碧衣 目覚め 2
意識が途切れる直前に見た炎上する車。
そして俊介の碧衣の名を呼ぶ叫び声。
父、母、兄の順でその顔を見る。
何を聞かされても受け入れる覚悟はできているし、恐らく自分に返ってくる言葉はそれしかないだろう。
震えながらその答え合わせをする。
暫く病室の刻が止まったような空気の後、母が背を向けてわっと泣き出し、父が俯いて握りしめた拳に力を込めた。そして兄が1番辛い役目を引き受けたことをしめすように、碧衣の肩口に手を置いてポツリポツリ口を開いた。
「車は、雷が落ちて根元が裂けた大きな木に圧し潰されて・・・残念だけど、佳弥斗くんは助からなかったんだ。・・・碧衣はなんとか脱出できた俊介くんに車外に引き摺り出してもらって助かった。・・・木が直撃したのが丁度、佳弥斗くんが座っていた助手席だった。・・・・・・こんな言葉を使いたくないけど、運が悪かったって警察の人が言ってた」
(やっぱり・・・。そっかぁ・・・)
涙がつうっと零れ、嗚咽に変わる。
最悪な結果を聞かされても冷静に受け止める覚悟が出来ていると思っていたが、実際にそれを突き付けられるとショックは予想以上に大きくて、到底堪えられなかった。
取り乱すことないが、腹の底から呻き声を絞り出して号泣する。叫びはしないが、口を大きく開けて呼吸をする。
母は、娘が涙が枯れるまで泣いて、そして疲れきるまでただ静かに頭を撫でてやった。
碧衣が落ち着くのを待って、佳弥斗の葬儀は大々的に執り行われ、たくさんの友人や大学関係者に見送られたこと、その式に父と母も参列したことを聞かされた。
希有な事故で命を落としたのが橘商事の次男ということで、会社関係だけでなく、マスメディアの記者たちも来て騒然となったらしい。
幸い同乗者の名前は伏せられたので、有名作家の娘である碧衣がマスコミの餌食にならずに済んだのだった。
「退院して動けるようになったら、私もお参りさせていただくわ」
拭っても、拭っても涙が溢れる。そして半開きの唇からは湿ったと息が呼吸とともに漏れた。
意識が回復し、医師から「ひとまず大丈夫でしょう」という言葉をもらって安堵した父と兄は帰宅し、まだ自分の身の回りのこともできない娘の面倒を見るために、母は病室のソファに布団を借りて数日間泊まってくれることになった。
膝までしっかり固定されているギプスを眺めて、「どれくらいで取れるって?」と母に尋ねる。
「歩けるようになるのに3か月くらいかかるだろうって」
「そっかぁ。暫く家族に助けてもらわなきゃ・・・申し訳ないな」
「何を言うの。碧衣の世話は喜んでするわよ。・・・ダンパーペダルは踏めるけど、その左足でソフトペダルは無理ね」
少し乱れた掛布団を直しながら母が憐れむ。
母が何気なく言った言葉に碧衣はハッとして両手を目の高さまで掲げて、手首を捻って関節の動きを確かめる。次に10本の指を1本ずつ曲げたり伸ばしたり、グーとパーを何度も繰り返して違和感がないか、慎重に観察した。
どうやらピアノを弾くのに全く支障がないことが確認できて、胸を撫で下ろした。
「良かった。弾けるわ」
安堵の息を吐いて母に伝える。
続けて、ギプスがはずれるまで仕事はできないだろうけど、退院したらすぐに練習を始めると宣言して母を安心させた。
骨折したのが左足首だったのは不幸中の幸いであった。それが、右足首だったり腕だったりしたら・・・手の平や指だったら二度と事故前のように弾けなくなったかも知れない。そうなっていた可能性がゼロではなかったのだと考えると、急に怖くなって身体がぶるっと震えた。
碧衣からピアノを奪うことは、魚に水の中で泳ぐことを諦めさせるのと同じであった。日常であり、生き甲斐であり、ピアノを弾いている自分こそが『1番輝く碧衣』だと自負している。
