三十七、落着
「まずは、お前から殺してやるよ。呑気にいちゃいちゃ会話していたこと、あの世で悔やむんだな!」
フィロメナの首に斧の腹を当てたまま、男が下卑た笑いを浮かべながら斧の柄を大仰に動かし、フィロメナの恐怖を誘う。
《フィロメナ!》
《その男の脛を蹴るんだ!》
「え?」
しかしその時フィロメナは、脛を蹴ろという、脳内で聞こえた指示に思考をもっていかれて、男の挑発に怯えるより先、驚きに目を見開いてベルトランを見た。
今の声って、ベルトラン様、よね?
「ふっ。『え?』ってなんだよ。間抜けな声、出しやがって。お前から、殺してやる、って、言ってんだよ。光栄に思え?」
《フィロメナ!》
《大丈夫だ》
《必ず、助ける!》
にたにたと笑う男の、その聞くに堪えない声に交じって、フィロメナの脳内に、もうひとつの、暗殺者などと比べるべくもない、爽やかな声が響く。
尤も、今叫んでいるのは、爽やかとは縁遠い内容ではあるが。
《フィロメナ!》
《脛だ》
《脛!蹴って、隙を作ってほしい》
《あ!もしかして、脛の場所が分からないのか!?》
「なっ。分かります!・・・っ!」
「いってえ!」
馬鹿にするなと叫ぶと同時、思い切り男の脛を蹴ったフィロメナは、慣れない動作によろけて、そのまま男の足を踏んでしまった。
脛を蹴られ、続けて高いヒールの先端での攻撃を受けた男が、飛び上がって身もだえる。
「フィロメナ!よくやった!」
その隙に走り寄ったベルトランが、素早くフィロメナを抱き寄せ、その体勢のまま男へ魔法を放った。
「てっめえ」
突如、出現した炎の檻のなかで男が怨嗟の声をあげ、解除を試みるも、炎の檻は消えるどころか、益々燃え盛る。
「流石だな、ベルトラン。君も、よくやってくれた」
王太子セリオが、ベルトランと、それから護衛の近衛騎士に、そう声をかけた。
その場に広がる、安堵の空気。
これで、一件落着、かな。
フィロメナもほっとして、大きく息を吐く。
「これでやっと。証拠を突きつけて戴冠式ね。まあ、式自体は色々用意があるけど、実質ってことで」
「それはもう、とっくにだった気がするわ。メラニア」
「姉上たちも、漸くご結婚できますね」
これで漸くと話す、メラニア王女たちの会話を聞いているフィロメナの傍では、ベルトランがしきりにフィロメナの体を心配している。
「ベルトラン様。ありがとうございました」
「いや、遅くなってすまない。首は大丈夫か?体も、捻っていただろう。すぐ、医者を手配するから・・いや。俺が運ぶ方が早いか?」
ベルトランが、おろおろとフィロメナの首を見つめ、足を見つめしていると、廊下が騒がしくなった。
「ベルトラン!曲者は・・・・ああ。ご苦労だった。回収は、こちらに任せろ」
「はい。お願いします」
部下を率いて現れた近衛騎士団の団長は、苦笑と共に、炎の檻に囚われた男と、ベルトランを交互に見やると、素早く気持ちを切り替えたように、部下に捕獲を命じる。
「さあ、フィロメナ。医者の所へ行こう」
「え?いいえ、わたくし。別に怪我などありませんので、大丈夫です」
慌てて手を振るフィロメナに、ベルトランは、難しい顔で首を横に振った。
「いいや。俺には、足を捻ったように見えた。大した痛みでなくとも、診てもらった方がいい」
「いえ、でも本当に」
「ロブレス侯爵令嬢。そんなに慌てるベルトランも珍しくて、もっと見ていたい気持ちになるが。医者には診てもらってくれ。その方が、私たちも安心できる」
延々と続くかと思われた、ベルトランとフィロメナの遣り取りは、王太子セリオのひと言で幕となる。
「ロブレス侯爵令嬢。ベルトランを安心させてやってくれないか?」
「お医者に診てもらった方が、私たちも安心できる」
カルビノ公爵に言われ、父であるロブレス侯爵にも言われたフィロメナは、母も頷いているのを見て、ベルトランに向き直った。
「では、あの。お願いしても、よろしいですか?」
「ああ。任せろ」
「え!?あの!」
任せろと、言うが早いかフィロメナを抱き上げたベルトランに、フィロメナは驚きの声をあげてしまう。
「まあ。とってもお似合いよ。そうだ!婚姻式の時もそうやって、出て来たらどう?」
「カルビノ公爵夫人。それは、お式の後、神殿の扉を出る時ということですか?」
「ええ、そう!扉の外側で、出席してくださった皆様と、わたくし達が待っているじゃない?その時に、するのよ!」
「まあ。素敵ですわ」
抱えられ、運ばれて行くフィロメナの背後で、実母と、義母になる予定のふたりがきゃっきゃと騒いでいるのを、フィロメナは顔を引き攣らせて聞く。
「婚姻式の、退場の際か。ヴェールが長いからな。工夫が必要か?」
「え」
そして、自分を抱き上げているベルトランの、その真顔での呟きに、フィロメナは本当にやるつもりかと、固まった。
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