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「セシリア、、どういうことか説明してくれるか、、?」
皇女に連れられて屋敷を去った筈の娘が、皇太子と婚約して帰ってきたのだ。可哀想なくらいに顔は青ざめ、声は震えている。
ここで「よく皇太子妃の座を射止めた」などと喜ばない辺りが父らしいと思った。
「いろいろあったんだよ。」
「頼むからその『いろいろ』を教えてくれ。」
そう言われても、諸々の事情は全て口止めされているのだ。冤罪未遂の責任をとって婚約されたなどとはいえない。ましてや冤罪未遂の囮まで兼ねていると言ったら、父は卒倒しそうだ。
皇女の方には別の思惑があったようだが。
(まさか、賭けに負けたくないからとかじゃないよね?)
ないとは言い切れないのが何とも皇女らしい。
「ちょっと恥ずかしいから。」
そう言葉を濁すと、父は机の上に崩れ落ちてしまった。その父の横で控えていたジェームズは、自分の愛用の眼鏡を無言で拭い続けていた。もうとっくに綺麗になっているように見えるのだが。
*
「くれぐれもシリウスの件は他言無用で頼む。」
「、、わかりました。それにしても、なぜ私にその話をしてくれたんですか?」
「事情を知らずに他所でうっかり洩らしても不味いからな。先程も言ったが、自衛のためだ。」
スカーレットにひと通り文句を言った後、ジルフォードがセシリアに念を押した。取り敢えず、シシィの件は皇帝陛下には伏せて報告するらしい。籍は入れず、ひとまず婚約という形で落ち着いた。
この結婚に陛下が納得するのか、という疑問は「兄さんが相手を見つけてきただけで御の字だろう。」というスカーレットの言葉により流された。
それでいいのか皇帝陛下。
「それで、囮といっても私は何をすればいいんですか?」
「セシリア嬢は特に何もしなくていい。この事を知った犯人がどう動くかを見つけるのは憲兵の仕事だ。勿論、皇太子妃に手を出そうとする馬鹿はいない筈だから安心してくれ。」
セシリアを安心させるかのように皇太子が微笑んだ。柔らかな陽だまりの様な笑顔だ。兄妹でも笑顔1つでここまで違うものなんだなぁ、と失礼ながら考える。1人っ子のセシリアには普通の兄弟がどんな感じであるのか馴染みが無いのだ。
「それで犯人が動いたとして、本当に見つけられるのか?」
「全力を尽くすわよ。」
「御璽の件だってまだ犯人は見つかっていないんだろう?そろそろ迷宮入りだぞ。」
向こうで会話していた皇女とシャロン将軍が話に混ざる。舐める様な表情のスカーレットに、冷静にシャロン将軍が言葉を返したのを聞いた時、ふと1つの単語が気になった。
「御璽、、?」
「レティ、頼むから機密をあっさり暴露しないでくれ。」
「あっこれも聞いちゃダメなやつ。」
「別に大丈夫だろう。5、6年前に陛下の執務室から御璽が盗まれるという事件があったんだ。すぐに王宮の廊下に落ちているのが見つかって事なきを得たんだが。ーー一度だけ使用された形跡があったんだ。」
「周りの人間も特に怪しい人は見ていないって。陛下の執務室に侵入した挙句に御璽を盗むだなんて、どう足掻いても逮捕は免れないわ。」
「父上がその他の用品と共に持ち出したのでは、という意見もあったんだが、、。」
「陛下の失態だったら、いい気味だったんだがな。」
いくら父親とはいえ、皇帝にまでいい気味だと暴言を吐くスカーレットは流石である。他の2人は苦い顔をしているが。
「取り敢えず、セシリアちゃんは今まで通りに生活してちょうだい。まぁ、皇太子妃なんて肩書きでは今までほど平穏に、とはいかないかも知れないけれど。」
少し気の毒そうに、シャロン将軍の一つしかない瞳が細められる。
「もう帰ってもいいか?」
「頼むからもう少し真面目にやってくれ。そもそも、俺たちの婚約はお前が言い出したことだぞ。」
「あんたがいつまでたっても結婚しないのが悪い。」
「それはお前だってーーすまない、何でもない。それは人の結婚を賭けの対象にしていた者が言う言葉では無いだろう。」
「普段からそんなものばかり賭けているみたいに言わないでくれ。」
「この間は馬だったものね。」
「私はフレデリック号の敗北が未だに納得いかん。」
「ディアラが調子にのっていたアレね。」
「あれは乗り手が悪い。私が騎手として参加すればフレデリック号の優勝は確実だ。」
「潔いまでの八百長ね。それなら私もフレデリック号に賭けるわよ。」
「もう勘弁してくれ。」
ジルフォードは深い溜め息をついた。苦労してそうだなぁと思うと同時に、明日からはセシリアにとっても他人事ではなくなる事に気がついて気分が重くなる。
今日のところはゆっくり休んでくれ、そう言われてバイロイトへと送り届けられた。「昨日と同じ様な事をしているな」と笑った皇太子に釣られてセシリアも笑った。
バイロイトの自分のベッドの上で、セシリアは今日の出来事を思い出していた。知ってはいけない王宮のあれこれや、皇太子との婚約。
何より衝撃だったのは、シシィのことだ。到底信じられないが、実際に公衆の面前で事に及ぼうとしたのは事実なのだ。無実であって欲しいという願望を淡々と否定するスカーレットに、少しの恐怖と不満を覚えたのも事実である。
ただ、セシリアには「シリウスはもう死んだ」と冷たく言い放ったスカーレットの碧眼に、哀しみの色が浮かんだ様に見えた。その他の人間にはあの皇女がそんな殊勝な感情を抱くわけ無いだろう、と一蹴されそうだが。
外の雨音は、更に強くなっていっている。空は完璧に覆われ、月も星も顔を見せない。
ふと、ありし日のシシィが『紺碧の空が好きだ』と言っていたのを思い出す。明日は晴れて、綺麗な紺碧が見られるといいな、思いながら眠りに落ちた。