カスミソウ、揺れる、
『だからあなたは脳内お花畑なんですよ!』
討論番組と思しき半円状の人物配置。中央右手、和服姿の初老の男性が喧しい声を上げた。
国はすさまじい勢いで軍備を拡充していますが、その前にもっと、国同士の話し合いだとか……やるべきことが、あるのではないでしょうか――、
同じく討論相手として〝招聘〟されたとする学者が、平易な言葉でようやくのことでそれだけを呟き終えた瞬間だった。
間髪入れずに大声を張り上げたのだ。
コートをハンガーに掛けようとした手も宙ぶらりんに、しばし唖然としてテレビを見つめる。
恰幅の良い外見から誰かはまったく解らないが、テーブルに据えられたネームプレートの文字から察しがついた。
岡山の父が近頃熱を上げている人物だ。
父は昨年76歳を迎えてからというもの、認知機能に衰えが見え始めた。
解りやすい二元論や、〝世界の秘密〟を称する陰謀論に陶酔するようになったのだ。
最近では「真の歴史」に目醒めたらしい。携帯を打ち慣れていないことに由来するたどたどしい文字列で、長文のメールを私に送ってくるようになった。
当時子どもであった私のこめかみを幾度も拳でぶん殴ったことなど、とうに忘却の彼方らしい。
今も昔も変わらず、私は父にとり所有物であり、痰壺であり続けているということだ。
なにはともあれ、コートを掛け終えた私は改めてテレビを注視する。
モニタの中の和服は相変わらず、「現実」に即せば軍備拡充は当然であり、むしろ足りないくらいだ、と返答としてはいささか的を射ていない独自の持論を滔々と繰り広げている。
私には政治のことはよく解らない。
右派だとか左派だとか、乱暴な括りのどちらにも与するつもりはない。
ただひとつ、呑気さの形容として「花」を用いた点だけは正直ひどくむかついた。
駅前の生花店に勤める身ならではの、極めて個人的な憤りだということは重々承知している。
この和服にとっては花よりも、きな臭い武器で脳内を満たしていることのほうがよほど〝偉い〟ことなのだ。
冷静に考えれば現実に武器を手に取るのはこの和服のジジイではなく若者の役目となるはずだが、その点に言及されることはない。
「脳内お花畑のなにがいけないんだろう、」
六畳一間のフローリングで膝を抱えながら思わずぽつりと呟いた。
世界中の武器を瞬時に花に変える能力が一夜にして手に入らないものだろうか。
ふと、そんな他愛もない夢想をする。
そうすれば不毛な争いはことごとくなくなる。
武器が花となったという物理的な理由ばかりではない。花を見て心が荒む人などいない。
その人は本来の優しさを取り戻し、人々は協力し合えるようになるだろう――。
そこまで考えを巡らして馬鹿らしくなり、リモコンを操作して和服のドアップを断ち切る。
花が好きだ。
アネモネが好きだ、カサブランカが好きだ、スミレ、キキョウ、シクラメン、コスモスが好きだ。
鮮やかな色合い、鼻孔をくすぐる微かな甘い匂い。
見ているだけで幸せになれる花をただ求めて、高校卒業後に他県の生花店に就職して二十年となる。
卒業と同時に、高校生活と並行して貯めたなけなしのバイト代を握りしめ、逃げるように実家を出て一人暮らしを始めた。
小学生の頃から、両親は私を散々に打ち据えた。
竹ぼうきの柄で背骨を打ち付け、私が友人から借りた漫画を破り捨て、癇癪を起こしては罵声を浴びせ続けた。
容姿を笑われた。人格を否定された。両親に宛てて弁護士を介し内容証明を送付したのが昨年のことだ。
遺産(といっても大した金額にはならない)はいらない代わりに、もうあなた方と関わることはできない、といった内容である。
しかし内容証明を受領した母は、それを連名の父ではなく自身が「婚活」を強い続けている実家住まいの姉に見せたらしい。
なぜ今になってこんなことを言うんだと憤慨している、と姉から電話が掛かってきて知った。
う、と思わず膝の間に顔を埋める。
怒りが遅れてくる。
花が好きな人は皆一様に優しいという。
だとしてもこの優しさが仇となって、両親は私を攻撃し続けた。
怒らない。逆らわない。〝だからなにをしてもいい〟、そういう理屈だ。
涙で濡れた顔をゆっくりと上げると、グラスに活けたカスミソウが目に入る。
換気のために僅かに開けた窓から風がすうとなだれ込み、カーテンとカスミソウを優しく揺らした。
花が好きだ。例え傷ついたとしても。人を傷つけるくらいであれば、花が好きである自分でいたい。
ゆっくりと立ち上がり、食事の支度をするべくキッチンへと向かった。
明日も仕事だ。花が待っている。
(了)