孤児の少女、王子の影で愛に目覚める
フラジール王国の貧民街は、まるで光の届かぬ深淵だった。
埃っぽい路地に、煤けた石壁が果てしなく連なり、飢えた子供たちの声が風に混じる。
そこに、ステラはいた。
12歳の少女は、ぼろを纏った華奢な身体で、市場の喧騒を縫うように走っていた。
手には、盗んだばかりの固いパン。
彼女の灰色の瞳は、鋭くもどこか儚げに揺れていた。
「そこのガキ! 止まりな!」
市場の商人の怒声が背中に突き刺さる。
ステラは振り返らず、細い路地へと飛び込んだ。
息を切らし、心臓が喉元で暴れる。
だが、彼女の足取りは軽やかだった。
生きるために、盗むために、走ることは彼女の日常だった。
その時、路地の向こうで馬のいななきが響いた。
ステラは立ち止まり、物陰に身を潜めた。
そこには、黄金の髪が陽光を浴びて輝く少年がいた。
第二王子、アステル・フラジール。
14歳の彼は、貧民街の視察に訪れていた。
白い馬に跨り、青い瞳は好奇心と憂いを帯びて辺りを見回していた。
その美しさは、まるでこの汚れた世界に迷い込んだ星のようだった。
ステラの心は、なぜかざわめいた。
「王子様、か……」
と呟き、目を離せずにいたその瞬間、黒い影が動いた。
覆面の男たちが、アステルの馬を囲むように現れた。
第一王子派の刺客だ。
剣の光がきらめき、アステルの護衛が叫び声を上げる。
「殿下、逃げて!」
護衛の声はすぐに血の匂いに塗りつぶされた。
ステラの身体は、考えるより先に動いていた。
彼女は物陰から飛び出し、アステルの手首を掴んだ。
「こっち! 早く!」
驚いたアステルが彼女を見下ろす。
だが、ステラの必死な瞳に逆らう暇はなかった。
二人は細い路地を駆け抜け、迷路のような裏道を抜けた。
ステラの知る秘密の抜け道だ。
刺客の足音が遠ざかり、やがて静寂が訪れた。
薄暗い廃屋の中で、ステラとアステルは肩で息をしていた。
アステルの青い瞳が、ステラをじっと見つめる。
「お前……命の恩人だな。名前は?」
「ステラ……ただの泥棒だよ」
と、彼女はそっけなく答えたが、胸の鼓動は隠せなかった。
アステルの声は、まるで春の風のように柔らかく、ステラの凍えた心をそっと溶かした。
「借りを作ったままでは、王子として沽券に関わる」
とアステルは笑い、ステラの手を取った。
「王宮に来い。せめて一晩、温かい食事と寝床を与えたい」
ステラは一瞬ためらったが、彼の手の温もりに抗えず、頷いた。
彼女の小さな世界が、今、大きく揺れ始めていた。
王宮に連れられたステラは、初めて見る絢爛な世界に目を奪われた。
大理石の床、色とりどりのタペストリー、そして甘い香りの漂う風呂。
垢にまみれた身体が清められ、粗末な服が柔らかな衣に変わる。
食卓には、想像もつかないほど豊かな料理が並んだ。
ステラは、夢の中にいるようだった。
だが、食事が終わる頃、側近たちの囁きがステラの耳に届いた。
「この少女……殿下に瓜二つではありませんか?」
もう一人の側近が頷く。
「第一王子派の動きが激化している今、影武者がいれば殿下の安全が守れる」
アステルはステラを見やり、静かに微笑んだ。
「ステラ、俺の影武者になってくれないか? 危険かもしれないが、食べ物と安全は保証する」
ステラの灰色の瞳が揺れた。
王子のそばにいられる。
温かい食事と、初めて感じる「居場所」が手に入る。
だが、それ以上に、彼女の心を捕らえたのは、アステルのまっすぐな瞳だった。
「……いいよ。やるよ、アステルの影武者」
と、ステラは小さく頷いた。
その瞬間、彼女の運命は、王子の影として、そしてやがて芽生える禁断の恋の炎として、動き始めた。
王宮の朝は、ステラにとってまるで別の世界の夢のようだった。
朝陽がステンドグラスの窓を彩り、大理石の廊下に柔らかな光を投げかける。
