2ー1
瞼の裏側がぼんやりと明るくなり、セシリアは朝が来たことを悟った。部屋の窓から暖かい朝日が部屋に入り込み、窓の外からは小鳥の囀る声が聞こえてくる。セシリアに言わせれば、絶好の二度寝日和だ。
あと5分、そう思って布団を引っ張るが、それは自室のドアから聞こえてくるノック音によって中断される。
「お嬢様、起きてください!」
「うん、、あと5分、、。」
「失礼しますよ!」
「あと10分、、。」
「伸びてるじゃないですか!」
髪の毛を頭の後ろで纏めた可愛らしい少女が部屋に入ってくる。彼女はメアリ、セシリア付きの侍女である。セシリアが朝に弱いことをしっかりと知っている侍女は、自分の主人を夢の世界から引き戻すべく毎朝奮闘しているのである。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはようメアリ。そしておやすみなさい。」
「ダメですお嬢様!今日ばかりは起きてください。旦那様がお呼びです。」
父であるオスカー・バイロイトがセシリアを読んでいるらしい。
要件は聞かなくともわかる。何処まで伝わっているのかわからないが、昨日のことだ。
昨晩、王宮の馬車によって自宅へと送り届けられたことでバイロイトはちょっとした騒ぎになったのだ。セシリアは疲れ切って碌に質問に答えることなく寝室へと吸い込まれていったのでどの様な会話がなされたのかわからないが。
一般貴族のバイロイトの前に天下の皇家の馬車が訪れれば、そりゃ驚くのも無理もないよな、とセシリアは思う。
大急ぎで着替え、父の執務室へと向かう。足音でセシリアの到着を悟ったのだろう。ノックをする前に「入ってくれ」という父の声が聞こえてきた。
室内にいる父は、かなり疲れ切っている様に見える。焦茶色の目は赤く充血し、眉間には皺が刻まれている。
「随分と遅かったじゃないか、セシリア。」
「ごめんねお父さん、布団の求婚を断るのに忙しくて。」
「求婚しているのはお前だろう。、、今の状態で良くその冗談が出てきたな。」
そういうと、父は眉間の皺を揉む。ロベリアの件はどうなったのだろう。公然と浮気をした訳では無く、公衆の面前でこっ酷く振られたーーというより認識もされていなかったが。
婚約破棄を申し出られたが、正式決定はまだなされていないのだ。
「結論から言おう。お前たちの婚約は解消だ。」
「やっぱり。」
「、、大丈夫か?」
「公衆の面前で歯の浮く様なセリフを皇女に囁いた人と結婚するのはちょっと、、。」
セシリアとて最早ロベリアはご遠慮願いたい。同じ男性ならば、あの日庇ってくれた皇太子の方がよっぽど素晴らしい人物だ。、、比べるのも失礼だ。
その言葉に父親は机上に置かれていた瓶を煽った。いつもの愛用の胃薬のようだ。
「バーレイ家は息子の戯言を撤回させてくれと申し出てきたんだ。」
「えぇ?意外だね。犯人と間違われて結構な醜聞になっちゃってるし、、。」
「疑いは晴れたんだろう。それよりも、愛に溺れて後先考えずに愚行に及んだ挙句、皇女に#認識すら__・__#されていなかったロベリアと結婚したがるご令嬢がこの先見つかるか、という方を懸念していたらしい。」
そっちか。
実際にコータス侯爵夫人の言っていた通りになっている。
「それよりも婚約解消しちゃって良かったの?事業提携が上手くいかないんじゃない?」
「実際にこの解消によって不利益がでているのは事実だが、ロベリアをバイロイトの当主に迎えるという将来と天秤にかけた結果、婚約を破棄する方が遥かに損害は少ないと判断した。」
「そっか。」
実際に不利益を出してしまっているのは心苦しいが、婚約者がいながら皇女に愛を囁くような男が当主となるよりマシだろう。父もこれは勉強代だと思う事にしたらしい。
「もしお前が結婚しなくとも、親戚から養子を迎えるなど、やりようはいくらでもある。」