就寝時刻直前に主治医と看護師が再度病室に来て、碧衣を簡単に診察する。そして、明日の検査で問題がなければ、退院に向けてスケジュールを立てて、生活指導もしましょう、と碧衣を元気づけた。説明の最後に看護師は、「大事故に遭うと精神的ダメージで生活に支障が出る人も多いから、心理カウンセラーも紹介しますね」と言ってくれた。
母が寝る支度をしながら何度もあくびをしている。この1週間、あまり睡眠が取れてなかったのだろう。
目の下のクマがそれを物語っている。それに、食事だってまともに喉を通ってなかっただろう。今夜の夕食も売店で買ったおにぎり1つだけだった。すっかりやつれた母に、何度も「心配かけてごめんなさい」と謝った。
それ以上謝らなくて良いというように首を横に振りながら、「額の傷は残るだろうって言われたのが可哀そうで…」っと唇を噛む。
碧衣は手鏡を見ながら少し伸びた前髪で傷口に貼ったテープを隠すように被せてみる。縫合箇所は抜糸も済んでテープが貼られている。先程来た医師がガーゼを外してくれたので、随分傷口が小さく思えた。傷口は生え際なので、簡単に隠せそうだ。
「前髪で隠せるし、化粧だってするんだから気にしないよ。・・・それよりも俊介くんには助けてもらったお礼を伝えなきゃね」
「そうね。旭陽から俊介くんに意識が戻ったことを伝えてもらったから、早々に顔を見に来てくれるんじゃないかしら?碧衣が眠っている間も何度も来てくれたのよ」
俊介もあの炎上した車を見ただろうし、もっと最悪なことを考えると、炎の中の佳弥斗を見たかも知れない。だとしたら、幼馴染みの親友が目の前で炎に包まれるなど、どれほどの惨苦だろう。
それなのに、何度も見舞いに来てくれていたとは、彼の優しさと強さに胸が熱くなった。
窓の下に置かれた3人掛けのソファで、母が「おやすみ」と言って横になるとすぐに寝息を立て始めた。
漸く安心したのだろう。疲れと寝不足が母の眠りを深いものにした。
「さてと」
声をださないように息を吐きながら呟いて、(お話できるかしら?)と心の中の「誰か」に話しかけてみる。もし自分の中に別の誰かが存在しているとしたら、事故の後遺症で2重人格になったのかも知れない。
あまりの恐怖から逃れるために、別の人格を作ることがあると聞いたことがある。
『はい、どうぞ』
やっぱり返事があった。
(私は碧衣。あなたは私が作り出したもう1人の「わたし」ですか?)
『いいえ。ワタシは天界の神子です』
「はぁ??」
その突拍子もない答えに、思わず素っ頓狂な声を発してしまい、慌てて口を手で塞いでソファの母を見る。
・・・・・・セーフ。起こしてない。
気を取り直してから、改めて心の中での会話を再開する。
(天界の神子って・・・天国の神様ってこと・・・ですか?)
何とも奇天烈な話だが、自分の中に他の何かがいる時点で説明がつかない状態に陥っているのだ。声の主が「神子」だと名乗るのなら悪者ではないだろう・・・と一応安心して会話を続けるが、「神子」だと言うモノにタメ口は無礼だと判断して、取り敢えず丁寧な言葉遣いに変えた。
『違います。神子は大御神、アオイの言う神様にお仕えする存在です』
(神様でなくても、神様のお側にいらっしゃる方なんですよね)
『そうですね』
なんと!!
どのような経緯でこうなっているのか疑問ではあるが、神様にお仕えしている神子様が自分の中に入ってるとは、恐れ多いことこの上ない・・・もしかしたら魔法が使えるようになっていたり、未来が見えたりするのか、と少女漫画の世界を想像して身体から嫌な汗が出てきた。




