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伯爵令嬢と正邪の天秤  作者: 秋田こまち
1/68

1ー1

「セシリア、すまないが俺との婚約を破棄して欲しい。」


 パーティが始まって早々、王宮にある舞踏会用の小宮殿の大広間の端っこでセシリアにそう告げたのは、己の婚約者である筈のロベリア・バーレイ伯爵令息である。

 セシリア・バイロイト伯爵令嬢18歳、青天の霹靂であった。

 巷ではこの手の恋愛小説が流行っているそうであるが、彼の横には可憐なヒロインも居ないし自分だって悪役令嬢などと言われる心当たりは無い。



「えっと、急にどうしたの?」

「俺は、俺の気持ちに嘘をつくことは出来ない。俺はやはりあのお方への愛を貫きたいんだ。」

 

 そう真摯な目でセシリアに告げるロベリアの様子に困惑せずにはいられない。そもそも、何故王宮の夜会でこの様な行動に及んだのだろうか。

 小宮殿の大広間では、セシリア達の惨状を知ってか知らずか美しい音楽が奏でられ続けている。頭上の天井に描かれた星座を模した絵画は、変わらず自分達を見下ろし続けていた。




 そもそも、これはバイロイト伯爵家とバーレイ伯爵家の間で取り交わされた契約結婚である。愛する人ができたからと言って、簡単に破棄できるものではない。しっかりと事情を両家に説明し、諸々の取り決めをした後に事に及ぶべきなのだ。

 

 そして勿論のこと、セシリアは何も聞かされていない。


「そもそも、どうしてここで()()()それを私に伝える必要があったの?」

 早鐘を打つ心臓をどうにか落ち着かせ、務めて冷静に尋ねる。

「あのお方を目にして心を決めたのだ。婚約者がいる身で不義理を働くなど、あのお方に失礼だ。」


 そう言って熱っぽい瞳でロベリアは大広間の中央を見つめる。つられるように視線を向けーーセシリアは納得してしまった。彼は()()()()()のだ。



 白銀色の絹糸のような光輝く髪を持ち、空を閉じ込めたような透き通った碧眼を持った至上の美女。苛烈なまでの美貌はその他の視線を惹きつけてやまない。

 スカーレット・アルビオン。御年23歳になられる我らがアルビオン帝国の第一皇女殿下である。




「絶対無理だよ?身分云々以前にあのお方はそもそも、」

「例えあのお方の好みが俺とはかけ離れていても、俺が真摯に愛を囁けば、私に心を傾けてくださるだろう。あのお方に愛を教えて差し上げるのだ。」


 いや、絶対無理だ。婚約破棄への驚きも、彼の身の丈に合わない恋への驚きも、全て一旦脇に置いて考える。彼女がいつも連れ歩いているのは見目麗しいご令嬢方である。噂話に疎いセシリアの耳にすら入ってくる奔放っぷりであり、いつか刺されるともっぱらの噂だ。

 


 スカーレットが身に纏うのは煌びやかなドレスでなく、漆黒の軍服である。セシリアには価値はわからないが、軍服は数多の勲章で飾られ、白銀の髪は形の良い頭の後ろで1つに括られている。彼女はアルビオン帝国が誇る星将軍の一端を担う傑物であり、軍人であった。所謂男装の麗人というやつだ。


 王宮主催であるため、彼女は今日の夜会に参加していた。そんな彼女の傍らを彩るのは美しく着飾ったご令嬢方である。皇女の甘い笑顔に鮮やかな青いドレスに縫い付けられたレースを軽やかに揺らた令嬢が頬を染め、金髪の髪の毛を青い宝石のあしらわれた髪飾りで彩る令嬢が溜息をつく。


 夜会で女を侍らせている皇女を純粋にやべぇなと思うセシリアであったが、顔が度を超えて良ければある意味一種の絵画にまで見えてくる。

 男装の麗人ってやっぱり現実でもモテるんだなぁと現実逃避気味に考えるセシリアを他所に、ロベリアは皇女の方へと真っ直ぐに向かってゆく。


 この先の展開が読めたセシリアは、自分の婚約者であるはずの男が他所の女に公然と愛を囁きに行くという大惨事であるにも関わらず、この場から立ち去りたくなった。もはやロベリアの関係者だと思われたくはない。



 そう考える間にも、どうやらロベリアは大広間の中央部ーースカーレットの目の前へと辿り着いたようだ。彼女が侍らせているご令嬢方に目もくれず、跪いて恍惚とした表情でスカーレットに何かを話しかけている。

 周囲の客もロベリアの行動にダンスを踊る脚を止め、面白そうに騒ぎの中心を見つめる。




「お前、誰だ?」

 ロベリアの愛の告白を最後まで聴くこともなく、スカーレットが物凄くつまらなそうな顔で、虫ケラでも見るかの様な視線を向ける。全く歯牙にも掛けないような平坦な声色で。

 彼女のよく響く中世的な声は、端っこで身を潜める様にして惨状を見つめていたセシリアの耳にもよく届いた。


「何故です!?私はこんなにも貴方のことをお慕い申し上げているというのに。」

「悪いが、私は野郎に興味は無い。」

 必死に懇願するロベリアだが、とりつく島もない。彼女の両脇に侍っていたご令嬢達がくすくすと笑い声を漏らす。

 さぁっとロベリアの顔から血の気が引く。

 