ステラは、アステルの影武者として与えられた部屋で、ふかふかのベッドから起き上がった。
鏡に映る自分は、男装の王子衣装に身を包み、短く切り揃えた髪が少年のような面影を強調していた。
だが、灰色の瞳には、貧民街の少女の鋭さがまだ宿っていた。
「ステラ、準備はいいか?」
アステルの声がドアの向こうから響く。
ステラの心は、彼の声を聞くたびに小さく跳ねた。
彼女は深呼吸し、「王子」としての顔を整えて扉を開けた。
アステルは、青い瞳に朝の光を湛え、優しく微笑んだ。
「今日の公務は、市場の視察だ。お前には俺の代わりに民と話してほしい」
ステラは頷きつつ、胸の内で囁いた。
(民と話すなんて、昨日までの私なら盗みを働く相手だったのに……)
影武者としての日々は、ステラの想像を超える速さで彼女を変えていった。
宮廷の礼儀作法を学び、読み書きを覚え、剣術の基礎まで叩き込まれた。
最初はぎこちなかったステラの仕草も、月日が経つにつれ、「第二王子アステル」として堂々としたものに変わっていった。
民衆の前で微笑み、商人と交渉し、時には子供たちに手を振る。
そのたびに、アステルのそばで彼の温かな視線を感じ、ステラの心は密かに熱を帯びた。
ある日、庭園での散歩中、アステルがふと立ち止まり、ステラを見やった。
「お前、変わったな。初めて会った時は、まるで野良猫のようだったのに」
ステラは頬を膨らませ、そっぽを向いた。
「失礼な王子様ね。野良猫だって、ちゃんと生きてたんだから」
アステルはくすりと笑い、ステラの頭にそっと手を置いた。
「そうだな。……でも、今のお前は、俺にとってかけがえのない存在だ」
その言葉に、ステラの胸は締め付けられるように疼いた。
彼女は目を逸らし、熱くなる頬を隠した。
(こんな気持ち、知らなかった……)
4年の月日が流れ、ステラは16歳になっていた。
アステルとの時間は、彼女の心に深い刻印を残した。
彼の優しさ、時折見せる孤独な眼差し、王位継承の重圧に耐える背中――すべてがステラの心を捕らえ、知らず知らずのうちに恋心が芽生えていた。
夜ごと、寝台でアステルの笑顔を思い出し、ステラは胸の鼓動を抑えきれなかった。
だが、彼女は知っていた。
この想いは、影武者の分際で抱くべきものではない。
ある日の謁見の間、ステラはアステルの婚約者、ルビアナ公爵令嬢と初めて対峙した。
ルビアナは、深紅のドレスに身を包み、気品と冷ややかさを漂わせていた。
彼女はステラを一瞥し、微笑みの中に鋭い刃を隠した。
「あなた、よく殿下の影を務めているわね。……でも、覚えておきなさい。あなたでは、アステル様を本当の意味で守ることはできない」
ステラは言葉を失い、ただルビアナの背中を見送った。
彼女の言葉は、ステラの心に冷たい楔を打ち込んだ。
(私はただの影……。アステルのそばにいる資格なんて、ないのかもしれない)
その夜、ステラは自室の窓辺で星空を見上げた。アステルの笑顔が脳裏に浮かび、胸が締め付けられる。
「どうして……こんな気持ちになっちゃったんだろう……」
彼女の灰色の瞳に、初めての涙が光った。
影武者としての日々は、彼女に愛と苦しみの両方を教えてしまっていた。
フラジール王宮の朝は、いつものように静謐で荘厳だった。
だが、ステラの心は穏やかではなかった。
16歳になった彼女は、鏡の前に立ち、男装の王子衣装に身を包んでいた。
だが、その姿はもはや少年のものではなかった。
華奢だった身体は女性らしい曲線を描き、短く切った髪も、どれだけ整えても柔らかな女らしさを隠しきれなくなっていた。
側近たちの囁きも、最近は冷たく響く。
「影武者として、もう限界だ。殿下に似せるには無理がある」
ステラは鏡の中の自分を見つめ、唇を噛んだ。
4年間、アステルの影として生きてきた。
