玉の輿なんて
「あなたのことは知っているわ、ドロシア・クラーク! 母親譲りの美貌をさぞかし鼻にかけてるんでしょうけど、ルーク王子の婚約者の座は渡さないから!」
入学式を終え、ドーラがカイルと一緒に教室へ移動するといきなり初対面の女子生徒にそう啖呵を切られてしまった。向こうがこちらの名前を知っているのはおそらく主席合格者として先ほどの入学式で挨拶をしたからだろう。もちろんメインは第二王子であるルーク・モルガン殿下の入学者代表挨拶だったので簡潔に終わらせて席に引っ込んだはずなのだけど。
「あの、どちら様でしょうか……」
「はん、モリス家の縁者のくせにこのヒルダ・ムーアを知らないなんてあなた勉強以外に取り柄が無いのね! 言っておくけど、わたしは子爵令嬢だからあなたより格上よ! 立場を弁えなさいよね!」
「……立場を弁えるべきは淑女らしからぬ大声で喚き散らしているあなたの方では?」
「な、何よ! そんな風に揚げ足取ろうたってそうはいかないんだから! とにかく、ルーク王子はわたしのものよ、あんたなんてそこのびっこ引きがお似合いでしょうに」
そういうとヒルダとかいう令嬢はカイルの方を見て鼻で笑ってきた。カイルまで馬鹿にするようなその態度についカチンときてしまい、ドーラは舌戦モードに切り替わる。
「ルーク殿下に婚約者が内定したという話は聞いておりませんけど、少なくともあなたが選ばれることはないでしょうね。いくら殿下の母君が側妃だといっても、ここまで淑女教育のなっていない令嬢を相手になんて陛下や議会が認めないでしょうし」
「あんたが何を知ってるっていうのよ! 所詮男爵令嬢のくせに!」
「ええ、先ほど首席合格者として学園長からお褒めの言葉をいただいた男爵令嬢です。先ほどまで名前も知られていなかった子爵令嬢とは『身の程』が全く違いますとも」
「それがなんだっていうのよ、頭でっかちなのがそんなに自慢なの?」
「学園は勉学に励むための場所であり、婚約者探しの場では無いはずですが。それともムーア家では学園で男漁りをしろと教えられているのですか? お母様や家庭教師からそんな話は聞いたことがないのですけれど、私が無知なだけでしょうか……」
この騒ぎはよほど悪目立ちしていたようで気が付けば教室の外にもギャラリーが出来てしまっていた。隣ではカイルがあわあわと狼狽えてるが、無理もない。入学早々こんなことになるなんて、母さんにどう報告すればいいのだろう。
「何よ、わたしのことを馬鹿にして……」
地団駄を踏んでヒルダが言い返そうとしたその時、ガラッと教室のドアが開けられて若い男性教師が入ってきた。確か私たちの担任で帝国出身の方だったはずだ。
「一体何を騒いでいるんだ。オリエンテーションを始まるから、早く席に着きなさい」
先生の一言で集まっていた群衆は水のようにさっと引いていった。私とカイルも急いで自分の席に着く。ヒルダはまだ何か言いたげにしていたが、先生に睨まれて仕方なく席に着いていた。
「……よし、静かになったな。私はエドモンド・グレイ、君たちの担任で帝国語と世界史を担当する。帝国語は研究院への進学や就職で重要になる学問だから、皆真剣に授業を受けるように。それじゃあまず、これからの学園生活について話していこう」
グレイ先生が快活に話している間にも、生徒の何人かがこちらをちらちらと見てくるのが不快極まりない。じっと睨み返してやるとすぐに目を逸らしてきた。オリエンテーションは割とすぐに終わり、私とカイルは再び馬車に乗って屋敷に戻っていった。
「入学早々面倒なのに絡まれちゃったわね。ところでカイル、ムーア子爵家って知ってる?」
「……知ってる。お祖父様の前でその名前は出さない方がいいよ。元はモリス家の従者だったんだけど、独立騒乱のどさくさに紛れて財産を持ち逃げして子爵にまでなった一族なんだ。だから僕たちのことをあんなに見下してたんだよ」
「……あの『ネコババ一族』だったのね。お祖父様がいつも忌々しそうに言っている」
「そうそう。多分セシリア叔母様も知ってるよ。子爵夫人は一族同士の不仲を知っていながら社交界の花で有名な叔母様に近づこうとして煙たがられてたはずだし」
「なんかそんな愚痴聞いたような気がする、社交界のことなんて興味ないから適当に聞き流してたけど。だから母さんの容姿についてあれこれ言ってきてたのね」
母のセシリアはその容姿端麗さとかつて才女と謳われた頭の回転の速さから社交界でもかなりの権力を握る貴婦人だ。父クラーク男爵の商会が貴族御用達であることも大きく影響している。母に限らず、モリス侯爵家の人間は割と美形揃いで有名だった。最も私やカイルのような例外だってあるので全員がそうとは言い切れないが。
「……ドーラは叔母様に似て美人だから、余計悪目立ちしちゃったんだろうね。上級クラスの連中も騒ぎを聞きつけて覗きにきてたし、明日には噂に尾鰭が付いて流れてそうなのが嫌だなあ」
「私の容姿なんて、母さんに比べたら全くじゃないの。でもそこは私も気になるのよね。あんな騒ぎ、それこそ第二王子の耳に入ったりしたら不敬過ぎない? 関係者だと思われたくないわ」
「つまらないゴシップほどすぐに広がるからねえ。それこそ叔母様に相談して、何か対策を取らないと」
「はあ、気が重い……」
家まで到着する間中、馬車の中は重い空気が漂っていた。しかしこういった懸念は序の口であったと、ドーラ達は後に思い知らさせることになる。