公爵令嬢アデラ
翌日からは散々だった。昨日のギャラリー達の大半はおしゃべりな生徒だったようで、たった1日の間に『クラーク男爵令嬢とムーア子爵令嬢が第二王子の婚約者の座を巡って熾烈な争いを繰り広げられている』なんて出鱈目が学園中に広まってしまっていた。噂話には尾鰭がつきもので、ヒルダの方が言いがかりを付けてきたはずなのに何故かドーラも同じくらい玉の輿に対して野心家だと思われてしまっている。隣で授業を受けていたカイルもどこかで噂を耳にしたのか随分と居心地が悪そうだった。昼休みに教室の外に出ただけでもあちこちから知らない生徒に遠目からヒソヒソと囁かれ、ドーラの気分はかつてないほどに最悪だった。
『冗談じゃない、私は学園に来るまで第二王子の顔すら見たことないっていうのに!』
基本的に王族と私生活でも関わるのは伯爵家以上の家格の家柄の中でもごく一部だ。婚約者も基本的にはその中から入念な審査を経て選ばれるか、もしくは他国の王族が選ばれる例もある。どちらにしたって男爵令嬢や子爵令嬢の出る幕などありはしないのだ。
もちろん、貴族と平民といった身分差を乗り越えた結婚というのは存在する。ドーラの両親だって元はそうだ。帝国の裕福な商人に過ぎなかった父が留学に来ていた母に一目惚れし、ありとあらゆるツテを利用して王国の男爵位を購入した上でモリス侯爵家の許しを得て両親は結婚したのだ。しかしそれは父が平民ながら非常に裕福であり、対してモリス侯爵家は騒乱後家の存続も危ぶまれるほど落ちぶれていたからこそ成立した話であることをドーラはよく理解している。かつては権威主義であったはずのモリス家の祖父は大事な金蔓もとい娘婿の父を決して無碍に扱わず、数多くいる孫達の中で最も“身分は”低いドーラ達のことをたいそう可愛がってくれていた。そういった経緯で現実主義が骨身に染み渡っているドーラからすれば、財産と威厳を十分に持ち合わせている王族とただの下級貴族令嬢のお伽話のような結婚なんて到底あり得ない未来だった。
『あのヒルダって子はさぞかし夢物語ばかり追いかけてきたんでしょうね。全くもう!』
少しでも人がいない場所へ、と移動した先にドーラがたどり着いたのは図書館だった。司書の先生の他には利用者の女子学生が1人いるだけだ。彼女は熱心に本を読んでおりこちらを見上げる様子はない。ドーラはようやく安堵して適当な本を手に取って近くの席に腰掛けた。
「……あら、来てたのね。貴女ならここにたどり着くと思っていたわ、ドロシア・クラークさん」
声の方にドーラが顔を向けると、そこにはさっきまで本を読んでいた女子生徒が立ってにっこりと微笑んでいた。たったそれだけの動作にもかかわらず、どことなく優雅で気品に満ち溢れている。思わず見様見真似でカーテシーをしようとするドーラを見て、彼女はころころと鈴のような声で小さく笑った。
「そんなに緊張しなくてもいいわ。わたくしの名前はアデラ・ガルシアよ。貴女も名前くらいは知ってくれているのではなくて?」
「……お名前は、大変よく存じ上げております」
その言葉にドーラは内心冷や汗をかいていた。アデラ・ガルシア公爵令嬢。名門公爵家ガルシアの出身で王妹の母を持ち、第一王子の婚約者でもある彼女のことは社交に疎いドーラでも流石に知っていた。そして彼女が自分の名前をバッチリ覚えているということは、おそらくあの不敬極まりない噂を耳にしているのだろう。
「あんな馬鹿げた噂を広げられてしまうなんて、貴女も災難ね」
「……あの、私についてどのように、伝わっておりますでしょうか?」
「そうね。もの好きなクラスメイトの誰かは貴女とムーアさんが第二王子の婚約者の座を争っているなんて言っていたけれど、わたくしは独自の情報網を持っておりますの。だから馬鹿げた野心家がムーアさんおひとりだけなのはとうに把握してあるわよ」
「よ、良かった……」
「ただ、噂はどんどん広がっていくでしょうね。何せ貴女はあまりにも有名人で、『第二王子の婚約者』というお伽話にうってつけな存在なんだもの」
「あの、それはどういうことでしょうか?」
「ええ、貴女が社交に明るくないことはわたくしも知っているわ。まず、貴女のお母様であるクラーク男爵夫人が才色兼備な社交界の花として名高いのは流石に理解しているわよね?」
「ええまあ、噂に聞く程度には」
「貴女、この学園に通常の面接試験ではなくて筆記試験で、それも首席合格して入ってきたでしょう? おまけに挨拶でお母様によく似た顔立ちを学園関係者全員の前に晒した訳なのだから、これなら第二王子のお相手として及第点ではないかって思われたの。実際噂話でも、聞こえてくるのは貴女の名前ばかりでムーアさんの名前はおまけ程度よ」
「は、はあ……」
アデラの話した内容を纏めると、社交界で有名人な母の影響でドーラにもそれなりの注目が集まっていて、そのことが第二王子の婚約者候補なんて馬鹿げた噂に信憑性を持たせてしまっているということらしい。想定以上に厄介なことになってしまったとドーラが頭を抱えていると、アデラは聖母のような微笑みを浮かべて語りかける。
「そこでわたくしから貴女に提案があるのだけれど。よろしければ今週末、わたくしのお茶会に来ていただけないかしら?」