二十、医師、ロラ。
「すぐにお医者様が参りますので、こちらでお待ちください」
「はい」
フィロメナが侍女に案内されたのは、今宵の夜会のために用意されている休憩室より奥にある部屋だった。
この部屋に来たのは、ロレンサ王女とフィロメナ、そして侍女のみで、マリルー王女とダフネ、アリタは、メラニア王女と護衛騎士たちによって何処ぞに連行されて行った。
『お姉様。こちらは、お任せくださいませ』
『ええ。お願いね』
『はい。親玉が出て来ても、きちんと対処いたしますので、ご安心くださいませ』
そう、なかなかに物騒なのではという内容を、朗らかな笑顔で言い切り、軽やかな足取りで去って行くメラニア王女は、とても楽し気だったとフィロメナは振り返る。
「愚妹が、本当にごめんなさい」
そして席に着いてすぐ、ロレンサ王女は、迷うことなくフィロメナに謝罪した。
「いえ。第一王女殿下にお謝りいただくようなことは、何もございません」
それに対し、王族に謝られるという初めての体験に少々驚きはしたものの、フィロメナは、落ち着きを失うことなく淑女の顔でそう答えてから、心のなかでやや首を傾げる。
あ。
今の言い方だと、マリルー王女殿下には謝ってもらいたいっていう気持ちが、透けて見えるどころか、あからさまに過ぎたかも。
勝手ないいがかりをつけられた挙句、風の魔法で怪我までさせられたのだから、それが本心ではあるのだけど。
王族相手に、直球で言い過ぎたかしら。
「・・・ロレンサ王女殿下。お呼びでしょうか」
『けれど、余り気弱な姿勢では、ロブレス侯爵家、ひいてはカルビノ公爵家を貶めることになるし』と、フィロメナが思っていると、そのカルビノ公爵夫妻が現れた。
そしてその後ろに両親の姿を認めて、フィロメナは胸に安堵が広がるのを感じる。
「カルビノ公爵夫妻、そしてロブレス侯爵夫妻。夜会の最中にごめんなさいね。看過できない問題が起きたものだから・・・まずは、座って」
「失礼いたします」
ロレンサ王女の言葉に従って、まずはカルビノ公爵夫妻が席に着き、続いてロブレス侯爵夫妻も腰かけるものの、その顔には拭いきれない不安と心配が色濃く表れている。
ごめんなさい、お父様、お母様。
とても驚きましたよね。
カルビノ公爵ご夫妻も、巻き込んでしまい、申し訳ありません。
「ロブレス侯爵令嬢は、王城内で令嬢ふたりと王女ひとりに絡まれ、風の魔法によって怪我を負いました」
「っ」
フィロメナが目だけで両親とカルビノ公爵夫妻に謝っていると、ロレンサ王女が淡々とした口調でそう告げ、それを聞いたカルビノ公爵夫妻とロブレス侯爵夫妻は、揃って息を呑んでフィロメナの手に巻かれた布、そこに染みている血の赤を見つめる。
「この件に関わっているのは、ダフネ・アポンテ伯爵令嬢と、アリタ・オロスコ子爵令嬢。そして、第三王女マリルーです。三人とも、既に別室で担当調査官により、尋問されています」
事情を聴くのではなく、調査、尋問ということは、お咎め無しとはいかないということね。
でも、マリルー王女殿下は、国王陛下は自分の味方だって、自信ありげだったわよね。
大臣と、東の塔への謹慎は恐ろしそうだったけど。
「はーい、失礼いたしますよ。怪我人さんは、どちらですか?」
調査、尋問対象となっているとはいえ、国王がマリルー王女に甘いことを知っているからか、カルビノ公爵夫妻もロブレス侯爵夫妻も苦い顔になり、何とも言えない空気が流れるなか、軽やかに扉が叩かれた、と思った時には、その重苦しい空気を刷新するかのような、賑やかな女性の声が辺りを支配していた。
え。
何方?
