十、差し入れ
「近衛騎士団へ差し入れかあ。それって、訓練場に居る時がいいのよね?」
近衛騎士団は、王城内に広い訓練場と、厩や寮、司令部のある棟など幾つかの建物を有している。
王城内と言っても、王家が住居としている城からは距離もあり、門で身分を証明出来、問題ないとされれば入ることの出来る区域にあるので、ロブレス侯爵家の娘であるフィロメナが行くことに、何ら問題はない。
「かと言って、緊張しないわけじゃないけど」
初めて訪れる場所に行くのは緊張すると思いつつ、フィロメナは、ベルトランの予定表を眺めた。
「ええと、ベルトラン様が訓練場にいらっしゃる日は・・・うん。時間は色々だけれど、ほぼ毎日。努力されているのね」
因みにこの予定表は、月ごとにベルトランの母、カルビノ公爵夫人が渡してくれる物で、最初にこれを差し出された時、勝手に予定を知るようで申し訳ないと思ったフィロメナは、恐縮しながらもカルビノ公爵夫人ベレンに聞いてみた。
『わたくしが、このようにベルトラン様の予定を知ることで、ご不快な思いをされないでしょうか?』
『誰が?』
『ベルトラン様が、です』
『そんなの。却ってよろこ・・んん。大丈夫。気にすることはないわ。役立ててくれたら、それでいいのよ。でも、そうね。そんなに心配なら、ベルトランに聞いてみるといいわ』
そう言われ、ベルトランに確認したフィロメナは、短く『問題無い』と言われ、以来、図らずもベルトランの予定を把握する立場となっている。
「カルビノ公爵夫人。予定表を役立てる日が、やって参りました」
ベルトランの予定と自分の予定。
そのふたつを並べ確認して、フィロメナは二日後の午前中に行くことに決めた。
「ベルトラン様、どんなお顔をされるかしら?」
ベルトランに、自分が共に行けない夜会にはいかないでほしいと言われ、強く却下してから初めて会うフィロメナは、近衛騎士団の門を前に、緊張気味に立ち止まった。
ベルトラン様に言われて、マリルー王女殿下から手紙が届いて。
自由にするって気持ちに変わりはないけど、結構強く言ってしまったから、気まずくもあるわね。
完成した騎士靴は、父の伝手で第一騎士団に試用してみてもらえることとなり、今のところ評価は上々。
更に、子供用の靴は作れないかとの要望も届くようになって『かくれんぼ』は、幾つかの部署を作るまでに成長している。
あの時は、焦りもあったのよね。
正直に、そう言って謝ろう。
・・・・・自由にするというのは、撤回しないけど。
自分の趣味が色々な靴を考案したり、デザインを考えたりすることだということを、既にベルトランに白状しているフィロメナは、そう気持ちを切り替えた。
それにしても、重い。
まあ、たくさん詰めたものね。
あれだけ詰めれば重くとも当然と苦笑したフィロメナは、何となく人任せにしたくなくて、馬車から自分で運んで来た、大きな蓋付きのバスケットを持ち直した。
『あのね、フィロメナ様。わたくしが持って行ったのは、皆さんで食べられるような物と、ひとり分より少し多めの昼食だったのだけれど。彼、すごく喜んでくれて『一緒に食べよう』って。でも、ふたりで食べるには物足りなくて、でも少し足りないそれを、ふたりで分け合って食べるの、凄く幸せだったの』
思い出すのは、アラセリスが、嬉しそうに言っていた言葉。
ベルトラン様も、そう言ってくれるかしら。
このバスケットを開け、そうなってもいいように、多めに用意したサンドイッチを見て、ベルトランがどんな顔をするのか、なんだか楽しみなフィロメナだった。
「フィロメナ」
近衛騎士団の門番に、訪問目的と訪問相手を告げたフィロメナは、そのまま訓練場へと案内され、ほどなくその入り口でベルトランと会うことが出来た。
「ベルトラン様。突然すみません。実は、差し入れをしたいと思って・・・こちらなのですが」
「ああ。ありがとう。門まで送ろう」
「え?」
そう言ったベルトランは、フィロメナが差し出したバスケットを、礼の言葉と共に受け取ると、フィロメナの戸惑いに気付く様子もなく、そのまますたすたと歩き出した。
え?
え?
ベルトラン様?
なんか、たくさんの人がこちらを見ていますけれど、このまま私、帰るのですか?
何方にもご挨拶せず?
しかし、そのような事を口に出すことも出来ないまま、フィロメナは近衛騎士団の門まで戻って来た。
「では。これは、有難くいただく。気を付けて帰ってくれ」
「はい。お邪魔いたしました」
混乱しつつもきちんと礼をして、フィロメナは近衛騎士団の門を潜って外へ出る。
そして、歩いているうちに気持ちも落ち着いた。
・・・・・そうよね。
私は、仮初の婚約者なんだもの。
そんな私が、ベルトラン様のお仕事仲間の皆さんに挨拶なんて、おかしいものね。
アラセリス様が凄く幸せそうだったから、ちょっと勘違い・・夢を見てしまったわ。
「いけない、いけない」
自分を励ますように言ったフィロメナが見上げた空には、昼間の陽が輝いていて、その眩しさに思わず涙した。
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