 スカーレットはその一瞬でロベリアの事を意識の外に追いやったのか、ご令嬢方の好きそうな甘い笑みを浮かべて彼女達に向き直り彼女らとダンスを踊り始める。その皇女の行動を合図にしたのだろう、面白そうに見物していた野次馬達も各々が自分の楽しみに勤しんだ。膝をついてその場に唖然とへたり込むロベリアをその場に残して。



「まただ。」

「皇女殿下も罪なお人ですわ。」

「彼で何人目かしら?」

「そろそろ皇女も男に落ちる。そう賭けていたんだがな。」

「そんなのドブに金貨を捨てるようなものじゃない。」



 その場には悪意ある、というより完全に面白がっている貴族達の囁きで満ちていた。ある者は優雅にダンスをしながら、またある者は酒を片手に優雅な笑みを浮かべながら。

 夜道の街灯に群がる蝶の様なものだ。彼女という眩しい光源に、無謀な男達が群がるのは良くある事。セシリアが参加する様な普段の夜会でスカーレットとで会うことは無いため噂でしか聞いたことがないが、その他の貴族様方はよく目にする光景なのだろう。











「大変なことになっているじゃない!」

 

 そう言って話しかけてきたのは、テティス・ユディット子爵令嬢である。領地も家柄も近い彼女は幼い頃から仲良くしている友人である。

 この状況で退出するとかえって目立つと思い、ロベリアの騒動以降必死に空気になろうとしていたセシリアを見つけ、話をしに駆け寄ってきたらしい。


「ほんとにどうしよう。ロベリアだって突発的な行動でお父さん達に何も言ってないっぽいし、、。」

「婚約して2年くらいだったっけ?、、彼も大変なことしでかしてくれたわね。」

 テティスが気の毒そうな顔をして背中をさすってくれる。



 テティスの言葉通り、本当に大変なことである。貴族間の婚約は本人が幼い頃に決まることだって普通にある。そうでなくとも大体16歳くらいまでには相手が決まるのだ。ご令嬢方は特に。

 その流れに乗っ取り、セシリアもロベリアと16歳の時に婚約した。家同士の事業の提携の延長線で、という形での婚約であり、何とか上手くやっていこうと努力はしていた。浮気性なロベリアに頭を悩まされていたが、ビジネスである以上セシリアもある程度は割り切っていた。その事を今、猛烈に後悔し始めている。



 今回の件でセシリアはの婚約者は身の程を弁えない分不相応な男である、という醜聞を背負うことになるかもしれない。まあ、元がつく可能性もあるのだが。

 バイロイトの事業に必要な鉱石がバーレイ伯爵領から産出されるため、低価格で優先提供してもらう代わりに商品利益の一部を還元するという契約を結び、ここ2年は順調に運営されていたのだ。1人娘のセシリアに、彼が婿入りして来ることになっていた。



 これからバイロイトは、現実の見えない男として失笑を買ったロベリアを次期当主とするか、事業提携を中止して婚約を解消するかを天秤に掛けなければならないのだ。


 

「それにしても、噂は本当だったのね。皇女殿下の美貌にやられた男性達が醜聞沙汰になるって。」

「実際に自分の身に起こるなんて思わないでしょ!」

「性格はアレだっていうけど、そんな事どうでも良いくらいに綺麗な顔でいらっしゃるわね。」


 そう言ってテティスはセシリアにジュースが注がれたグラスを差し出す。


「セシリアだって十分美人なのに、何考えてるのよロベリア様は。」

「あんなのと比べてないでよ!」


 皇女に向かってあんなのとはセシリアも大概失礼ではあるが、今はそんな事を気にする余裕はない。

 黒髪に琥珀色の瞳をしたセシリアは一応美人の部類には入るのだが、絶世の美女と比べられたらひとたまりもない。




 やけっぱちになってグラスを煽る自分に、挙動の可笑しいテティスが何かを伝えようと必死に目で訴えてくるが、生憎わからない。その視線も時々、何かに吸い寄せられる様にセシリアの背後へと逸れる。

 

「楽しそうな話をしているじゃないか、ご令嬢。」


 自分の背後から聞こえてきた声にセシリアの体は硬直する。先程ロベリアを一笑に付したあの声が聞こえてきた。慌てて後ろを振り返ると、そこには件の美女が凛とした姿勢で立っている。

 セシリアの琥珀色の瞳とスカーレットの碧眼がかち合う。僅かながら、セシリアにはその空が揺れた様に感じられた。


「なぁ、君を振った男に一泡吹かせてやりたいと思わないか?」


 至上の美貌に勝気な笑みから吐き出されるのは、悪魔の囁きであった。


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