第四十二話 声(1)
悲鳴が聞こえる。
虚しく上げられた鬨の声は、己の信条よりも自身の命を守ろうとしている何よりの証明だった。
戦争なんてものを、本気で望んで行う者など一握りだろう。考えなくとも分かる。
では、その他の人は何の為に血を流すのか。
理由は千差万別ある。私が挙げられるものなど氷山の一角に過ぎない。
私なんかが口に出せる代物ではない理由を、彼らは抱えているのだ。
それを皆に知ってほしい。
移動中の空。
時折吹きつける熱風と北風に顔を顰めつつ、私は魔女の乗る箒の後方で思考を巡らせていた。
話を聞いてもらえるか、上手くいくかの確証はない。それでも私が信じなくては、彼らが私を信じることはない筈。ならば賭けるしかない。
「ここらでいいか。ハルデ、決めた段取りで行くぞ」
『はぁい。じゃ、ときのちゃん、頑張ってね』
膝の上に座っていた黒猫が飛び降りる。器用に一つ回転すると、彼は蝙蝠の翼を広げた少年へと変化していた。
ついに来た、ここが一番の戦場。
何もかもが入り混じっていて優勢劣勢の判断は難しい。人と、人でないものが互いを傷つけあっていた。
千田くんはこちらへアイコンタクトを取ると、ゆっくりと降下する。母親譲りの結界魔法を張って。
大丈夫、言いたいことはまとまっている。魔法の使い方もシンシャが教えてくれた。あとは私がどれほど心に訴えられるかどうか。
流れ弾や風圧が透明な壁を叩く。戦いの音が迫ってくるのを感じた。
箒から降り、前を見据える。
地面は揺れ続け、赤は伝い続けた。今この時も絶える命がある。それを少しでも繋ぎ留めなくては。
不意。
衝突音が甲高く鳴った。千田くんの呻きが耳朶を打つ。
咄嗟に振り返った視線の先、皮膚の爛れた女性。彼女は魔女へ無作為な攻撃を仕掛けていた。植物の蔓が鞭のごとく跳ね回り、彼に殴打を試みる。蔓は表面が焼け焦げて黒く変色していた。
「オマエたちのせいで! オマエたちのせいで!」
嗄れた絶叫が上がる。こんなに耳が痛くなるほど騒々しい場所だのに、言葉はよく聞こえた。
彼女だけでない。
そこら中から鳴り渡るのは、目の前の相手ではない誰かへ向けた憤慨の声。行き場を失った感情たちの刃。
「娘の仇を討つ!!」
「俺の人生を返せ!」
「兄の無念を晴らすッ!」
「絶対に許さない!」
「全員殺してやる!!」
なんて、痛いんだろう。
魔女も狩人も、互いを憎み、恨んで。
自分が死んでしまったら代わりなどいないのに。
悲しむ人が必ずいる筈だのに。
胸の前できつく手を握りしめる。あの少女が貸してくれた魔力を集めるように、ぐっと一つに力を込めた。
ぽわっと組んだ両手に熱が溢れる。意識が鮮明になって間もなく、体に得体のしれない重みが伸し掛かってきた。
苦しさに押し潰されそうだ。立っているのも難しい。足が震える。息を。音が聞こえない。感覚が奪われていく。息を、しなくちゃ。
あ、だめだ。意識が。
ぐらりと歪んだ視界が光を失う。潰される予感とやり方を忘れた呼吸。脳の隅、まだ手放したくない望み。
鼓膜を揺らすのはいつもの声。
「泉、負けんな!」
そうだ、私しか伝えられないんだ。託されたんだ。
一つ大きく息を吸って、祈りと共に唱える。前世の私が得意だった魔法の呪文を。
すべてを止める為の合言葉を。
「――ク・ロック」
彼女も一緒に唱えてくれた気がした。
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秒針の一刻を刻んだ音が響き渡った。
刹那の間に視野のすべてが色を失う。
白と黒に塗られた景色、人々は動きを止める。
時間が止まったのだ。
正確に言うならば人の意識以外の時間を止められた。だから考えることはできるし、この状況を理解することができる。
たった一人、少女の姿だけが色鮮やかに目に映った。
「聴こえるでしょうか、私の声が」
凛々しくも震えを隠した声音。当たり前だ、こんな人数も数えられないほどの大衆の前で話すのだから。
ゆったりとした口調から始まった彼女の語りは、不思議なくらい支えることなく言葉を紡いでいった。
自分はただの人間で、とある事情から呪いに掛けられた。魔女と命を共有することになり、不安ばかりだったと。
俺は初めて、彼女の口から当時の心情を知った。やはり案じていたのか、胸が少し苦しい。
彼女は続けた。
運命を共にすることとなった魔女はとても優しく、自分のこの不安を払拭してくれたのだ、と。
「そして私は惨い争いを知りました」
最初こそ魔女たちへの同情があった。数が少ないというのに大勢で狩りにくる狩人たちを非道な者たちだと思っていた。
しかし生活を送る中で、悪魔や吸血鬼、魔法使いとも交流して複雑な対立構造があることを知った。狩人たちも奪われた存在であることを知ってしまった。
皆、失っている人なのだと。
「互いに奪い合ってきたせいで今日まで争っている。悲しみ以外何も残らない戦いを終わらせられずにいる。貴方たちはこの残酷な連鎖を止めなくてはなりません」
彼女の面が歪んだ。全身に掛かる大きい負荷に耐えられるのもそろそろ限界だろう。
初めての魔法、それも上級魔法を一定時間保っているのだ。十分すぎる。こちらもク・ロックが解けたのと同時に動けるようにしねーと。
ふらつく彼女はまだ話を止めずに、苦し紛れに続けた。




