2ー2
「昨日ぶりだな、セシリア嬢」
応接室のソファに腰掛けた美貌の皇女がセシリアに向かって笑いかけた。まるで自宅の如く悠々自適に腰掛けているスカーレットとは対照的に、彼女の相手をしていたジェームズは彼女の雰囲気に圧倒されすっかり縮こまっている。
父が皇女に礼をしたのにセシリアも慌てて倣う。
「朝っぱらからすまないな。要件はとっくに察しているとは思うが、セシリア嬢には王宮へ来てもらいたい。」
「昨日のことなら、私に話せることは全てお話しした筈ですが、、。」
「事情が変わった。それも糞みたいに面倒な方向に。」
そうやって心底面倒だといった様子でスカーレットが言い放つ。仕事としてバイロイトを訪問しているのだが、いまいちやる気が無さそうに見える。
「あの、、なぜ皇女殿下がわざわざ家まで来られたのですか?」
「王宮は今ちょっとした騒ぎになっている。そんな所にいたら余計な仕事を割り振られるのが目に見えているだろう。」
「大丈夫なんですかそれ。」
つまり、サボりの口実として私の家まで来たのだろうか。出会ってたったの2日しか経っていないのに、何となく皇女の性質を察したセシリアである。
セシリアの隣では父親が皇女と普通に会話を交わす娘を信じられない様な目で見ている。うっかり真犯人になりかけたセシリアの精神はちょっとやそっとでは揺らがなくなっていたのだ。
「悪いな、詳しい事は説明できない。捜査情報を洩らすと局長が五月蝿いからな。取り敢えず王宮まで来てくれ。」
来てくれ、と頼む様な口調であるが既にセシリアが王宮へ訪ねる事は決定事項のようだ。話は終わりだと言わんばかりにスカーレットは帰り支度を始める。
セシリアは何となく胸騒ぎを覚えた。心当たりこそ全く無いが、何か途轍もなく大きな渦に巻き込まれるような予感がする。
ふと窓の外から空を見上げると、憎らしい程に太陽は輝いている。しかし、遥か向こうには薄暗い、不穏な色をした雲が広がっていた。
*
「帰ったぞ。」
セシリアを連れたスカーレットが王宮の一角にあるドアをノックも無しに開け放つ。皇女と令嬢が王宮内を共に闊歩していたら目立つのだろうが、幸が不幸か皇女の普段の素行によりあまり注目されずにすんだ。
王宮に足を踏み入れる機会の殆どないセシリアにとって、王宮は非常に新鮮な場所であった。
星を神聖視するこの国らしく、至る所に星座神話の神々の像や煌びやかな夜空を模った装飾などがなされている。それらの輝きも、セシリアの隣を歩く美貌の皇女により霞んでしまっていたのだが。
「レティ、ノックくらいしろ。ーーセシリア嬢、よく来てくれた。」
そうセシリアに声をかけたのは、皇太子であるジルフォードだ。白を基調とした軍服を身に纏い、彼の瞳と同じ群青色の宝石を用いた装飾品を身につけている。妹の行動にその群青色の瞳に呆れの色が浮かんだが、セシリアへと目線を戻す頃には昨日と同じく優しげに目元は細められた。
この部屋の顔面偏差値がやばい、とセシリアは思う。そして切実に帰りたいとも。
「そもそも休日出勤だ。仕事しただけ有難いと思え。」
「こうなったのは貴方の女癖のせいでしょう。」
「私の知ったことではないな。」
「そろそろ刺されるわよ。」
同席していた美女が皇女に対してとんでもない物言いをしたのにセシリアは驚く。誰も特段変わった様子を見せないのを見るに、これが通常の反応であるだろう事にも更に驚く。
「驚かせちゃってごめんなさいね。私は王立憲兵局局長のルネ・シャロン。これでも星将軍よ。」
そうやって微笑んだのは、蠍座を冠する星将軍ルネ・シャロン。セシリアだって現役の憲兵局長が星将軍であることくらいは知っている。ただ、顔を見るのは今日が初めてだ。
