3ー4
ジルフォードとディアラは、伝令を受けてすぐに会議室へと向かった。いくら皇太子妃とはいえ、セシリアが参加するわけには行かないのでここで解散である。去り際、皇太子は「気をつけて帰ってくれ。」というひと言を残して去っていった。
*
所々に宝石が埋め込まれた煌びやかなシャンデリアが、聖書の一幕の絵画が描かれた天井から吊り下げされている。シャンデリアに照らされて、広間にいる人々は朗らかに、あるいはその笑顔の下に思惑を隠して談笑している。
ここは、皇帝一家の住まうジルドレッド宮殿の大広間である。今日は、アルセーヌ戦線の勝利に対する祝賀会が開催されていたのだ。
あの日見事に回収したフラグ通り、戦線の争いは拍子抜けするほどあっさり決着した。アルビオンが強すぎたのか、アルセーヌが弱すぎたのか、あるいは何か事情があるのか。セシリアの知る所では無いが、割と平穏に終わったのではないだろうか。
セシリアも、皇太子妃として祝賀会に参加していた。祝賀会など今まで参加したことが無かったため、初めて見る様相に少し落ち着かない。普段の夜会では殆どの参加者が礼服やドレスなどを身に纏っているが、今宵は軍服を纏った人々が多く目に入る。
「久しぶりね、セシリアちゃん。」
ジュースを口にしていたセシリアに話しかけてきたのはシャロン将軍だ。皇太子妃であるセシリアへ挨拶しようと訪れる貴族たちの相手にそろそろ顔が引き攣りそうな頃だったのでほっとした。
「お久しぶりです、シャロン将軍。」
「元気そうで安心したわ。どう?皇太子殿下とは上手くいってる?」
「っ、、上手く、、?」
急な質問に飲んでいるジュースが気管に入って咽せるセシリアの背中を笑いながらさする。上手く?ーーまあ、割と良好な人間関係を築いているとは思うが。
その皇太子は他の貴族への挨拶周りに付き合わなければならず、申し訳無さそうな顔をして去っていった。
「あらあら、急にごめんなさいね。」
「驚きましたよ。ーーそれより、今回将軍はお留守番だったんですね。」
「私は憲兵だから戦場まで行くことは皆無といって良いわね。」
忙しすぎて憲兵本部はいつも戦場みたいなものだけれど、と頬に手を当ててシャロン将軍は微笑む。
「でも、無事に終わって安心しました。思ったより早く決着がついたそうですね。」
「ええ。拍子抜けするくらいにね。皇女殿下なんかは『無駄足踏まされた』って怒ってたわね。」
どうやら皇女は相変わらずのようだ。安全に終わることに勝るものは無いとセシリアは思うのだが。
「何だ私の話か?」
そう声をかけてきたのは、話題の当人だ。
黒い軍服を見に纏い、美しい装飾が為された鞘に納められたサーベルを腰から吊り下げている。白銀の髪は後ろで1つに括られ、白い睫毛に縁取られた空を閉じ込めたような碧眼がセシリアたちを見下ろす。
戦場帰りだというのに、その美しさは全く変わらない。
「貴方が無駄足踏まされたって怒っていた話よ。」
「別に私が行く必要無かっただろう。アルセーヌにやる気が感じられん。」
戦の総大将がこれで良いのだろうか。どうやら顔に出ていたようで「いつものことよ。」とシャロン将軍に呟かれる。
「何はともあれ、無事に帰ってきてくれて安心しました。」
セシリアが言うと、スカーレットは可笑しそうに笑う。その横で、シャロン将軍が驚いたような、何か見慣れないようなものを見たような表情になる。
「何というか、殿下が純粋に心配されているのを見るのは久しぶりね。何だか不思議な光景だわ。」
「えっ?」
「まあ負けないからな。」
余計なお世話だっただろうかと考えるセシリアが、ふと向こうを見つめると、こちらを見て頬を染める令嬢たちの姿が目に入った。
スカーレットもどうやら気が付いていたようで、「じゃあな」とセシリアたちに声を掛けると、そのご令嬢たちの方へと歩いて行く。
