一、婚約者との語らい
「フィロメナ。俺はこの度、魔法騎士の特別訓練を受けられることになった」
婚約者であるベルトラン・カルビノ公爵子息がそう言った時、ロブレス侯爵家長女のフィロメナは、まったく違うこと・・今日履いている自分の靴の事を考えていた。
やっぱり、靴は鹿革が最高よね。
きちんと鞣すと、それはもう、履き心地が違うわ。
「魔法騎士の、特別訓練ですか?」
それでも、そんなことは日常茶飯事のフィロメナは、思考を切り替え返事をする。
「ああ」
今ふたりが歩いているのは、フィロメナの生家であるロブレス侯爵家自慢の庭園。
季節も春を迎え、よく手入れをされた美しい花々が色とりどりに咲き乱れているのだが、ふたりは、それらを見ても何を語ることなく、立ち止まることもなく、ただひたすらに歩いていた。
しかも、並んで歩くのではなく、前後で。
そんなふたりに漸く最初の会話が生じたのは、広い庭園の中央付近にある大きな池にかかる橋へと、到達しようかという頃だった。
しかも、会話と言っていいのか、というほどに短いそれを、しかしフィロメナは当然と受け止める。
相変わらず、私と話をするのは嫌そうね。
それもそうか。
私は隠れ蓑の婚約者で、本命はマリルー王女殿下なんだから。
魔法騎士の特別訓練も、恋しい彼女のため、か。
魔法騎士の特別訓練とは、その名の通り特別なもので、魔法騎士であれば誰でも受けられるというものではなく、魔法騎士としての経験と実績、加えて人品も求められるため、試験を受けるだけでも大変に狭き門となっており、その資格を得たというだけでとても名誉なことだということは、フィロメナでも知っている。
しかしそれ故に、内容は秘匿されている厳しい特別訓練を無事修了できれば伯爵の地位を得ることが出来るという、ベルトランのように、公爵家の生まれとはいえ、三男で家を継げない貴族子息が得ることの出来る、最高の出世道ともなっていた。
そうよね。
マリルー王女殿下に相応しい立場、ほしいわよね。
ベルトランは既に、自身で騎士爵の地位を得ているが、王女が降嫁するには爵位が足りない。
通常であれば伯爵でも難しいだろうが、生家が公爵家ということ、何より魔法騎士の特別訓練を修了したという実績があれば、認められないということは無いのだろうとフィロメナは考える。
でもだからこそ、魔法騎士の特別訓練は非常に厳しいと聞くわ。
それこそ、やっと得た資格なのに、修了まで耐え切れずに途中離脱する方の方が多いって。
でもきっと、ベルトラン様なら、やり遂げるのでしょうね。
マリルー王女殿下のために。
どれほど厳しくとも、己の信念、真に欲するもののために成し遂げるのだろうと、フィロメナはベルトランの広い背を見つめた。
「ベルトラン様が、特別訓練を望んでいらっしゃるとは知りませんでしたが。おめでとうございます」
「ありがとう。目標としていても、受けられるかどうかは分からないからな。もし叶わない時は恥だと思って言わなかった。だが、こうして受けられることになったからには、無事、遊撃の地位を得ると約束する」
『特別訓練を受けたいと思っていたなんて、知りませんでした。初耳です』という、少々の嫌味を込めて言ったフィロメナに、ベルトランは少し照れたような、淡い笑みを浮かべて言う。
なっ。
そ、そんな風に言われると、私の心が狭いみたいじゃない。
しかもそんな、照れたみたいな顔。
不覚にも『ちょっと可愛い』とか思っちゃった気持ちを返して!
