天界 3
繊月の巫が門の広場に戻ると、それを待っていたように十六夜の巫が心配そうな表情で駆け寄ってきた。
「返事したの?」
作り笑顔で「次の朔の日まで待っていただくようお願いした」と言う繊月の巫に「どう返事しなきゃいけないかわかっていても、それを口にするのは難しいよね」とくみ取ってくれる。
「繊月の覡にも伝えてくるね」
繊月の覡は巫から1朔望月待ってもらうことになったと聞いて、「そうか」と落胆したように言うに留まった。そしてその日も白い蝋燭の前で寄り添って、光霊が順々に門を潜っていくのを見ていた。
翌日は当番である繊月の日。
この日は珍しいくらいに下界から昇ってくる光霊が少ない。そのおかげで門に光霊を導く合間に番は見つめ合って微笑む回数がいつもより多かった。
門の向こう側に繊月の覡と14日目の月にあたる小望月の覡が何やらひと言ふた言言葉を交わしている。そして、繊月の巫の隣には珍しく小望月の巫。小望月の番はともに繊月の覡より少し早く生まれた神子だ。繊月の巫が十六夜の巫と仲が良いのと同じように、繊月の覡と小望月の覡は気が合い、兄弟のように仲が良い。
いよいよ繊月の日もあと僅かになり、次の当番である三日月の番がそれぞれ門に向かって歩いてきた。交代の時間である。
その日最後になるであろう光霊が門に差し掛かる直前、繊月の覡と巫の視線が合った。
覡が「アイシテル」と無言で、しかしはっきりと伝えた、その刹那、最後の光霊を抱いて下界へ飛び降りたのである。
「っえ?・・・待って!」
ー行ってしまう!追いかけなければ!
そう思って光霊を見るが、既に三日月の当番日に変わっている。
「ああああああああ!!!!!!」
身ひとつで下界へ飛び降りることも、当番日以外の光霊に抱きつくことも叶わない。
繊月の巫は覡の姿を探すために床に広がる煙を必死に掻き分けるが、見えるはずもなく、そんな巫を見ていられない、と小望月の巫に無理やりその場から両脇を抱えて離された。
門の広場で神子たちが動揺していると、朔様がいち早く駆け付けた。
「三日月の番は、心乱すことなく光霊に祈り門に導くように。・・・そして繊月の巫はワタシの部屋に来なさい」
あまりに一瞬の出来事で頭が働かない。
一切の音が消えて、身体がフワフワと宙を彷徨う感覚。こんな感覚は生を受けて初めてだった。
焦点が合っていない目つきの巫を小望月の巫が抱きしめてくれる。その肩に顔を埋めた格好で朔様の間に向かう途中、「辛いわね」と耳元で慰めてくれた。強く抱きしめられ頭を撫でてもらうと、熱いものが繊月の巫の眦から溢れ出した。
朔様の間には、小望月の覡が朔様と共に繊月の巫が来るのを待っていた。
「こうなったのは全て自分の所為」という取り返しのつかない現実に、繊月の巫は神妙な気持ちで正座する。
下界の人間ほど感情豊かでない神子は、あれ以上取り乱すことなく徐々に冷静さを取り戻した。先程流した涙は既に乾き、落ち着いたところで正座の姿勢から床に両手をついてその甲に額を乗せた。
何度か息を吸い、そしてゆっくり吐く。もう呼吸が整っていることを確認すると、朔様に届くようはっきりした声で口を開いた。
「朔様、この度はワタシの優柔不断な性格の所為で、まだお役目が果たせる神子を失うことになってしまい申し訳ありません。そして務めをその途中で投げ出して下界へ降りた覡に代わり、お詫び申し上げます」
朔様が繊月の巫の前まで進んで膝を付き、背中に手を当てた。
「苦しいであろうに。・・・立派ですよ」
驚いたことに朔様の声が震えている。
朔様自身が自分の後継に繊月の巫を選んだのだ。慕う相手がいることを承知していた。それでも繊月の巫が最適だと判断した。
今回、繊月の覡が下界に降りる因由は繊月の巫だけにあるのではないのだ。それを思うと、朔様も巫と同じくらい苦しまなければいけないし、巫を詰る資格はない。
ここで、すぐ近くに控えていた小望月の番が朔様の隣で膝を折った。
「朔様、ワタシと小望月の巫は繊月の覡から、この日に下界へ降りることを聞かされていました」
その告白に繊月の巫が顔を上げて目を見開き、信じられないという表情で小望月の番を見る。
同じように朔様も動揺を隠さず、続けて話すよう促した。
「考え直せないか何度も説得を試みましたが、『これほど情が深くなってしまった神子は役目を果たせない』と言う繊月の覡を止めることはできませんでした。朔様のお耳に入れることも考えましたが、ワタシたち番で繊月の覡の意志を尊重しようと決めたのです」
ー違う、そうじゃない。繊月の覡は、ワタシが未練を残さず朔様になれるよう下界に降りたのだ。小望月の番にワタシを託して、他の誰にも告げずにただワタシのためにだけ。
それを朔様も分かっているだろうに、天界に残された繊月の巫のために誰も口にしなかった。
未だ苦悶の表情は消えていないが、朔様はすっと立ち上がって千早の裾を整えてから背筋を伸ばした。
「わかりました。大御神に事の次第を伝えて、新しい繊月の覡を与えていただくようお願いしてきます。繊月の巫は、じきに来る新しい覡に早く役目が果たせるよう指導しなさい。・・・それから、朔の役を引き継ぐ話は、一旦置きます」
淡々と述べて薄紅のカーテンの向こうに消え、繊月の巫と小望月の番は頭を下げて朔様を見送った。
そのとき、朔様の目に視野が霞むほどの涙が溜っていることをその場の神子たちは知らなかった。
「こんなに早く、突然にお別れのときが来るなんて……追いかけたかった」
小望月の覡が先に門の広場に戻り、朔様の間には繊月と小望月の巫たちだけが残された。小望月の巫が、片割れだけになった巫の背中に手を当ててゆっくり摩る。
「今は辛いけど、すぐに次の覡がきて番になるのよ。ワタシたち巫は深い情に流されてはいけない……なんて綺麗事よね。神子だってそんなに強くないわ。嬉しいときは笑うし、悲しいときは泣くわよ。だからせめて今は泣けばいい。ワタシが側にいてあげるから」
コクンコクンと何度も頷く。
「もう会えない。会いたい。会いたいわ……」と何度も何度も繰り返し、涙が枯れるまで泣かせてもらった。
そして朔様の間から門の広場に戻る頃には、いつも皆が見ている「神子らしい」顔になっていた。
戻ってきた繊月の巫を見つけると、祈るように両手を胸元で握り合わせて帰りを待っていた十六夜の巫が駆け寄ってくる。
「まさか繊月の覡があんなことをするなんて…アナタ大丈夫?」
傍から見るといつも通りかも知れないが、まだ心の中はぐちゃぐちゃで、頭の中はぐるぐるしていて、身体を支えているのもやっとである。とても「大丈夫」と返せる状態ではないが、覡が命と引き換えに「朔様になれ」と遺した思いを「今だけは」無にしたくない。
「ありがとう。そしてごめんなさい。繊月の覡のしたことで天界を騒がせてしまったわ」
他の神子たちが注目する中、頭を下げて番の片割れとしての役割を務める。
「ただ、この1日だけは下界に降りた繊月の覡が、命が消えるその瞬間まで穏やかに過ごせるよう一緒に祈ってちょうだい」
神子たちが膝を折って、別れの儀式の祈りをする。
ーワタシもアイシテル。そして、さようなら……