民衆の前で笑い、王子として剣を振るい、彼のそばで彼の息遣いを感じてきた。
だが、その全てが、彼女の心に禁断の炎を灯していた。
アステルへの想いは、抑えようとしても溢れ、夜ごとに彼女を苛んだ。
彼の青い瞳が、優しい笑顔が、孤独を隠す一瞬の翳りが、ステラの胸を締め付けた。
その日、アステルはステラを王宮の庭園に呼び出した。
秋の風が色づく葉を揺らし、二人を包むように吹き抜ける。
アステルは、いつものように穏やかに微笑んだが、その瞳にはどこか重い光があった。
「ステラ……お前も気づいているだろう。影武者としての役目は、もう終わりだ」
ステラの喉が詰まった。
覚悟していた言葉だったが、実際に聞くと胸が裂けるようだった。
「……うん、わかってる。私の身体、隠しきれなくなってきたもの」
彼女は努めて軽く答え、目を逸らした。
アステルは一瞬黙り、ステラの手を取った。
その温もりに、彼女の心は震えた。
「お前がいてくれたから、俺はここまでやってこられた。……ありがとう、ステラ」
その言葉は、優しくも残酷だった。
ステラの灰色の瞳に涙が滲む。
彼女は必死にそれを押し隠し、笑顔を作った。
「借り物の王子様やって、楽しかったよ。……アステル、元気でね」
彼女は彼の手をそっと離し、背を向けた。
もうこれ以上そばにいたら、この想いが抑えきれなくなる。
(アステルは王子で、私はただの孤児……。この恋は、許されない)
王宮を去る準備は、驚くほど静かに進んだ。
ステラは、側近から渡されたわずかな金と旅装を手に、王宮の裏門に立った。
振り返れば、アステルの姿が遠くに見えた。
彼は広間の窓辺で、誰かと話している。
笑顔はいつも通りだが、どこか遠い。
ステラの胸は締め付けられた。
「もう……これでいいよね。忘れなきゃ……」
彼女は涙を拭い、夜の闇に紛れて歩き出した。
だが、心の奥では、アステルの声が、温もりが、消えることなく響き続けていた。
一方、アステルはステラの去った裏門をじっと見つめていた。
側近が近づき、「殿下、第一王子派の動きが活発化しています。ルビアナ様との婚儀を急ぐべきかと……」と進言する。
アステルは頷きながらも、なぜか胸に空虚な風が吹いた。
ステラの不在が、彼の心に静かな波紋を広げていた。
フラジール王宮の大広間は、華やかさに満ちていた。
色とりどりの花が柱を飾り、シャンデリアの光が金と銀の装飾をきらめかせる。
今日、第二王子アステルと公爵令嬢ルビアナの結婚式が執り行われる。
貴族たちは絢爛な衣装に身を包み、祝福の笑顔を浮かべていた。
だが、広間の中心に立つアステルの青い瞳には、どこか捉えどころのない翳りが宿っていた。
ステラは、王宮から遠く離れた宿屋の窓辺で、ぼんやりと空を見上げていた。
16歳の彼女は、旅装のまま、粗末なマントに身を包んでいた。
灰色の瞳は、かつての鋭さを失い、静かな諦めに満ちていた。
あの日、王宮を去ってから数週間。彼女はアステルを忘れようと、旅を続けてきた。
だが、心は裏切るように、彼の笑顔を、温かな手を、夜ごとに思い出させた。
(もう、終わったんだ……。彼は王子で、私はただの孤児)
王宮では、ルビアナが純白のドレスに身を包み、アステルの隣に立っていた。
彼女の美しさは、まるで氷の彫刻のように完璧だった。
だが、その瞳はアステルの横顔を捉え、微かな痛みを宿していた。
式の進行中、彼女はアステルの微笑みに気づいた。
それは、民衆に向けるいつもの優雅な笑顔だったが、どこか空虚で、遠くを見ているようだった。
「……アステル様、あなたの心はここにないのね」
と、ルビアナは心の中で呟いた。
誓いの言葉が交わされ、拍手が響く中、ルビアナはアステルの手をそっと握った。
だが、その手は冷たく、彼女の胸に鋭い痛みが走った。
(彼の心は、私のものではない)