「えと・・あの・・・え?遊撃の地位、ですか?伯爵位ではなく?」
初めて見るベルトランの表情に、ひとりおろおろしてしまったフィロメナは、漸く聞きなれない言葉を言われたことに気付き、聞き返す。
「伯爵位も貰えるが、遊撃の立場も得ることが出来る。つまり、自由に動くことが出来るというわけだ」
「そうなのですね・・・遊撃」
自由に動くことが出来ると言われても、普通の魔法騎士と何が違うのか、今一つ理解できていないフィロメナだが、それをベルトランが目指しているということだけは、よく分かった。
きっと、ご自分の立場をもっと高める、ということよね。
ベルトラン様の想い人は、マリルー王女殿下なのだもの。
その立場を得ていた方が、より相応しい地位を得られるということなら、納得だわ。
「ああ・・・それで」
『王女殿下に相応しい立場を得るって大変なのね』と、フィロメナがひとりで納得していると、ベルトランが、ちらりとフィロメナに振り向き、何かを言いかけるも、続きを音にすることなく再び歩き出す。
「ベルトラン様?」
「これは、言い難い、というか。言いたくも無いのだが・・・」
え!?
何ですか!?
こっちに背中むけて、ぼそぼそ言っても聞こえませんが!
「わたくしに、お話しなさる必要のある事柄でしたら、お願いします」
何やらぶつぶつ言っているベルトランに内心で苛々と怒りまくりながらも、表面は淑女としての笑みを張り付けて言ったフィロメナに、ベルトランが小さく息を吐いた。
「申し訳ないが、訓練期間は、自由に外出も出来ない」
『すまない』と重ねて言うベルトランに、フィロメナは小さく首を横に振る。
「お謝りになることなんて、ありませんわ。つまり、こうして我が家をお訪ねくださることも難しいということですわよね?」
「そうだ」
「因みに、わたくしの方からお会いしに行くことは可能ですか?」
これまで、幾度か魔法騎士の詰め所へ差し入れをしたことのあるフィロメナが問えば、ベルトランが厳めしい顔つきになった。
「面会や娯楽は、全面禁止されている」
「そうなのですね。ご家族でも?」
「例外は無い」
「まあ」
訓練中は、家族を始め誰に会うことも禁止されていると聞き、フィロメナは、驚愕して目を見開いてしまう。
厳しいというのは、そういう面も含めてなのね。
家族や友人にも会えないなんて、精神的にとても厳しい環境だもの。
それに娯楽も無しだなんて。
癒しは何処に?
「一年だ」
「はい」
「一年で、遊撃の地位を得てみせる」
堂々と言い切るベルトランに、フィロメナは微笑みを浮かべた。
「ベルトラン様なら、きっとやり遂げると信じております」
「ありがとう。期待を裏切らないと、約束する。だから・・いや、何でもない」
ふむふむ。
で、その一年が終わったら婚約解消かしらね。
何かを言いかけてやめたベルトランに、フィロメナは来る一年後を思う。
カルビノ公爵家の三男であるベルトランとロブレス侯爵家の長女、とはいえ家を継ぐ兄のいるフィロメナの婚約が何故成立したのか。
それはもう、政略というひと言に尽きるということを、フィロメナは良く知っている。
何故ならベルトランは、マリルー王女殿下と幼い頃から交流があり恋仲だ、ということを、フィロメナは、マリルー本人から聞かされたのだから。
『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』
そう言ってにっこり笑ったマリルーは、可愛くも相容れない性質だったとフィロメナは回想する。
尤も、ひとの趣味など色々なので、ベルトランがマリルーに惹かれていようとも趣味が悪いなどと断じるつもりはない。
ただ、巻き込まないで欲しかったとは思う。
でも、格好いいとも思うのよね。
望めば恐らく、生家のカルビノ公爵家が持つ伯爵位を得ることも可能だったろうに、家の力に頼ることなく日々研鑽を重ねるベルトランは、凛として清しいとフィロメナは感じている。
銀の髪に紫の瞳という貴公子らしい容姿に加え、長身で鍛えた体躯を持つベルトランは、令嬢たちにとても人気があり、魔法騎士としての評価も高い。
でも、それだけじゃないのよね。
確かにそれもベルトランの魅力ではあるが、真の魅力は他にあると、フィロメナは凛と佇むベルトランを見つめた。
信念があること。
それを貫く、強い意志があること。
羨ましくない、なんて言ったら、嘘よね。
その信念をもってベルトランが得ようとしているのは、マリルー王女に相応しい地位。
それほどの想いを、ベルトランから捧げられるマリルー王女を思い、令嬢除けの隠れ蓑婚約者にすぎないフィロメナは、小さくため息を吐いた。
ありがとうございます。