じ運命を辿っていることを意味するのだろう…と感得した。
(センゲツの神子様、ホテルであったこの男性に会いに行きましょうか?)
「東条直紀」のモノクロ写真を見ながら繊月の巫に声をかけてみる。
ホテルでの巫の様子は明らかに尋常ではなかった。そして狼狽えたように独り言を繰り返した後は一言も喋っていない。
碧衣にはまだ聞かされてないような深い事情があるのだろうと察することができるので、巫が何か話してくれるまで静かに待っている。もしも、自分が巫のために役に立てることがあれば、きっと話してくれるだろう。
繊月の巫からの言葉を待つ間、ホテルで起こったことを振り返り、こんな身近で別の神子に会えたのは奇跡なのか?と思った。神子だって天界と下界を簡単に往来できないだろう、と思っていたのだが、それは碧衣の勝手な思い込みで案外他にも「神子持ち」の人間がいるのかも知れない、と考えた。
『いいえ、天界から降りて来たのはワタシとあの繊月の覡だけです。・・・もしかすると、まだ先代の繊月の覡がどこかにいるかも知れませんが、先代の覡とはもう会うことはできません』
碧衣の推測を聞いて、繊月の巫が漸く口を開いてくれた。それでも、神子の声はどこか寂しそうだ。
(先代のセンゲツのオトコミコ様はもう天界に戻られたっていうことですか?)
『いいえ。・・・あの覡は、自らを消滅させるために下界に降りたのです。神子が下界で存在できるのは354日間だけ。後2朔望月、つまり50日余りです。・・・もう消滅しているかも知れません。覡が抱いて降りた光霊はかなり暗いものでしたから、354日を待たずしてその者の寿命が尽きている可能性が高いでしょうね』
「自らを消滅させるため」とは?自死?何か罪でも犯した?神子が?それとも……。
ある程度天界や神子のことを理解したつもりになっていた碧衣は、まだ知らないことがたくさんあって、それを知ることが許されるなら教えて欲しいと思った。
(センゲツの神子様が私の中にいるのは、あと300何日かと仰ってましたよね。それは、その日が来たら当然天界にお帰りになるのだと理解しているのですが……違うのですか?)
サイドテーブルに置かれたグラスの氷が少し溶けて、カランと音をたてた。
『ワタシは先代の覡と同じように、下界で消滅するために碧衣の光霊を抱いて降りてきました』
息を呑んだ拍子に思わず声を出しそうになった碧衣は、手の平で口を塞いで(そんな…)と心の中で呟いた。
静かに、そして切ない声で語る繊月の巫の告白が碧衣には重過ぎる。
何か訳アリだろうとはうすうす感じ取っていたが、消滅・・・つまり死ぬために下界に降りた神子と、それを引き換えに生き返った自分。
(聞かせていただきたいです。先代のオトコミコ様のこと。ホテルで会った神子様のこと。そして、センゲツの神子様が考えてらっしゃること)
知らなければ何もできないし、自分の中に神子がいる以上、自分が知ることは許されるはずだし知る必要があると訴えた。
『そうですね。ワタシもアオイには知ってもらうべきだと思います。天界で大切な役目を担う神子として、ワタシがどれ程情けなく恥ずかしいことをして降りて来たか。・・・聞いてください』
途中で母が様子を見に来たりして巫の話を中断されたくないので、「疲れたから少し寝る」と告げて扉を閉めた。
(これでセンゲツの神子様のお話をしっかり聞くことができます)
『では……』と言って、先代の覡と想い合い、門の広場の白い蝋燭前で寄り添い、語り合った日々のことから話し始めたのだった。
『本来、神子は番になっても想い合うことはなく、単なるパートナーとして一緒にお役目を果たすように創られているのです。ところがワタシと覡は互いに愛おしく想い合うようになってしまったのです。もちろん、そのことで咎められたり罰せられたりしません。許されることです。ですから、ワタシと覡も寿命が近づいて下界に降りるその日まで、想い合ったまま仲良く寄り添って過ごせるものだと思っていたのです』
繊月の巫の声が甘いものに変わってくる。
(センゲツのオトコミコ様はどのような方だったのですか?)
うふっと巫が照れたように息を吹いた。碧衣は巫が頬を赤く染めているのだろうな、と頭の中でその様子を想像してみる。
『巫たちと覡たちはそれぞれ背格好がほぼ同じなのです。巫は顔つきと腰まで伸びる黒髪をひとつ結びにしているリボンの色で見分けます。覡も顔と短くしている髪のスタイルで誰なのか分かります。繊月の覡は二重の切れ長の目で、それはそれは格好良いのですよ。口数が少ない神子ですが、光霊に捧げる祈りの声は優しく、とても美しく響きます。ですからワタシも覡の声と調和するよう努めて美しく聞こえるよう祈りました。他の神子たちからも「繊月の番の祈りは自分たちも浄化されているよで、聴き入ってしまう」と褒めてもらった程でした。門の向こう側に繊月の覡がいるだけで…祈りの合間に視線が合うだけで寄り添えない当番日も覡を感じることができたのです』
巫の語りは、下界だと「ごちそうさまです」と言いたくなる程の惚気である。
「本当に仲が良かったんだなぁ」と羨ましくなるくらいに。




