第四十二話 声(2)
「その手は相手を傷つける為にあるのですか。その足は戦地に赴く為にあるのですか。その力は自身の鬱憤を晴らす為だけに使うのですか。違うでしょう?」
苦しい。痛い。でもまだ彼等の心に届いていない。私は此処で止まっちゃいけない。
「その手は握手をする為にあります。その足は歩み寄る為にあります。その力は命を守る為に使うのです」
これだけは言いたい。これで終わりにしようと願って。
「貴方たち一人ひとりの命は、どれ一つとして此処で散って良いものではない。私の声が聴こえたなら、どうか、目の前にいる相手を信じてください」
握った両手から力が抜ける。
「貴方たちは同じ人間なのですから」
再び秒針が時を刻む音が響いた。
途端に景色は色を取り戻し、轟音が鳴り渡る。時間の拘束が解けたのだ。
私は意識が遠のくのを引き留めきれず、そのまま手放してしまう。倒れ込みそうになった四肢を誰かが受け止めてくれた。
頑張ったな、という優しい声音を最後に耳にして、私は重い瞼を閉じた。
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眠りに就くかのように少女は俺の腕の中で目を瞑った。華奢な肩は強張ることなく脱力する。
瞬間的に響いた戦闘音は、寝静まった彼女を気遣うみたいに聞こえなくなっていった。息を呑む音や座り込む音、荒くなった呼吸を押さえつけるのが、静寂の帳に立つ。
戦いは止まったらしい。辺りを見回すと、人々が互いの顔を見合わせたり、意識を飛ばした泉へ視線を向けたりしているのが確認できた。
あとは彼らがどう動くかだ。
彼女の呼びかけ通りに武器を下ろすのか、構わず血を浴び続けるのか。決断は本人たちに委ねられている。
泉を抱きかかえ、腰を上げる。もし戦闘が再開されたら堪ったもんじゃねー。
ふと視界の端で人影が動く。
目を向けると、そこには初老の女が向かいに立った若い男に手を伸ばしていた。その先、彼の腕には真っ赤な傷口がある。彼女の傷だらけの手から、穏やかな緑の光が溢れ出ていた。
回復魔法だ。
若い男は身動いだが、すぐに大人しくなった。そして応えるように彼も彼女へ手を伸ばす。頬にあった裂傷に優しい光を当てたのだ。
無言で互いの怪我を癒す。
彼らを見た周りの者たちも少しずつ歩み寄った。
静かな戦場に、小さな会話が徐々に聞こえ出す。謝罪から始まって自分自身の話になっていった。私は娘を失ったと、僕は自分の片腕をもがれたと、奪われたものの話をしていた。
しかし皆が皆、傷の癒やし合いをした訳ではない。反抗的な目をしたまま引き下がる者もいれば、武器を突き立て続ける者もいた。
……まさか、こんなあっさりと和解できてしまうとはな。
連日の激戦によって疲労困憊だったのもあるだろうが、一番の理由はこの少女の訴えだったろう。魔女でも狩人でもない、ただの人間の言葉だったからこそ、響いたものがあったのではないか。
泉が普段から何を考えているのか分からないでいたが、今日、やっと知ることができた。こんなにも俺たちのことを想ってくれたのかと胸が温かくなった。
だが、打ち消すように悲鳴が上がる。
「ぬるい事ほざいてんじゃねーよ! あんたら全員人殺しなことに変わんねーんだからさァ!」
戦場に新たな参入者が来たらしい。かなりの数の人影が群れを成していた。
他の場所に散らばっていた狩人たちである。泉の話を聞いていたのかは定かでないが、少なくとも平和的な終幕を望んでいなさそうだ。成り立ちつつあった和が乱される予感がした。
魔女たちと回復し合っていた狩人らは、困惑した様子で仲間を迎える。
話をしようと男の狩人が口を開いた。しかし声を発する直前、遅れて登場した仲間に吹き飛ばされてしまった。
すかさず他の者たちが声を上げる。
「っ何すんですか!」
「アナタたち分かっていらっしゃる? もう人には戻れないんですよ」
思わぬ攻撃に、男の狩人は地面に伏したまま微動だにしなかった。彼に駆け寄ろうとする者たちを狩人は牽制し、やがて矛先をこちらへ向ける。
意識のない少女に目を遣った。もう少し寝かせてやりてぇんだが、起きちまうかもな。
「そいつシンシャだろ? あんたらより有効活用してやるよ」
鋭利な眼光と構えられた片手。
数は圧倒的に向こうの方が多い。だがそれは俺一人だけの話だ。
今度こそ最後まで守りきる。俺は分からないくらい小さく口角を持ち上げ、言ってみせた。
「悪いがコイツはただの女子高生。お前らとは縁がねーな」
俺の眼前に、赤い影が舞い降りた。




