直紀 目覚め 4
事故の日、確認するはずだった琅玕と呼ばれる最上質の翡翠は、現地で落ち合うことになっていた宝石バイヤーが鑑定してくれた。そして取り引き成立後、直紀に代わって雅孝が預かっている。
入院中にバイヤーと連絡を取り合って、その琅玕の質はかなり高く直紀も満足するだろうと言っていた。
それを明日、雅孝が届けてくれることになっている。
質量のある原石なので、リングとネックレス、出来ればイヤリングを揃えようかと考えている。高価なアクセサリーセットになるだろうから、特別なシーンで持ち主を飾ってくれるものになるだろう。
ー雅さんが来る前にデザイン案を出しておこうか……。
そんなことを考えているうちに、漸く眠気が訪れてくれたのだった。
バルコニーに面した大きなガラス窓から差し込む日差しで、いつの間にか眠っていたことを知った。ほんの数時間の睡眠でも朝日を見ればスッキリするものである。
半分だけ乱れた掛け布団を整える。
「ジャズ音楽流して」
毎朝そうしていたようにAIスピーカーに語りかけると、朝にピッタリだと判断した音楽を流してくれる。
いつものように2人分のコーヒーを淹れた。
食器棚から自分用のマグカップとエスプレッソ用のコーヒーカップを取り出して環に供える。
「おはよう、環」
上下揃いのスウェットを着て、普段なら朝はブラックコーヒーしか口にしないのだが、お供えのフルーツが幾つもの籠に盛られているので、その中からバナナを1本捥ぎ取って皮をむく。
ー雅さんとスタッフに持って帰ってもらわなきゃ食べきれないな。
安達夫妻が昼ご飯を持って行くと言ってくれたので、ジーンズに薄いグレーのコットンシャツを着て「妻に先立たれたしょぼくれたオヤジ」に見えないよう身なりを整えた。
長袖を選んだのは、腕の包帯を見せたくないからだ。傷跡は日に日に薄れてはいるが、かなり大きな跡なので自分でも見たくない。そのため、既に必要のない包帯まで巻いているのだ。
リビングの隣にある4畳の納戸を仕事用の書類やデザインのラフ画置き場として使用している。天井まで壁一面に造り付けられた棚も書類が迷子にならないようにアルファベット順に並べて仕切り、インデックスを付けてくれている。環のおかげで必要なものを要領よく見つけてきたわけだが、これからは直紀が同じようにしなければ、途端に迷子の書類で溢れかえるだろう。
そうなることが今から見える。
その中から今日受け取る琅玕のデザイン案をいくつか引っ張り出しておいた。
約束の時間ぴったりにインターホンが鳴って、モニターに安達夫妻が映った。コンシェルジュには10時頃、直紀を訪ねて雅孝が来ると伝えておいたのでスムーズに応対してくれたようだ。もっとも、直紀の自宅にも5階のオフィスにもしょっちゅう来ていて、雅孝とコンシェルジュは顔見知りである。
玄関ドアを開けると、落ち着いたダークネイビーのスーツを着た夫妻が立っていた。
「忙しいのに無理言ってごめん」
困ったときは決まって安達夫妻を頼ってしまう。そして今回も他をあたることなく甘えているのだ。
「身体の具合はどう?まだ痛む?ちゃんと薬飲んでる?」
友香里が矢継ぎ早に質問を浴びせながら、勝手にシューズボックスからスリッパを2足出して置いた。
雅孝も「まだ無理するなよ」と心配してくれる。
夫妻は直紀に続いてリビングに入ると真っ先に環の前に行って、持ってきた花を遺影の前に供えた。小さな籐の籠に薄紫のトルコ桔梗とクリーム色のカーネーション、白いカスミ草がコンパクトにアレンジされていて、キャビネットの空間にぴったり収まった。
雅孝と友香里は並んで静かに手を合わせ、直紀はコーヒーメーカーに粉を入れながら鼻を啜る友香里を見ていた。
