第四十五話 戦火の消えたあと(1)
朝。黒い子猫に起こされたら、新聞紙を広げる父がいて、身支度を整える姉がいて、朝食を作ってくれる母がいる。
そんな毎日を夢見ていた。
もし魔女の家系ではなく、何ら変哲のない普通の家庭だったなら、この夢は叶っていたのだろうか。
俺の人生はそれが正解だったろうか。
彼女と出会わない世界線は、幸せだったろうか。
*
戦争は終わった。
改心し味方してくれた狩人も、未だ魔女への怨恨を猛らせる狩人も、みな揃って検挙された。人間界に散らばっている者も追って捕まえる、と魔法省の奴は説明していた。
最終的に魔女は減った。ついに一桁になってしまった。
俺も使い魔がいなくなったから、随分と魔力が弱くなってしまったな。しかし、もうこの力を使うことはないだろう。
帰ったら、あの桜の庭に泉が待っていた。
彼女は使い魔が死んだことを、涙を零しながら話してくれた。そして遺言のことも。
「また、呼んであげよう」
「……忘れてなければな」
家に帰ったら、姉が大泣きしながら俺たちを抱きしめてきた。
しばらく離してくれなさそうだったため、何より多大なる迷惑と心配をかけたため、彼女には好きなだけ泣いてもらうことにした。隣の泉は、ひたすら謝罪の言葉を繰り返していた。
泉が魔法界に来てから、こちらの世界は約三日の時が流れていたらしい。
彼女の両親は行方不明届を出してしまっていたし、シンはすっかり精神を擦り切らせていた。シュークにも泣きつかれて、余計に疲れがどっと出た。
あれよあれよと言う間に次の日になって、以前の通り学校へと向かう。
少しは休みたいところだが、今までの生活を忘れたくなくて、俺は今日も彼女の隣を歩く。
コイツも随分と体力があるみたいだ。俺が目の前で刺されたり、ハルデが消えてしまっても芯を持っている。
最初から最後まで、彼女は強かな人だな。
『さっすが、このボクが見込んだ人間なだけあるね!』
子猫のそんな声が聞こえた気がして、覚えず呆れた笑みが落ちる。
じゃあハルデ、あのことを言うのは、もう少し先でいいよな。
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戦争云々から一週間が経った。周りに色々話を聞かれたけれど、千田くんの力もあってなんとか誤魔化せた。
でも大切な友人がいなくなってしまったことは、まだ引き摺ってしまっている。ふとした時に思い出して胸が張り裂けそうだった。
そんな痛む心に手を当ててくれたのは、千田くんだった。
彼だって使い魔を失った側だというのに、感情を滲ませることなく傍にいてくれる。悲しいよと言えば、悲しいなと返してくれた。
寂しくなっても以前のような生活に戻りつつあることに変わりない。
呪いは解けてしまったけれど、千田くんは隣にいるし命の危険もなくなった。だからこそ好転したと言うべきなのだろう。また普通の毎日を送れるのだ。
そう、思っていたんだけれど。
子猫の影が見えなくなった九日目。
魔女から連絡が入った。少し静かなところで話したいと。
不思議に思って、私は指定された彼の庭にやって来た。冬も盛りで、年中咲き続ける桜の幹には雪が降り積もっている。
今日は降らなかったからいいけれど、吹雪の時は散ってしまわないのだろうか。白くなった息が頬を掠めていく。
約束の時間より二分早く彼は来た。
マフラーに顔を埋めながら、鼻先を赤くして歩いてくる。
「悪い、待たせたか」
「ううん。そんなことないよ」
彼は使い魔がいなくなった影響で魔力が弱くなってしまったそうだ。無駄な消費を抑えるため、転送魔法や移動魔法を使わないでいるらしい。
話とは何かと、単刀直入に問う。
千田くんは一度、開きかけた口を噤んで俯いた。そして一言、いつ言おうか迷っていたと呟き、こちらの目を見て言う。
「春になったら、この世界から出ていかねーといけなくなった」
冷気が二人の間を通り過ぎる。私は何も言い出せなかった。
息を呑む私に、彼は謝罪を零して事情を説明する。
単純明快に言うならば、千田くんは魔法界に連行され二度と人間界へ渡れなくなると言う。
理由は、悪魔と重複契約を行ったから。
そして禁断魔法の作用対象者であるから。
前者は本人も言っていたように、願いを叶えてもらう代わりに自分の魂を与えるという契約を“通常契約に重ねて”取り付けた。この罰則は魔女と魔法使い、どちらにも該当するらしい。
それは違反してもあまり厳しい罰はないというが、問題は後者である。
「蘇生は禁断魔法に部類されっから普通は使用者――今回はお前か、に、罰則があるんだが」
彼の頭に桃色の花弁が舞い落ちる。魔女は片手で払ってから続けた。
「お前はもう魔力もねーから今後、禁断魔法を使う可能性は低いと見なされて不問になった。代わりに死の世界から蘇った俺が罰せられるってわけ」
「そんなの飛び火じゃない。私が勝手に生き返らせちゃったのに」
「そうだな。でも死刑じゃねーだけマシだと思わねーか」
どうやら彼は既にこの判決を受け入れているみたいだ。いつもの反抗的な目や言葉がなかった。
納得がいかないという顔をした私に、千田くんは諦念の色を浮かべた微笑みで言う。偉い人たちが決めたのだから覆ることはない、ここで抗えば余計に刑が重くなると。
「死ぬわけじゃねーよ。ただ、これからの人生は向こうの世界で過ごすだけだ」
その台詞の裏に、彼の気持ちが透けて見えた気がした。