「それに、あんな男とセシリアを結婚させたと知られたら君のお母さんに怒られてしまう。」
そう言ってセシリアを見つめる父の瞳が想像以上に優しいもので、なんとなくむず痒くなった。
*
「それでロベリア様とは無事に婚約解消できたんですね!」
「なんか嬉しそうだねメアリ。」
「そりゃそうですよ!お嬢様がいながら浮気を繰り返す男なんてバイロイトには必要ありません!」
自分のことの様に怒ってくれるメアリにセシリアの口角は緩む。
「それにしても、お嬢様は皇女様と踊られたんですよね?いいなぁ、私も一回でいいから皇女様と踊ってみたいです。」
「私はもう勘弁して欲しい。」
メアリが楽しそうに頬を染める一方で、セシリアは自分の胃の辺りを抑えた。
あんなに相手の脚を踏まない様にと意識したのは恥じめてである。挙句の果てにそれが原因で嫉妬をされ、理不尽にもとんでもない冤罪を着せられるところであったのだ。
「せっかく自由の身になったんですし、この機会に恋なんてしてみたらどうですか?」
「私は恋愛とかあんまり興味ないよ、、。」
「確かにお嬢様、あまり恋愛小説とか読まれないですもんね。」
「私にはシシィの惚気話でもう十分。」
その言葉にメアリは首を傾げる。
シシィは昔バイロイトの使用人だった少年であり、ひとりっ子だったセシリアを妹の様に可愛がってくれた人物である。年も近く、面倒見も性格も良かった。何より、自分ととお揃いの琥珀色の瞳を持っておりセシリアは彼に親近感を覚えていたのだ。
彼はメアリが来る前に訳あって屋敷を辞めてしまったのだが手紙のやり取りは続いており、たまにこっそり会いにきてくれた。
とんでもなく美人の彼女ができたらしく、手紙でいつも惚気ていた。手紙を読む限りその恋人殿は中々に素晴らしい性格をしていたが。
「私はお嬢様の惚気話が聞きたいんですよ!」
「はいはいまたいつかね。なら、今はメアリの話を聞かせてよ。」
そうセシリアが言うと、メアリは真っ赤に頬を染める。メアリが同じくバイロイトに使える使用人のジョージと恋人同士であることはみんな知っている。
気がついていないのは父だけだ。
*
自室でメアリと談笑していると、俄かに外が騒がしくなった。揉めている、と言うよりも驚きの声が多いように感じる。
何ごとだろう、とセシリアが部屋から出ようとしたとき、部屋の外から誰かが駆けてくる足音が聞こえた。その数瞬後、ドアがノックされると同時に開いた。部屋の外に立っていたのは、走ってきたのか焦茶色の髪の毛を乱した父親だった。
「どうしたのお父さん、そんなに慌てて。」
「セシリア、お前に王宮への召喚命令が下った。」
「えっ?なんで?」
「詳しい事情は説明不可とのことだ。、、迎えは、その、、いらしてる。」
自分の冤罪は晴れた筈であるのに、一体どういうことだろう。しかし、それだけで父がここまで慌てるとは思えない。
「セシリア、事情を説明してくれ。」
息を切らした父が心底分からないといった顔をしてセシリアの肩を掴む。
「どうして皇女殿下が態々お前を迎えにバイロイトまで来るんだ?」
ーーえっ。
「あの人わざわざこんな所まで来たの!?」
「どうしてこうなる!お前何かやったのか?」
「やらかしたのはロベリアでしょ!お父さん、今殿下は何処に?、、まさか女の子に対応させて無いよね?」
「大丈夫だ、ちゃんとジェームズがお相手しているそうだ。私もさっき知ったところで、応接室でお待ちいただいている。今から行くぞ。」
初老の執事である彼ならば殿下の食指は動かないだろう。それにしてもジェームズが可哀想すぎる。急にこの国のお姫様と将軍をいっぺんに相手する事になっているのだから。
後で胃薬だけ差し入れよう。
多分皇女殿下のことだ、わざわざ自分が訪ねると事前通告しているとは考えられない。