暗めの金髪を1つに括り、三つ編みにして肩に流している。1つだけある灰色の瞳がセシリアを見て微笑んだ。残りの1つは縦に一直線に刻まれた傷跡により、永遠に閉じたままなのだろう。
「昨日は大変だったわね。憲兵局の人間まで貴方に失礼な態度をとっていたそうだし、本当に申し訳なかったわ。」
「いえいえお気になさらず!、、あの状況で後から来た憲兵の皆さんなら、まず私を疑うと思います。」
「そう言ってくれるとありがたいわ。」
余裕のあるお姉様、といった雰囲気の人だ。昨日のおっかない顔した憲兵の上司がこんなお姉様だとは俄かに信じがたい。
「さっさと本題に入るぞ。」
「さっさと帰りたいからって貴方ねぇ。元はと云えば貴方がセシリア嬢にちょっかい掛けたせいで、あのご令嬢が彼女を糾弾する羽目になっているのよ。」
「知らん。それより、これからご令嬢との約束があるんだが。」
もう、なんか凄いなという感想しか出てこない。皇太子もシャロン将軍も呆れて溜め息をついている。「お断りの連絡を入れておけ」と言った皇太子が、改めて姿勢を正したので、つられてセシリアの背筋も伸びる。
「昨日、クラウド・アーレンが死亡した際に何か不審な人物や不審な物は無かったか?」
どうして今更同じことを聞くのだろう、と疑問に思いつつも皇太子の質問に答える。
「いえ、特には、、。犯人はザイラス子爵でもなかったんですか?」
「いや、クラウドを殺した犯人は子爵で間違いない。」
いまいち事情がわからない。そもそも、彼が犯人であるならばセシリアではなく獄中のザイラス子爵を聴取すれば良い。何故翌日になって、その他の不審人物を捜し始めているのだろうか。
「ーーー殺されたんだ。」
その言葉にセシリアは思わず目を丸くした。犯人であるはずの子爵が殺されたとあっては、別に犯人がいたと言う事になるのか?
説明を引き継いだシャロン将軍曰く、今朝方にザイラス子爵が牢の中で事切れていたそうだ。頸動脈を鋭利な刃物で切り裂かれたことによる失血死。満場一致で他殺確定である。勿論子爵の持ち物検査は済んでおり、衣服も取り上げている。牢の中には当然凶器などない。
つまり、誰かが何らかの目的を持って子爵を殺害したのだ。だから、追加での事情聴取が求められたのだ。ただ憲兵を聴取に派遣しようにも、昨日の冤罪未遂の件があるため、将軍達と話をするために王宮へと呼び出したそうだ。
「子爵は次代の星将軍を殺せば自分にもチャンスが回ってくると考えて犯行に及んだらしいの。それ以外は何も話さなかったわ。」
「ザイラス子爵ってそんなに優秀なお方だったんですねぇ。」
セシリアに拙い方法で罪を被せようとした子爵であったが思ったより優秀だったのか、とセシリアは思い直した。
「それがそうでもないぞ。あの子爵は自領に兵士は揃えてあるが、碌な戦果を上げていた記憶はない。寧ろ俗物的な無能だったな。」
スカーレットが透き通るような青色の瞳を細め、馬鹿にしたように言う。「お前が俗物的とか言うな」と皇太子に言われているが、どこ吹く風だ。
「お力になれずに申し訳ありません、、。」
「気にしないでくれ。こちらこそ重ね重ね失礼をした。ーーー妹が本当に迷惑をかけたな。不躾だが婚約者の件も聞かせてもらった。力になれることがあれば協力は惜しまない。」
失礼だが、スカーレットと兄妹であることが信じられないくらいに真面目な人だ。あれは浮気性で短絡的なロベリアに非があって、彼らに咎は無いのに。
皇女殿下だって、何処までそのつもりだったかはわからないけれど、一応セシリアの恩人なのだ。ロベリアの意趣返しに皇女殿下と上手いことやったわね、とは言われてしまったが。