第四話 魔女と悪魔(2)
「大丈夫か聡乃っ?」
これも聞き覚えのある声。
あれ、これってもしかして――今、千田くんが二人いる?
先程より立ち籠める煙が薄くなる。やっと辺りのことが視認できるようになった。
そこで私の目に映ったのは。
「うわ、やっぱり」
私のことを守るようにぎゅっとしている千田くん。そして少し距離を置いて箒を持つ千田くん。計二人の千田咲薇が私の視界にいた。
「おい離れろハルデ!」
「俺はあんな悪魔じゃねーよ。それに、離れたらお前が襲うんだろハルデ」
同じ声であちこち言われると何だか気持ちが悪いな。
言い争う二人を交互に見て比べてみるが、全くの同一人物だ。声は勿論、髪型、身長、服装、目つきまでも瓜二つ。
「黙れ偽物。聡乃を離せ!」
「は? お前が本当の千田咲薇なのか証明したら離してやるよ」
「いかにも自分が本物だっていう口振りだな。良いだろ、証明してやるよ」
なんだかよく分からないが、どちらが本当の千田くんなのかを証明するバトルに移行している。先程のハルデの怒りは何処へ?
「判定は聡乃がやってくれ」
「え、分かんないよそんなの」
「任せたぞ聡乃」
絶対本来の目的を忘れてるでしょ、この人たち。
心のなかで毒を吐きつつも、私は二人の彼を凝視する。鏡のように二人は互いを睨めつけ合い、やがて片方が口を開けた。
彼らの説明によると、悪魔は魔女より魔法の扱いが得意ではないらしい。という訳で、魔法で勝負することになった。
私はジャッジの基準が分からないため、どう頑張っても甲乙を付けられないのだけれど。
「恨みっこ無し、分かってるな」
「望むところだ」
「「――エスパイア:ウォーター」」
二人は同時に同じ魔法を唱え、辺りに水の造形物を生み出した。噴水のような形状のものや、魚や植物を象ったものなど、どれも綺麗だ。日に反射するとガラス細工みたいにキラキラ輝いて眩しい。
「聡乃! どっちが綺麗だ?」
箒を持つ方の千田くんがこちらに問うてきた。間髪入れずにもう片方の彼も訊いてくる。
判断を迫られ、私はまだ分からないと答えた。
「もう少し高度な魔法だったら差が付くかもしれないよ」
その一声に彼等はすぐ反応した。
*
以降、何度か同じようなことをして争ったが、私にはやはり判断ができなかった。
確かにどちらも魔法は使えているし、扱えている。でも何かが違うように感じるのだ。
私があまりにも判断しないから、二人の闘争心は私へと向かいつつある。
「いつまでそうやっているつもりだ」
「呪いの相手だろ」
そんなこと言われても。
「もういい、戦って決着をつけよう」
勝手にそんなことを言い出して、彼らは離れていった。
やっぱりなんか違うんだよな、ふたりとも。何処か、違う。
目の前で再び戦闘を開始する両者を見つめて、小さく無意識に溜息を吐いていた。もう既に呆れ半分な私は、諦めたようにその場にしゃがみ込む。仄かに桜の甘い匂いがした。
私たちを取り巻くような灰色の煙は、いつの間にか薄れていて桜の木をも視認できるようになっていた。
のんびりとした景色に似合わない破壊音が轟く。
遅れて強い風が髪を揺さぶった。まだあの二人は戦っているのだろう。私の視角からでは様子を確認できない。
「聡乃!」
突然名を叫ばれて、私は咄嗟に顔をあげる。私から見て左、数メートル先から赤い何かが来るのがわかった。だがそれが何を示すのか、すぐには分からなかった。
それは刃。悪魔が得意とする魔法の一種だった。
それが猛スピードでこちらに向かってきた。
逃げる術は、一秒ずつ失せている。
一瞬、頭が真っ白になる。
判断を下せずにいる。
でも。
彼が助けに来ると、私は確信していた。
砂埃を立てて、私の左隣に少年が降り立つ。彼の声で魔法を唱える声が、薄っすらと鼓膜を撫でた。
私は思わず歓喜に似た感情で名を声にする。
「千田くん」
「すまん、思ったより時間食った」
三人目の千田咲薇が現れる。なぜかとても安心している自分がいた。
彼は二人を覆えるくらいの大きいバリアを作り出す。見事、刃は砕け散った。
向こうにいた他の彼らの内、片方がぎょっとした表情でこちらを凝視した。もう片方もこちらを見ていたが、さほど驚いているようには見えない。そして静かに、霧のようにして姿を消した。
「いい感じに時間稼ぎをしてくれたんだな」
「……どういうことだガキ魔女」
残っていたもう一人の千田くんが、徐々に姿を変えてハルデになった。なるほど、変化していたのか。
千田くんはバリアを解くと、右手に持っている紙を掲げてみせる。それを目にした途端、悪魔は血相を変えて叫んだ。
「おいッそれは――」
しかし彼の一声で叫びは搔き消されてしまった。
「失くしたかと思ってたよ契約書――主に逆らうこと許すまじ」
ピカッと光ったかと思えば次の瞬間、ボンっという音が空気を揺らした。眩んだ視界を精一杯、明瞭にしようとする。
やがて目が慣れると、私たちの足元に一匹の耳の大きな子猫が、地面にへばりついていたのが見えたのだった。