怪我人さんは、と言っているということは、お医者様なのかしら。
それにしても、随分と砕けた物言い。
「ふふ。わたくし、ロラ・パラダと申します。王城の医師でございますわ。お嬢様、お怪我されたのは、こちらの手でしょうか。少し失礼しますね」
『ロレンサ王女殿下も、カルビノ公爵夫妻もいらっしゃるのに』と、その無作法ともとれる行動を見て、フィロメナがはらはらしている間に、迷うことなくにこやかに、且つ素早い動きですたすたと入室して来たロラは、ロレンサ王女とカルビノ公爵夫妻、そしてロブレス侯爵夫妻に、流れるような一礼をすると、そのままフィロメナの所まで歩いて来て、ささっと挨拶を済ませ、早速とフィロメナの手を取る。
「ふむふむ。まあ、見事にすぱっと切れましたことね。これは、風の魔法でしょう。深く切れていますから、痛みも強いでしょうに。我慢強いですね」
傷を確認しながら、ぽんぽんと言うロラの言葉を聞いて、当事者であるフィロメナより、周りの女性陣の方が、顔を歪めた。
「消毒して、薬を塗りますね。塗り薬は、一日二回、朝晩塗り直して、その都度、ガーゼと包帯も新しいものにしてください。それから、飲み薬の化膿止めと痛み止めを出します。痛み止めは、飲まなくてもいいですが、化膿止めは全部きちんと、飲み切ってくださいね。飲み薬は、朝昼晩の三回、食後になります・・・ああ、今覚えきれなくも、ちゃんと紙に書いてお渡ししますから、ご安心ください」
「ロラ。傷は、きれいに治るかしら」
悲痛な顔でフィロメナの手を見つめるロブレス侯爵夫妻を代弁するように、ロレンサ王女が問う。
「すぱっと切れていますから、きれいに治ると思います。ただ、暫くは安静にして、こちらの手は使わないようにすること、が、必須ですが。あ、水に濡れるなどもってのほか、です」
『必ずお守りくださいね』と医師ロラに言われ、フィロメナはこくこく頷いた。
そうか。
もし傷が残ったら、ベルトラン様の婚約者でいられなくなってしまうものね。
そもそも、ベルトランが訓練を修了すれば破棄となるにも関わらず、フィロメナはそのことがとても気にかかる。
「ロレンサ王女殿下。発言を、お許しいただけますか?」
「もちろんよ、カルビノ公爵」
「ありがとうございます。では、単刀直入にお尋ねします。この怪我の原因となった者達への処罰は、どのようにお考えですか?正直に申しまして、私共は、怒りを抑えきれません」
鋭い目で問うカルビノ公爵を、ロレンサ王女は静かに見返す。
「王城で許可なく攻撃魔法を使ったこと、そして謂れなき内容で侯爵令嬢を貶め、あまつさえ暴力を振るったこと。いずれも、厳罰に処す必要ありと考えています。それを覆そうとするならば、何人であれ、秩序を乱す者として糾弾されることとなるでしょう」
何人であれ。
つまり、マリルー王女殿下を護ろうとすれば、たとえ国王陛下であろうとも、秩序を乱すと判断されるということよね。
何だか大事になってしまったけど、それだけの用意がなされているということなのかしら。
・・・・・でも、マリルー王女が処罰されることになったら、ベルトラン様は悲しまれるでしょうね。
私のことを、恨んで、責めるかしら。
「安心しなさい。私は、名医だ。傷が残らないよう、処置したから大丈夫。もちろん、傷が完全に癒えるまで、往診もしよう」
フィロメナが『でも、ベルトラン様は公正な方だから、一方的に私を責めることはせず、マリルー王女殿下をお諫めするかも』などと考えながら、手当されていく怪我を見ていたからか、ロラ医師が、にかっと元気づけるような笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「うん、うん。いい目だね。魔法で攻撃を受けるなんて、怖かっただろう。ひとりで我慢しないで『怖かった、痛かった。今も痛い』と、言いまくるのもひとつの手だ。もちろん、私相手に言いまくってもいいからね。このこと、覚えておくんだよ?」
「はい、先生」
「おお、いいね。その呼び方。気に入ったよ」
けらけらと笑いながら包帯を巻き終えたロラは、くるりと向きを変え、ロレンサ王女たちの方を向いた。
「みんなも、聞いておいてほしい。魔法で攻撃を受けたんだ。体だけでなく、心も傷付いているからね。それを忘れないように」
そして、約束通り薬を用意し、その使い方を紙に書くと、ロラは、来た時と同じように、颯爽と去って行った。
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