その光景に、シャロン将軍が呆れた顔で溜息をつく。皇女と会話する令嬢たちはまるで恋する乙女のような表情だ。「偶に性癖が歪んだ、とかいう苦情がくるのよ」と呟いたシャロン将軍がちょっと気の毒になった。
頬を染める彼女たちはセシリアより年下に見える。デビュタント直後だろうか、社交界という大海に放り出された後にアレと出会ったら美醜感覚が狂いそうだ。
「星将軍は、その、個性的なお方が多いんですよね。あっ、シャロン将軍がそうとかではなく、、!」
「濁さなくて大丈夫よ。ハーレム趣味、人妻趣味に女装趣味、女好きに男好き、一通り揃っているから。」
「聞かなきゃよかった、、。」
ちなみに誰がどれに当て嵌まるのかは恐ろしくて聞けなかった。噂には聞いていたが、実情は想像以上だった。「強ければ性格に難があっても問題無いのよ。」とシャロン将軍は言ったが、流石に限度があるのではないだろうかとセシリアは思う。
その時、セシリアの方へ1人の男性が近づいてきた。年はセシリアの父よりもそこそこ上だろうか。小さな皺が刻まれながらも整った顔立ちをしている、優しげな表情の男性だ。「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」と丁寧な挨拶をしたその男性は、この国の公爵殿であるそうだ。
フィリップ・ノルトライン。広大な領地と由緒正しい血統を誇る、帝国の筆頭貴族である。彼の母親は先代皇帝の妹であり、現皇帝の従兄弟にあたる。広大なノルトライン領を統治し、その経営も順調だ。
伯爵令嬢のセシリアからすれば、公爵家の当主などと話すときに緊張しない訳にはいかない。その様子が見てとれたのか、「お気になさらず」と顎を摩りながら笑っていた。優しそうな人で安心した。
「ルネ殿もお元気そうで何よりです。」
「ええ。閣下もお変わりないようですね。」
2人は知り合いなのだろう、朗らかに会話をしている。ーーように見えるが、何となくシャロン将軍の表情が固いように感じられた。公爵は気が付いていないようだが。
「クラウド殿の件やザイラス子爵の件など心配事が尽きませんね。」
「お恥ずかしい限りです。」
「いやいや、憲兵のみなさんの働きぶりには驚かされるばかりです。ただ、1つ心配事が。」
詳細は伏せられているが、ザイラス子爵の件も知っているらしい。そう言って、ノルトライン公爵の顔に心配そうな表情が浮かべられる。
「今回のアルセーヌ進行のせいで、5年前の件が徐々に広がりはじめているのです。彼の国が間諜としてあの男を送り込んだのですから。ーーー今回も何か裏にあるのでは無いかと。」
「それは我々も懸念してしているところです。クラウド殿の件もありますし。、、しかし、本当に内通していたのかどうかは些か疑問が。」
「そうでしょうか?それに、最終的に陛下が処刑執行に判を推したのですから。陛下のご判断を私は信じます。」
シャロン将軍はセシリアに気を遣ってくれたのだろうか。いくら彼女がシシィの件を訝しんでいるとはいえ、公爵にまでそう告げるとは。ーーそれとも、他の原因でもあるのだろうか。
難しい顔をするセシリアに、公爵は優しげな顔をして向き直る。
「最近のご令嬢には難しい話でしたかな?」
「はい、、。勉強不足で。」
全力ですっとぼけろ、と各方面に言い含められているため、何も知らない令嬢のフリをする。優しそうな公爵であるし、大丈夫だとは思うのだが。
セシリアと目があった公爵は微笑む。セシリアの琥珀色の瞳と視線がかちあったとき、公爵の目が見開かれた。「貴方はもしかして、、成程。」そう呟いたようで聞き返したが、はぐらかされてしまった。そのままにこやかに挨拶をして、公爵は去っていく。
「何だったんでしょうね、、私もしかして何か失礼を?」
「いいえ、セシリアちゃんは気にしなくても大丈夫よ。」
そういったシャロン将軍の顔色は何処となく悪い。酔っ払ったのだろうかと胃薬を差し出したが、丁重に断られた。