エピローグ 1
無数の真っ白な蝋燭が宙に浮いている。そして床にはドライアイスのような乳白色の煙が漠々と広がっている。
京都伏見稲荷大社の千本鳥居を彷彿させる無数の朱色の門がトンネルを作り、その門を潜るために黄金色、瑠璃色の光霊が列を作っている。
その日の当番である三十日月の番が門の両側で祈りを捧げて光霊を順番に門に導いている。
この日、門の広場では朔様と神子たちが光霊の列の最後尾を注視し続けていた。
下界から昇ってきた光霊がドライアイスのような煙の床からポンッと現れて列に並ぶのだが、お目当ての瑠璃色の光霊のカケラは未だ現れない。
朔様の傍で1部が欠けた瑠璃色の光霊が落ち着きなく上下左右に動いているのは、欠けた部分がもうじき戻ってくることを示しているからだ。
そして、それが353日前に下界に降りた2体の神子を連れて帰って来る。
* * *
天界に帰る当日、繊月の巫の宿主である碧衣と、覡の宿主である直紀が一夜限りの愛を確かめ合うのを黙って見届けた。
体力を極限まで使い果たした碧衣が先に眠り、彼女と自分の身体を清めてから、いつもしていたようにピンクのシュシュで2人の手首をしっかり固定した。意識を失った後に手首が離れないように、恋人繋ぎで手を握る。
直紀のやるべきことが終わると、繊月の番に合図を送った。
繊月の番がそれぞれの宿主から離れる直前、碧衣と直紀の意識を完全に閉ざして準備が整った。
いよいよ天界へ帰る瞬間が訪れたのだ。
『さあ、まずはカヤトの魂のカケラを使って天界に帰れるかやってみましょう』
これが上手くいけば碧衣と直紀は下界で幸せになれるが、そうでなければ直紀のいない世界で碧衣は生きていくことになる。
『はい。では、カヤトどのの魂を抱いて肉体から離れてみます』
そう言って、繊月の覡が佳弥斗の魂の小さなカケラを呼び寄せて胸に抱きしめると、その刹那、その小さなカケラが巫をも碧衣の肉体からグイッと離して引き寄せ、2体の神子が宿主から完全に切り離されたのだった。
繊月の番が願っていたとおりの最高の帰還が叶うのだ。
碧衣から直紀を奪わずにすんだ。
このカケラの力強さを感じて、このまま天界へ昇れると確信した。
『行けます』
繊月の覡も自信を持ってそう宣言すると、巫と胸を合わせるように抱き合って大勢を整える。
『アオイ。ナオキと幸せになってください』
『ナオキどの。お元気で』
それぞれが短い別れの言葉を告げると、魂のカケラが天界で待っている本体の元に一刻も早く戻ろうと、一気に天界へ昇って行ったのだった。
* * *
ついにその瞬間が訪れる。
朔様の傍で気忙しなく動いていた瑠璃色の光霊が、列の最後尾にフワフワと移動して行く。
そして、ドライアイスのような煙の中からポンッと2体の神子と共に小さなカケラの光霊が現れ、あっという間に本体と合体したのだった。
漸く落ち着きを取り戻した瑠璃色の光霊が列の最後尾に並ぶ。
繊月の巫がやっと浄化の門を潜ることができる瑠璃色の光霊に向かって、「待たせてごめんなさいね。どうか生まれ変わっても幸せになってね」と言葉を手向けて、浄化の門を潜るのを見届けた。
完全体となって浄化の門を潜った瑠璃色の光霊が漆黒の闇に消えると、久し振りの天界をぐるりと見渡す。
いつもなら、神子たちのクリスタルのような美しい声で満ちた門の広場だが、今は三十日月の番の祈りの声しか聞こえない。
天界に帰ってきた繊月の番に「お帰り」と温かく声をかけて、抱きしめようとする神子はいなかった。
皆、この番が今からどうなるのか、不安と心配の目で見ている。決して、下界に降りたことを非難する冷たい視線を向けているわけではないのだ。
繊月の巫と1番親しい十六夜の巫は、胸元で祈るように両手を握り締めて泣きそうな顔をしている。
朔様が帰ってきた番に近づいて「ふたりともワタシの間に来なさい」と冷静な口調と少し低い声で指示した。
朔様の後ろを歩く番は、さながら刑場に惹かれる罪人のようだ。他の神子たちは皆、青白い顔でそれを見送った。
薄紅のカーテンを抜けて、朔様の間に入ると、朔様の向かいに繊月の巫と覡が並んで床に膝を突いて頭を下げる。
(今こそワタシの口から言わなければ)
繊月の巫が謝罪と覡に対する罪の減免を申し出ようと口を開きかけた時、朔様の「待っていましたよ。おかえり」と懐かしい声が耳を擽った。
最後に朔様の優しい声を聞くことができて幸せだと胸が熱くなる。
そして繊月の番の前に腰を落として「まずは繊月の覡。よく期限までに巫を連れて帰りました。苦労をかけましたね」と覡を労ってその肩を擦った。覡は頭を上げて、真っ直ぐ朔様に向かい、少し逞しくなった顔を見せる。
「繊月の巫様を追うことを許してくださり、ありがとうございました。本日、巫様と天界に戻りましたことを報告いたします。・・・そして、今日からまた天界でのお役目に励む所存です」
この時初めて繊月の巫は、朔様の許可を得て覡が下界に降りたことを知った。そして、心から安堵したのだった。
覡は罰せられることはないだろう。彼に罰が下ることを1番恐れていたので、後はどうなっても構わないと腹を括った。
繊月の覡のしっかりとした言葉に朔様は満足げに頷く。
「皆が待っているので、オマエは門の広場に行きなさい。そこで新しい繊月の巫と顔合わせしてくると良い。・・・下界の話も皆に聞かせてやって欲しい」
ー新しい繊月の巫。
(そうか……そうですよね。ワタシは下界に降りた瞬間から神子ではなくなったのだわ。・・・やっぱり罪人として裁かれるのですね)
覚悟していたことではあるが、既に天界には自分の居場所がないことを突き付けられ、寂しく感じた。長く「繊月の巫」と呼ばれてきた、それを失った現実に心が痛む。
(ここにいることが許されないのなら、行く場所は1つしかないわね。・・・煉獄の間…か……)
背筋が凍る。
朔様から門の広場に行くよう指示された繊月の覡は、朔様とそして「先代」となった繊月の巫に額が床に突くほど頭を下げてから、朔様の間から退出した。
「さあ、次はオマエの番です。立ちなさい」
(いよいよワタシの番。みんなに挨拶させてはもらえそうにないわね。このまま煉獄の間に行くのかしら…)
大きく深呼吸をしてから立ち上がって朔様の後ろに続く。
ところが巫が予想していた方向ではなく、通常の出入り口とは逆であるこの部屋の1番奥の薄紅のカーテンに向かって、朔様は歩を進めている。
そしてそのカーテンの前で朔様が立ち止まって振り返り、後ろを付いてきた青白い顔の巫と目を合わせる。
「このカーテンを潜ると長い廊下があります。それを真っ直ぐ進むと蝋燭の炎だけの薄暗い部屋に着きます。・・・そこで大御神から御言葉をいただきなさい」
朔様の間には何度も入ったことがあるし、このカーテンの向こうで大御神から御言葉を聞いているというのも知っていた。ただ、こうやって近付いたことは1度もない。
今からこのカーテンを潜るのだと思うと、身体が震える。足が竦む。