彼女は、ステラの存在を思い出した。
あの影武者の少女が、アステルのそばで過ごした年月を。
ルビアナの心は、嫉妬と理解の間で揺れた。
彼女は高貴な生まれでありながら、愛の重さを初めて感じていた。
式のクライマックス、指輪の交換が終わり、ルビアナはアステルに近づき、誰も聞こえぬよう囁いた。
「アステル様……本当に望む相手のもとへ行きなさい。あなたの心は、私が縛るべきものではないわ」
アステルは一瞬、目を瞠った。
ルビアナの瞳は、毅然としながらも優しさに満ちていた。
「ルビアナ、だが……」
と彼が言いかけるのを、彼女は静かに遮った。
「行って。あなたの幸せが、私の願いです」
アステルは、ルビアナの手を握り返し、深く頷いた。
広間のざわめきの中、彼は静かに退場し、馬を駆る準備を命じた。
ルビアナは彼の背を見送り、胸に残る痛みをそっと抱きしめた。
(私は彼を愛していた。でも、彼の心は別の誰かに……)
彼女の頬に、一筋の涙が滑った。
遠くの宿屋で、ステラは荷物をまとめ、旅の続きを決意していた。
だが、彼女の心はまだアステルに縛られていた。
「もう、忘れなきゃ……」
と呟きながら、彼女は宿の扉を開けた。
その瞬間、馬蹄の音が響き、彼女の視界に飛び込んできたのは、息を切らし、汗に濡れたアステルだった。
宿屋の軋む木の扉が開いた瞬間、ステラの心は凍りついた。
埃っぽい街道に、馬を駆るアステルの姿があった。
夕暮れの赤い光が彼の黄金の髪を染め、青い瞳はまるで嵐の海のように揺れていた。
汗に濡れた額、乱れた呼吸――王子の威厳をかなぐり捨てたその姿は、ステラの知るアステルとはどこか異なり、なのに痛いほど彼らしかった。
「ステラ!」
アステルの叫びが、宿屋の周囲に響いた。
彼女は一歩後ずさり、荷物を抱えたまま立ち尽くした。
心臓が激しく脈打ち、灰色の瞳が揺れる。
「……なんで……ここに?」
声は震え、言葉にならなかった。
彼女は旅を続け、アステルを忘れようと決めたはずだった。
なのに、彼の存在は一瞬でその決意を砕いた。
アステルは馬から飛び降り、ステラに駆け寄った。
息を切らし、彼女の肩を強く掴む。
「お前を探した……どこに行ったって、俺の心はお前を追いかけてた」
彼の声は熱を帯び、まるで抑えきれぬ想いが溢れ出すようだった。
「ステラ、俺が本当に愛しているのはお前だけだ」
その言葉は、ステラの胸に鋭く突き刺さった。
彼女は目を伏せ、唇を噛んだ。
涙がこぼれ、頬を伝う。
「ずるいよ……アステル」
声は掠れ、震えていた。
「やっと忘れられると思ったのに……やっと、諦められたと思ったのに……!」
彼女は荷物を落とし、拳を握りしめた。
4年間の影武者の日々、彼のそばで募った恋心、王宮を去った夜の痛み――すべてが一気に蘇り、ステラを飲み込んだ。
アステルは一瞬も迷わず、ステラを引き寄せた。
彼の腕は力強く、なのにどこか壊れ物を抱くように優しかった。
「俺も、ずるいかもしれない。だが、お前を失うことなんてできない」
彼はステラの顎をそっと持ち上げ、涙に濡れた灰色の瞳を見つめた。
「ステラ、俺はお前を愛してる。ずっと、ただのお前だけを」
その言葉に、ステラの心の堰が決壊した。
彼女はアステルの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らした。
「私……私も……アステル、ずっと大好きだった……!」
言葉は途切れ、涙が彼の服を濡らした。
アステルは彼女を強く抱きしめ、静かに髪を撫でた。
そして、ゆっくりとステラの顔を上げ、彼女の唇に熱い口づけを贈った。
そのキスは、まるで時間そのものを溶かすようだった。
ステラの涙が止まり、彼女はアステルの首に腕を回し、彼の熱に応えた。
二人の鼓動が重なり合い、宿屋の粗末な庭に、まるで世界に二人だけが存在するような静寂が広がった。
