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十二、仮初婚約の意義







「フィロメナ様。いつも、美しい靴をありがとうございます」


「ちらりと見えても美しく、たくさん踊っても痛くならない。本当に素晴らしいわ」


 その日の夜会でも、フィロメナは、顧客となってくれている令嬢や令夫人たちに囲まれ、幸せな時間を過ごしていた。


「皆様、お気に召してくださって、とても嬉しいですわ」


「ええ。それにわたくし、夫が第一騎士団にいるのですけれど、ロブレス侯爵令嬢が発案、作成された靴が素晴らしいと、絶賛しておりました」


「わたくしの所もですわ。生憎今日はお勤めで、直接お礼は言えないけれど、もしお会いできたら、くれぐれもよろしく伝えてくれと、言付かっておりますの」


 店舗を持たずに始めた『かくれんぼ』は、順調に売り上げを伸ばし、第一騎士団に試用してもらっていた靴も、めでたく正式採用と相成った。


 そして近く、既成の靴も販売する店舗が開店する予定で、フィロメナは、忙しくも充実した毎日を送っている。


「こちらこそ、光栄でございます。よろしくお伝えくださいませ」


「ところで。今度、子ども用の靴も作られると聞いたのですが」


 おずおず、といった感じで声を発したのは、フィロメナを取り巻いている令夫人たちのなかでも、やや外側にいる、大人しそうな、未だ令嬢といってもいいくらいの年齢の女性だった。


「ええ、そうなのです。より動きやすく、軽い靴を目指しましたわ。既成のものは店頭にも並びますし、ご注文も受けておりますので、お気軽にご来店くださいませ。もちろん、店頭にてお試しの結果、嫌だと思われましたら、ご購入いただかなくて大丈夫ですので」


 新しく開発した子ども用の靴の情報も出、茶目っ気を添えて宣伝をすれば、開店時は待ち時間も長くなりそうだと言われ、その場で多くの来店予約希望が入る。




 来店予約までは、考えていなかったのだけど。


 ・・・・・必要かしら?




 来店して実際に靴を履いてみて、気に入ればその場で既製品を購入してもらうためだけの店舗ではなく、希望に合わせて邸に店員が伺い、採寸することも可能、店頭にて、この靴がいいと決めてもらい、採寸することも可能。


 そこまでは考えていたフィロメナだが、まさか、そもそもの来店予約が必要だと言われるとは、思ってもみなかった。




 まあ。


 貴族は、待たされることに慣れていないものね。




 そう納得したフィロメナが、『かくれんぼ』店舗の従業員の人数も鑑み、ひとりひとりの希望時間とすり合わせて、後日また連絡すると返事をすれば、それで構わないと言われ、改めてこの仕組みを従業員と共有する必要性を感じた。


 そしてその後、人々は、その時々に応じて既成の靴を買ったり、特別に注文したりと使い分けるようになっていく。


 更に、邸に呼んで採寸するときは、家族そろって靴を作るか、衣装に合わせて作る時、既成の物は、使用人たちに配布するのにも用いられるなど『かくれんぼ』は、次第に人々の生活のなかに溶け込んで行った。


「お疲れ」


「お兄様」


 令夫人たちとの会話も一段落(いちだんらく)したフィロメナが、ひと息ついていると、実兄のバシリオがグラスを片手に近づいて来て、フィロメナは自然と笑みを浮かべて迎える。


「今日も大盛況だね」


「お蔭さまで」


 ふふ、と笑い合い、フィロメナは兄と軽くグラスを合わせた。


「本当に楽しいわ」


 色々なドレスに合う靴、紳士が纏う衣装に合う靴、騎士のための靴、そして、子どもや赤ん坊の靴。


 こうしている間にも、フィロメナの頭のなかには様々な靴のデザインが浮かび、それを実際に作成するための材料へと思考が飛ぶ。


「あ」


 好きな事に時間を費やせる喜びを、幸せな気持ちで満喫していたフィロメナは、その視界に最近は忘れかけていたものを見つけ、現実に戻されたかのように声をあげた。


「どうした?・・って、ああ。あのおふたり様か」


 フィロメナの視線を追ったバシリオは、その先にベルトランとマリルー王女の姿を認めて、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「まあ、久しぶりに見てしまったわね。でも、遭遇はしないはずよ。以前、ベルトラン様が、そうならないよう尽力していると、おっしゃっていたから」


「しかし、あの王女。勝ち誇った顔でフィロメナを見やがって。性格の悪さが滲み出ているよな。カルビノ公爵子息も、趣味の悪い」


 日頃から、蛇蝎の如くにマリルー王女を嫌っているバシリオは、唾棄するように言い切った。


「不敬よ、お兄様。大丈夫。気にしていないわ。こちらが大人になればいいことよ」


「あっちの方が、お前より年上だろうが」


 納得いかない、あれが婚約者かと憤慨すバシリオに、フィロメナは心が軽くなるのを感じる。


  


 お兄様がこんな風に言ってくれるお蔭で、ぐじぐじ考えないで済むこと、多いのよね。


 感謝です、お兄様。




「地位も、あちらが上よ、お兄様。気にしない、気にしない」


 謳うように言って、フィロメナは小さなパイをひとつ口に入れる。


「おいしいか?」


「おいしいわ。きのこのパイね。チーズも入っていて、お兄様も好きなお味よ」


「どれどれ」


 チーズに目の無いバシリオも、そのパイを口にし、満足そうな笑みを浮かべた。


「確かに、おいしいな」


「美味しい物を食べると、とても幸せな気持ちになるわね。ひとりでないなら、特に」


 グラスのワインを飲みほしたフィロメナが、給仕から新しいグラスを受け取れば、それに倣いながら、バシリオが真顔で言う。


「カルビノ公爵子息との婚約が辛くなったら、いつでも言え。この兄が、何とかしてやる」


「お兄様・・・妹想いの心強い味方がいて、とても幸せだわ」




 本当。


 ベルトラン様とは、仮初の婚約だけれど、私は家族に恵まれて幸せだわ。


 それに。


 ベルトラン様と仮初でも婚約しているから、婚約者探しに時間を取られずに済むのだから、ベルトラン様にも感謝よね。




 心からそう思い、フィロメナは遠くから、ベルトラン様にも幸あれと、グラスを少し掲げた。



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