第四十五話 戦火の消えたあと(2)
「死ぬわけじゃねーよ。ただ、これからの人生は向こうの世界で過ごすだけだ」
その台詞の裏に、彼の気持ちが透けて見えた気がした。
「向こうで、何するの。牢屋にでも入れられるの」
不安がる私を見て千田くんはクスリと小さく笑う。入れられるだろうな、と他人事のように呟いた。しかし彼は、すぐに釈放されるだろうとも言う。
彼は魔法を使われた方であるため、そこまで厳重な拘束を受けるわけではないらしい。解放された後の生活については、まだ考え中だそうだ。
不意、彼は笑みを打ち消す。
暫しの沈黙が流れたのち、大きな溜息が零れ落ちた。
「……それと」
隠しきれていない不安と、今にも泣き出しそうに伏せられた目。震える喉を無理やり押さえつけたかのような声が、冷たい現実を口にする。
「俺がいなくなったら、俺に関わったヤツらは記憶を消されるらしい」
千田くんは淡々と話した。
元来、人間であれ魔法使いであれ、その他の存在は魔女と関わりを持ってはいけない。魔女と交わってしまった者たちへの救済措置という名目で忘却魔法をかけるのだ。
それは吸血鬼などの人外も該当するという。強制的に記憶を改竄して、都合のいいように“彼”だけを忘れてしまうと。
「まぁ本当は、いなくなった後の始末が面倒だから手っ取り早く消しちまおうって算段だ」
突然のことで何も言い出せない私に構わず、千田くんは続ける。口調は少しいい加減だった。
「でも泉には忘却魔法をかけねぇって話は聞いた。白魔女の魂を穢すに値するだとか何だとか……よく分かんねー」
私だけが、彼のことを覚えていられる。
皆は忘れてしまって、最初から彼なんていなかったかのように生きる。
あまりにもそれが悲しくて、覚えず自分の両手をきつく握っていた。指先は氷に似た温度まで下がっている。
千田くんは視線を逸らして宙に舞う花弁を見上げた。
不規則に、予想もつかない方向へ流される薄桃色は、真冬の灰の空を浮遊する。見つめる赤みがかった瞳が、ゆっくりと瞬いた。
このまま彼も、花びらになって飛んでいってしまう。そんなありもしない予感に呼吸が苦しくなった。
私は間を置いて問う。
「じゃあ、もう会えないの」
魔女は改めてこちらを見て、しっかりと一つ頷いた。
その面からは、さっきの笑みが全部強がりだったと弁解するような気配がする。
彼もつらいのだと、その時思い知った。
「だから、春まで隣にいていいか」
囁くような願望に迷わず首肯する。千田くんは酷く安心した面持ちで表情を緩ませ、感謝の言葉を口にした。
彼の意向で、このことについて椿妃さんや林田くんには黙っていることになった。どうせ記憶がなくなるのだし、過剰に悲しませることはしたくないと魔女は笑う。
不器用な優しさや配慮は出会った時から変わっていなかった。
でも、前より素直になってくれたと思う。始めは天邪鬼な発言が多く、代わりに表情が分かりやすかった。今も大半はそうだけれど、自分の気持ちを偽りなく言葉にしてくれることは増えた。
嬉しいという感情が生まれて、私は自分に対して首を傾げる。でも、今は分からなくてもいいなと思った。
凍える風に晒された桜が枝を弛ませる。
彼がいなくなるまでの間、今まで通りを生きようと胸に誓った。
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今までの生活、特に高校生になってからは幸せだったのだろう。だからこれは我が儘でしかない、しかし、欲を言えるのなら言いたい。
俺はまだ、此処に居たいと。
ぴんと張り詰めた冷気の朝を起き出せば、キッチンで姉が朝食を準備している。足元に黒猫の姿はない。
家を出て、泉を迎えに行き、味のしない会話を交わしながら登校する。彼女の隣は温かいものだった。
教室に着くと、気怠げな声と戯れ合う学友が散見する。遅れてシンが来て、真っ直ぐに俺の机に駆け寄った。他愛のない話から始まって、間もなくホームルームの鐘が鳴る。
あれほど面倒くさがっていた授業は、今になると名残惜しく思えた。魔法界に教育機関などないから、センセーたちの話を聞くのも最後になってくるだろう。
日常がかけがえのないものだという言葉は、間違いではなかったんだな。
そんな物思いに耽って、一日は通り過ぎていった。
やがて一週間、一カ月と時間は無情にも通り過ぎ、年の瀬へと差し迫る。
冬は嫌いだったが、今だけは終わらないでと呟きたくなるほどだ。
春の気配は未だ遠い。それでも確実に過ぎゆく時計の針を横目に、虚しさを感じざるを得なかった。
「最初は死ぬつもりだったのにな。所詮、俺もただの人間だったよ、ハルデ」