夕陽が地平に沈み、彼らの影を長く伸ばした。
「ステラ、俺と一緒に帰ろう」
アステルは囁き、彼女の手を握った。
「お前がそばにいれば、どんな未来も怖くない」
ステラは涙を拭い、初めて心からの笑みを浮かべた。
「……うん、アステル。どこへだって、ついていくよ」
二人は抱き合い、互いの愛を確かめ合った。
その瞬間、ステラの心に宿っていた孤独は、温かな光に変わっていた。
フラジール王宮の大広間は、未だ結婚式の余韻にざわめいていた。
貴族たちの囁きと、盃の触れ合う音が響く中、扉が力強く開かれた。
そこに現れたのは、アステルとステラだった。
アステルの手はステラをしっかりと握り、その青い瞳は揺るぎない決意に満ちていた。
ステラは、旅装の埃をまとったままだったが、灰色の瞳には新たに宿った光が輝いていた。
貴族たちの視線が一斉に二人に注がれ、ざわめきが静寂に変わった。
アステルはステラを伴い、広間の中央へ進んだ。
彼の背は王子の威厳を取り戻し、しかしその瞳には愛する者を守る熱が宿っていた。
「皆に告げる」
と、彼の声は力強く響いた。
「この者を、俺のそばに置く。彼女は俺の心を支え、俺の命を救った存在だ」
ざわめきが再び広がった。
貴族たちの視線は、驚きと好奇に満ちていた。
ステラはアステルの手を握りしめ、胸の鼓動を抑えた。
彼女は知っていた――自分は孤児であり、王子の正妃となる資格はない。
それでも、アステルのそばにいられるなら、どんな形でも構わないと、心は静かに決まっていた。
その時、ルビアナが静かに前に進み出た。
深紅のドレスが燭台の光を浴び、彼女の気品は広間を圧倒した。
貴族たちの囁きが止まり、彼女の声が澄んだ音色で響いた。
「私は、公爵家当主として宣言します。この娘、ステラを我が家の養女として迎えます。彼女はこれより、ルビアナ家の名の下、王家に仕える者となるでしょう」
広間は一瞬、静まり返った。
ステラは目を瞠り、ルビアナを見つめた。
彼女の冷ややかな瞳は、かつての鋭さではなく、静かな優しさを湛えていた。
ルビアナはステラに近づき、小さく微笑んだ。
「あなたは彼を幸せにする力を持っている。私にはそれがわかる」
その言葉は、ステラの心に温かな波紋を広げた。
彼女は涙を堪え、深く頭を下げた。
「……ありがとう、ルビアナ様」
アステルはルビアナに視線を向け、感謝の意を込めて頷いた。
ルビアナは静かに退き、広間の中心を二人に譲った。
貴族たちの間から、祝福の拍手が湧き上がった。
それは、伝統と格式に縛られた王宮では異例の瞬間だった。
その夜、ステラはアステルの私室で彼と二人きりになった。
月光が窓から差し込み、二人の影を柔らかく照らした。
アステルはステラの手を取り、そっと額に口づけた。
「お前はもう、俺の影じゃない。俺の光だ」
ステラの頬が熱くなり、彼女は彼の胸にそっと寄り添った。
「アステル……私、正式な妃じゃなくてもいい。あなたのそばにいられるなら、それで幸せだから」
彼女の声は小さく、しかし確かな愛に満ちていた。
アステルは彼女を抱きしめ、囁いた。
「お前は俺のすべてだ。どんな未来も、共に歩もう」
二人の唇が重なり、月光の下で交わされた誓いは、どんな王家の掟よりも強い絆となった。
ステラは、孤児から王家に仕える身となり、アステルの愛妾として彼の傍らに居続けた。
たとえ正妃の座を得られなくとも、彼女の心にはアステルの愛が確かに宿っていた。
そして、その愛は、フラジール王国の新たな伝説として、静かに刻まれていった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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