天界 4
それから5日後の上弦の月の日に、繊月の巫は再び朔様の間に来るよう言われた。
まだ繊月の覡の姿を無意識に神子たちの中に探し、いつも寄り添っていた白い蝋燭前に覡がいないかつい見てしまうが、表面的にはすっかり騒動前の巫に戻ったように見える。
そんな繊月の巫は今日呼ばれた理由が、新しい繊月の覡が生まれて番になるよう宣言されるのだと承知していた。
薄紅のカーテンを抜けると、まだ若い覡がぽつんと立って、巫が入って来たことに気付いてこちらを向く。ぱっちり目に愛嬌のある団子鼻。なんとも可愛らしい。
神子は500年ほどを生きるが、見た目に殆ど老けない。生まれて暫くはあどけなさが残るが、神子として役目を務め始めるとすぐに他の「大人の神子」と同じ面構えになる。
繊月の巫はまだ生まれたての覡を見て「初々しいなあ」と、優しく微笑んだ。それは母が息子に向ける眼差しに似ていた。
若い覡は番になる巫が向けてくれた笑みに顔をこわばらせながらも、精一杯の笑顔を作って丁寧にお辞儀をする。
新たにできた番と言葉を交わそうとしたとき、朔様が薄紅のカーテンから現れて、「もう顔合わせの挨拶は終わりましたか?」と聞いた。
「いえ、挨拶は今から…」と言って覡を見ると、まだ慣れない朔様にすっかり緊張して固まり、目線だけを巫に向けている。そして「何といえばよいでしょうか?」と眉をハの字にして助けを求めているのだ。
ーあらあら、カッチカチじゃない。
繊月の巫が覡と向き合うように移動して、優しく声をかけてやる。
「ワタシがこの時からアナタの番になる繊月の巫です」
「ワタシが繊月の覡のお役目をいただきましたので、今日から番としてご指導よろしくお願いします」
若い覡の指先が小刻みに震えているのを見て、巫は自分から握手を求めた。
ー私が初めてここで覡と会った時もこんな風に緊張で震えていたんだったわ。覡はそんなワタシを見て、『初々しい』とか『可愛いなあ』なんて思ってくれたのかしら。
当時を振り返ると恥ずかしくなる光景も懐かしく、胸を熱くするものに思える。
今、目の前にいる覡は迷わず出された手を両手でガシッと握り、若いというよりも幼い顔でニコリと歯を見せて笑った。
「繊月の巫と新たに召された覡よ。この時から番となり、大御神から仰せつかった任を果たすように」
朔様の威厳に満ちた声が天界に響き渡る。その声は門の広場にいる他の神子たちにも届き、新たな番が誕生したことを認めて歓声が沸いた。
朔様が覡に「こちらへ」と手招きして呼び寄せ、覡の肩に手を置いて彼にしか聞こえないような小さな声で耳打ちする。
「当番日に巫から決して目を離さぬように。少しでも違和感を覚えるようなことがあれば躊躇わずワタシに急報しなさい」
朔様のその耳打ち行為が繊月の巫には奇妙に映ったが、「何を話しているのですか」などと詮索する立場ではない。繊月の巫がまだ精神的ダメージを克服できていないので、きっと「巫を元気づけてやってくれ」とか何とか、そのようなことを言ってくれたのだろう、と自分なりに解釈するに留めた。
再び若い覡が巫の隣に戻って、番が並んで膝を床につき、軽く頭を垂れて朔様を見送った。
顔を上げて互いに見合うと緊張が解れたのか、覡の頬に赤みが差している。
「では、門の広場に参りましょうか」
この日の当番は上弦の月神子なので、彼らは持ち場を離れることはできないが、それ以外の神子たちが新しく仲間入りした若い覡を早速取り囲んだ。神子たちは容赦なく覗き込み、白衣に触れ、繊月の覡は完全な「見世物」状態になり、再びカチカチになってしまったのだった。
「あっという間に顔つきが変わるから、今の間に見とかなきゃ」
「白衣も袴もまだ身体に馴染んでなくて新鮮な感じ」
「尻尾の毛が艶々!羨ましい!」
等々、好き勝手に言って場を和ませ、この雰囲気に早く馴染めるようにするのも新しい神子を迎える先輩神子たちの役目であった。
繊月の覡は「よろしくお願いします」と頭をぺこぺこさせながら挨拶して回り、その姿を少し離れた所でその番の巫が見ていた。
「平常に戻ったわね」と隣の十六夜の巫が温かく迎えられている若い覡の様子を眺めながら安心したように言った。
「そうね。これで良いのよ。天界で何が起ころうとも、ワタシたちは下界から昇ってくる光霊を門に導かなきゃいけないんだから。あの覡のことはワタシが憶えていれば良いことよ」
繊月の巫が覡との思い出を宝箱に入れて鍵を掛けるように、右手を白衣の胸元に当てた。そして十六夜の巫に「もう大丈夫よ」と笑みを向ける。
両手をパンッと音を立てて合わせ、「さぁて、新入りの覡を一人前にするわよ」と久々に生き生きした表情で十六夜の手を引いて、賑やかな集団に加わりに行った。
「天界について粗方のことは朔様から聞いてると思うけど、確認も含めて教えてきますね」
大御神から生を受ける際、この天界についての基礎知識は大体刷り込まれているが、実際に見て回ることで天界という場所がいかに神聖な空間であるかを実感するのだ。
天界では「メモを取る」という作業は存在しないため、教えられたこと、頼まれたこと、伝えなければいけないことを全て覚える必要がある。もちろん何度聞き返しても構わないし恥ずかしいことではないが、皆1度で覚える「スキル」を身につけていた。
「はい。よろしくお願いします」
「天界には朔様の間、門の広場、清浄の間、そして煉獄の池があります」
繊月の巫が若い覡を伴って、それぞれの場所で説明していく。
まず最初に向かったのは、先程初めて顔を合わせた朔様の間。
目の前に掛かっているカーテン、今は薄紅色をしている。この「薄紅」という色は今の朔様が好む色で、そのときの朔様によって変わることになっている。
そして、カーテンは朔様の間の出入り口と反対側の2か所に掛けられている。朔様はこの部屋で祈りを捧げながら、いつ何時でも大御神から御言葉を賜れるよう控えているのである。
次に透明感のある藍緑色の蝋燭で円形に囲まれた清浄の間に案内した。この空間を囲む蝋燭だけは床すれすれの同じ高さで宙に浮かんでいる。
下界から門の広場に昇ってくる光霊は浄化される前なので、まだ感情と記憶が残っている。門に導かれるまでの間、それらが僅かだが洩れ出て門の周辺を漂い、祈りを捧げている当番神子の心に染みついてしまうのだ。
それが蓄積されると人間の情に流されやすい「弱い神子」となり、間違って並んだ本来であれば煉獄の池に行くべき墨色の光霊を「可哀そうだから」と情けをかけて門を潜らせてしまう恐れがある。
そうならないように、当番を終えると清浄の間で、染みついた感情だけを清め流すのだ。
ただし、光霊から洩れ出た「記憶」は神子たちが下界を知る唯一の娯楽であり、それでは情に流されることがないために、清浄の間で清められることはない。
下界で「1日の疲れを風呂で洗い流す」のと同じように、天界では「1日の荷を清浄の間で清め流す」というわけだ。




