二十五、靴は心 ~ベルトラン視点~
「これが、フィロメナの靴」
「ああ、ベルトラン。気持ちは分かるけど、ちゃんと履けよ?・・・おーい、聞いているか?」
野営のテント内で、崇めるように靴を見つめるベルトランに、フィデルが呆れたような表情で、けれど何とか現実に引き戻すよう、ひらひらと顔の前で手を振りながら声をかける。
『今回、雪原を歩くにあたり、とある企業からの協力を得られることになった。《かくれんぼ》の靴といえば、社交界だけなく第一騎士団でも採用されているので、知っている者も多いと思うが。提供されたのは、雪に特化した靴ということで、試用も兼ねて雪原を歩き、問題が無いようであれば、その先の訓練にも使うこととする』
そう、教官から説明があった《かくれんぼ》の靴は、保温性、防水性に優れているとかで、既に寒い野営地に居るとあって、他の訓練生たちは嬉々として即座に試していたが、ベルトランだけは、いつまでも眺めるばかりで履こうとしない。
「履く。もちろん、有難く履くとも」
やがて、大きな決断をするかのような、大仰な物言いをしたベルトランは、漸くその靴に足を入れると、感嘆の声を漏らした。
「凄いな。温かいし、履き心地がいい」
「ああ、本当に素晴らしい出来だ。延々と雪原を歩くなんて、どんな苦行だと思ったが、これがあれば大丈夫そうだ。ロブレス侯爵令嬢は、俺達の天使だな」
フィデルも心から安心したように言い、ベルトランも笑みを零す。
「こうしているだけで、フィロメナの優しさが伝わるようだ・・・なるほど、天使か。言い得て妙だが、フィデル。フィロメナは、俺達の天使、というよりは、俺の天使だと思うが」
しみじみと言ったベルトランは、フィロメナの笑顔を思い出し、ますます笑みを深くした。
「あー、まあ、その辺りは勝手にしてくれってことで。しかし、本当に良かった。これから果てない雪原を越えるなんて、凍えて足がやられそうだと不安だったが。足もとの不安は、これで解消だな」
「ああ」
「はっ。そううまくいくかね?たかが靴が違うだけで?試用に決まってのだって、ベルトランの婚約者だからって、融通されたんじゃねえの?」
そんなベルトランとフィデルの会話に割り込んだのは、同じく訓練生のひとりで、ベルトランより一回り以上年長のアレホ。
騎士団では、小隊の隊長も務めている実力者ではあるが、訓練生同士は身分、地位に関係なく扱われるため、日頃から不服を感じているようで何かと苦情が多く、他の訓練生からは、密かに『苦情さん』と呼ばれている。
なので、今の彼はある意味通常運転なのだが、相手がベルトランで、内容がフィロメナ関連だというのが、アレホの運の尽き。
普段の鬱憤晴らしのようにはいかないと、アレホもすぐに気付くことになる。
「融通?フィロメナの実力は、第一騎士団でも証明されているが?」
一度は履いたものの、脱いで苦情を訴えている様子のアレホに、ベルトランが静かに話しかけた。
途端、かかったと言わぬばかり、アレホが口の端をあげる。
普段、アレホが何を言おうと口を挟まないベルトランの方から話しかけたことで、最高の標的が捕まったと思っているのか、アレホは目に見えて上機嫌になった。
ああ、やってしまったな。
しかし、それを見ていた周りは、アレホに呆れたような視線を送る。
この数か月、共に訓練を受けた者の性質も見抜けないようであれば、それは、それまでのこと。
「第一騎士団に認められている?だからなんだよ。雪原、舐めてんじゃねえの?何も知らねえご令嬢が。もしものことがあったら、どう責任取ってくれるんだ?なあ。そこまで考えて履いてんのかよ?」
ここぞとばかりの鬱憤晴らし。
要は八つ当たりで、わざと大げさに、吐き捨てるように言ったアレホが、他の、既に靴を履き替えている仲間を小馬鹿にした目で見る。
「そうか。気に入らなかったのなら、仕方ない。履かなければいいだけのことだ」
「は?」
簡潔にことは済むと言って、ベルトランは小さく頷いた。
「試用だと、教官も言っていたではないか。納得がいかないというのなら、拒否すれば済むことだ」
「そんなん、出来るわけ」
「規定がある。問題ない」
「なっ」
きっぱりと言い切るベルトランに、アレホは困惑の表情を浮かべた。
「べ、別に。履かないとは言っていない。試用と決まったのなら、仕方がないから履いてやってもいい・・そうだ。お願いってやつ、してみろよ」
開き直ったように言うアレホに、しかしベルトランは首を横に振る。
「そんな必要は無い」
「必要は無い、って。だけど、売れなきゃ困るだろ?」
「この靴は、フィロメナの心だ。訓練が滞りなく進むよう、考えてくれたフィロメナを貶めるような奴に、履く資格は無い」
「そんな・・・俺は、ただ」
ただ、苦情を言いたかっただけで、本当に拒否するつもりなど無かったアレホは、追い詰められて焦りの表情を浮かべた。
「試用と決まった物が気に入らないからって、心配は要らないぜ?試用を決められた武具や防具、装備に関し、自身の命や身体への影響が懸念される場合は、それを申し出て、拒否することが出来るという、俺達の権利があるじゃないか」
そしてフィデルが、まさか忘れたのかと、補足という名の追撃を繰り出し、ベルトランは、さっさとアレホの靴を回収しようと動く。
「い、いや。履くのは業腹だが、靴、余っちまうだろ?いいよ、履く。仕方ないからな」
「そんな風に諦めて履く必要は無い。俺がもらう」
「いや、ベルトラン!それはずるいだろう!だったら俺が」
苦情男アレホが、己の靴だと取り返そうとするも、ベルトランとフィデルは、既に不毛な戦いを繰り広げており、アレホは、訓練生のなかでも実力者のふたりに割って入ることが出来ない。
「あんないい靴の試用を許可されておいて、これまでの靴で挑戦するなんて。アレホは勇気があるな。男気ってやつか?」
「見事、合格してみせてくれ」
そうこうするうち、他の訓練生も、それで決まりだと口を出し、結局、アレホだけは、試用の靴ではなく、従来通りの靴で雪原に挑むことになった。
「・・・はあ。今夜はここで一泊して、明日からは雪山を行軍する?死人が出るぞ」
「その前に回収されると言っていたではないか。安心しろ」
フィデルの言葉に、ベルトランが真顔で答えれば、周りからも苦笑が漏れる。
「確かに。それだけが、救いだよな。それと、この靴」
「まったくだぜ。ベルトラン。婚約者に、くれぐれもよろしく伝えてくれ」
訓練生たちは、口々にそう言うと、満足そうに己が履く靴を見た。
真冬の訓練のなかでも、最高潮と思われた雪原歩きを終えたと思ったその瞬間、麓で一泊してからの雪山行軍を発表されながらも、何とか踏みとどまっていられるのは、靴の温かさ、濡れなさにもあると、訓練生たちは、迫る雪山を見つめる。
「あれを越えれば、目指すものにまた一歩近づく」
ベルトランの呟きに、それぞれの志を抱いて参加している訓練生たちが、一様に頷きを返す。
年代もばらばらで、士官学校で同期だった者同士なども存在しない彼らに共通しているのは、士官学校の卒業時、三席までに入る優秀さで騎士爵を得ていること。
それぞれが、それぞれの目指すもののために。
騎士たちは、明日、雪山に挑む。
あれ?
アレホは?
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