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いつかの先に逢えるまで ~神子様との同居は期間限定?【甘く切ない溺愛関係は終わらない】(全104話)  作者: 静林


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直紀 目覚め 6

このページには性的な暴力シーンがあります。

地下鉄へ続く地下道には珍しく人が歩いていない。


 コツコツと環のローヒールの音が響いている。


 周りを見て、環はにやついた顔を他の人に見られなくて済んだ、とほっとしたその刹那、背後から突然、強い力で声を塞がれ、視界が揺れた。

 抵抗する間もなく近くの男子トイレに引き込まれたのだった。


 何が起こったのか瞬時に判断できない。

 他人が近づく気配も足音も気付かなかった。

 

 漸く自分が危難に遭っていることを理解したが、逃げるには遅すぎる。


 ここで命を落とすわけにはいかない。

 何とか生きて最愛の夫の元に帰らねば……ということだけに集中しようと決めた。


ーどうすれば良い? どうすべきか?


 ガンガンと踏切の警報音が頭の中に鳴り響く。


ー落ち着け、私! 大丈夫!


 震える身体の細胞1個1個に「落ち着け、そして考えろ」と命令して指令を出す。


「妊娠してるの!」


 痩せているとはいえ、目の前の男に力で適うとは到底思えなかった。

 一か八かに賭けて抵抗すれば、逃げられる可能性があるのかも知れない。

 しかし、命を失う可能性のほうが高いだろう。

 

 微かな希望を抱いてついた嘘に賭けたのだ。


 いつ他の人がトイレに入ってくるかわからない状況下で焦った男はまんまと彼女の嘘に引っ掛かった。


 環は恐怖で声が出せない。

 逃げようとすれば、もっと酷いことになる。

 そう直感的に判断して、環は小さく頷いた。



 ここまでのことは断片的にしか思い出せなかった。


 「ここから離れたい」その一心で隣の女子トイレにふらつきながらも辿り着き、洗面台にもたれかかって蛇口を捻った。


 正面の鏡には、すっかり化粧が落ちた青白い亡霊のような女が映っている。


 改めてバッグの中を確かめると、盗まれたものは無い。

 大切なメレーダイヤモンドが入った包みもちゃんと確認できた。


 少し落ち着いてくると、顔に血の気が戻りつつあった。

 顔に濡れた髪がかかっているので、左手で掻き上げた刹那、薬指の大切な結婚指輪が目に留まる。

 自分に起こったことを夫に見られてしまったような気がした。

それに耐えられなくて指から外し、化粧ポーチに仕舞ったのだった。



 マンションに帰ると、身に着けていた服を全部脱いでゴミ袋に詰め込んだ。

 そしてシャワーが温水になるのを待たずに頭から浴びる。


 記憶を完全に消し去るまで浴室に籠っていたかったが、それが叶うわけもなく、シャワーを停めてバスタオルに身を包む。


 独り言ちながら髪を乾かし、鏡に向かって「大丈夫。大丈夫」と自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。


 バスローブを身に纏ってリビングに行くと頭が割れるように痛み出した。

 本格的に痛くなる前に急いで鎮痛薬を飲むと、数分で睡魔が訪れた。


 そのままソファで横になり、うつらうつら・・・とすると、スマホの着信音で現うつつの世界に引き戻された。

 スマホの画面に「直紀さん」とある。


「はい、環です。 直紀さん、もうお帰りになりますか?」


ーほうら大丈夫。 いつも通りの声。 いつも通りの口調。 いつも通りの私。


 ちゃんと出来ているであろう対応にホッと胸を撫で下ろす。


「えっ? ・・・今どこ?」


 ところが予想外に戸惑った直紀の声が返ってきた。


「家にいますけど…」


ー何か悟られた?


 思考が電脳並みのスピードで廻り出した。

 その刹那、全身の血の気が退く。

 スマホを持つ手が氷のように固まり始め震える。


ー結婚記念日!


「ごめんなさい! 直ぐ、直ぐに支度してホテルに向かいます。 ごめんなさい」


 通話中のままスマホをテーブルに置き、大急ぎで身支度を始める。


 「どうしよう。 どうしよう」と泣きながらクローゼットに掛けてあるライムイエローのワンピースを着て、髪を纏めてアップにし、ヘアクリップで留めた。


「環? 落ち着いて。 待ってるから、気をつけておいで」


 宥める直紀の声は妻には届かない。 そのうち直紀のほうから通話を切った。


 コンシェルジュにタクシーを呼んでもらい、中身が見えないゴミ袋をマンションのゴミステーションに放り込むのを忘れずに、1時間遅れでホテルに到着したのだった。


 全身の汗腺から汗が噴き出し、化粧が崩れているだろうと思って、直紀に遅刻を詫びた後、化粧室に飛び込んだ。


 鏡に映った顔は案の定酷いものだった。


 化粧直しをするためにポーチを開いてハッとする。


ー指輪!


 左手を顔の前で広げると薬指に嵌っていない。


 当たり前だ。


 それは、ポーチの中で眠っていたのだから。

 慌てて指輪を所定の場所に戻して、「直紀さん、気付いたかしら…」と不安が過った。


 テーブルに戻っても直紀から指輪の件に触れてこないので、気付かれなかったのだと安堵した。



 ディナーを終えて自宅に戻ると、いつも通りに振る舞えていた。

 あの忌々しい出来事は悪い夢で、直紀が側にいてくれる限り大丈夫だと、すべて封印できたと思っていたのだ。


 ところが、その日から少しずつ積み木が崩れ始めたのである。


 夫との距離が狂いだし、優しさの仕草が恐怖を思い出させるのだ。


ー時間が解決してくれる。

ー時が経てば記憶が薄れる。


 そう思っていたのに、少しも解決することも記憶が薄れることもなかった。

 このままでは離婚を言い渡されるかも知れない、という不安に心が侵食されていった。


ー直紀さんにすべてを打ち明けよう。


 朝が来るたびに、「今日こそは言おう」と心を奮い立たせるが、直紀を前にすると言葉が出てこない。


 そうしてるうちに、夫と寄り添うことが明らかに減り、苛立っていることが増えたのだった。


ー直紀さんを失いたくない。


 救いを求めるように安達夫妻に縋ったのが、あの事故の日だった。

性的な暴力シーンの表現を必要最小限に訂正しました。

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