銀糸で刺繡を施された遺骨袋をそっと撫でながら、友香里が「直紀くんが帰って来てよかったね」と環を慰めるように語りかける。
事故から半月。随分過去の出来事のような感じもするし、今でも環がドアを開けて現れるのでは……と思うこともある、と直紀が打ち明ける。
「そうだろうな。俺たちだって、不意にタマちゃんが顔を出すんじゃないかと思うくらいだから、直紀はまだ受け入れるまで日にちがかかるだろうな」
雅孝も環の笑っている遺影を見ながらしんみり口にする。
友香里がキャビネット辺りに供えてあるたくさんの花を見て、「少し痛んでるものがあるから手を入れても構わない?」と聞いてくれたので、よろしく頼むと任せた。
「友香里さん、ついでにたくさんいただいたお供えの中から、コーヒーに合うお菓子を選んでくれる?」
確かにどんどん食べていかないとお供えしてくれた人に申し訳ない。「TO-J」のスタッフにも貰ってもらうつもりだが、あまりに多過ぎる。
環の人柄を表すように、多くの人が手を合わせてくれたことは深謝に堪えない。
最終的にコーヒーのお供には、たくさんある中からクコの実やクルミ、イチジクが入ったパウンドケーキが選ばれた。
3人はダイニングテーブルで昼食前のスナックタイムを取りながら、雅孝が持ってきたキルト生地のバッグから分厚く真綿に包まれた塊をそっとテーブルに置いた。
3重に包まれた真綿を1枚ずつ開くと、10㎝程度角の立方体に近い原石が現れた。その原石の上部3分の1が濃い緑色、下部3分の1ほどが白に近い緑色で、その中間部は2色がマーブル状になっている。
翡翠にはジェダイドと呼ばれる硬玉とネフライトと呼ばれる軟玉の2種類があり、今回手に入れた原石は宝石として価値が高いジェダイドである。
「1.5キロくらいだね」
直紀は翡翠の原石を手に取って、いろんな角度からルーペを用いて慎重に観察していく。濃い緑色の箇所を親指の腹で擦りながら「うん、これは良い琅玕質だね」と感嘆した。
そしてすぐに直紀に代わって商談をまとめてくれたバイヤーに電話をかけて、満足のいく琅玕翡翠であることを伝えたのだ。
「直紀からデザイン画を受け取るのを楽しみにして待ってるよ」
既に何点かラフ画を選んであるので、事前に雅孝に見せてイメージを伝える。最終の画を渡すまでそんなに日数はかからないと思う、と予告しておいた。
本来ならこれほど上質な原石を手に入れるとデザインを考えるのに堪らなく高揚するのだが、今回に限っては環の死に係わった因縁の宝石だけに複雑だ。
再び分厚い真綿に包んで納戸内の棚にラフ画と共に置いておく。
昼食までの間、直紀は2人の手を借りて供えられた花や品物を分類する作業を始めた。
安達夫妻の愛息である忍が食べられそうな果物やゼリーを選んで、その忍を今日1日預かってくれている雅孝の両親への菓子も、まとめて紙袋に詰めていく。
それが終わるとスタッフに、明日取りに来て欲しいとメールを送った。
そうして、大量にあった品物の行き先がほとんど決まったところで、昼食の時間になる。
昼食に友香里が持って来てくれたのは、巻き寿司と稲荷寿司が詰まった塗りの弁当箱とだし巻き卵、肉じゃが、筑前煮、水菜と油揚げのおひたしなどがそれぞれ入れられた複数のタッパー。
どれも料理自慢の友香里の手作りで、直紀と環が訪ねた際に食卓に並べられた品である。
「たっぷり作ってきたから、あまったら明日にでも食べてね。どうせコーヒーくらいしか口にしてないんでしょ?」
見透かされている。
有り難い気遣いに遠慮なく甘えさせてもらおう。
「ありがとう。リハビリのためには外を歩いたほうがいいんだろうけど、まだそんな気分にならなくて」
何から何まで支えてくれる雅孝と友香里には感謝しかない。




