第四十一話 糸を引く者(1)
血だけが残った戦場に、一人の魔女が呆けた様相で座り尽くす。
私はすぐさま降下して箒から降り立った。ふらつきつつも彼に駆け寄り、風に流されていく砂を見下ろす。思わず両手で口を覆った。
最初から、彼女は千田くんのお母さんじゃなかった?
じゃあ本当の母親はどこ?
第三者である私でさえ混乱するのだ、一番状況が飲み込めないのは彼である。ひたすら母だったものを見つめて、短い息を繰り返していた。
なんて声を掛ければいいのか、迷いと躊躇の狭間。虚を突くように鈴の鳴る声が谺した。
『もーなぁんも上手くいかない! ガキ魔女のそのカオが見れたからいいんだけどさぁ』
振り返ると、荒れた大地を小さな足取りでやって来る子猫が一匹。首に結んだ赤いリボンを揺らしていたのは、悪魔のハルデだった。
身震いをすると瞬く間に少年の姿へと変わり、彼は不機嫌な顔をしてこちらを見る。
愛らしくも読めない眼差しに、私は恐れを感じて一歩下がった。反対に千田くんが困惑した声音で問う。
「お前、どこまで知ってた」
「知ってるも何も、これ全部ボクが仕掛けたものだよ」
悪びれることなく言ってみせる使い魔へ、主の魔女は考える間もなく魔法を唱えた。
空間を切り裂くような鋭い矢が放たれる。が、ハルデは難なく軽い調子で躱した。頭上の三角耳をピコピコ動かして、心底苛立った目を向けた。
「うわぁ感情任せなのは歴代トップだね」
「説明しろハルデ、どういうつもりだッ」
声に覇気が戻った主を、使い魔は迷惑そうに耳を反らす。うるさいと言いたげに口をへの字にしていた。
私も、彼の目的が何なのかわからない。
黒幕であることは知っていた。でも今起こっている全てが、この黒猫の差し金だと言うのだろうか。
やっぱり彼は悪魔でしかないのか。
ハルデは手を後ろで組み、片足をぷらぷらさせながら気怠げに話し始めた。
自分は何一つ嘘を吐いていないと。
まず、始めから槭――千田くんのお母さんは死んでいた。亡くなった明確な日にちは不明。無駄に強い怨念と化した魂が残っていたから形を与えてやっただけ。
そして私に説明した、彼女との契約を結び直したという話は嘘でないと言う。怨念ではあったが魂であることに違いはないらしい。
「ボクが魔女、狩人どちらの味方ってのも本当。キミの望みを叶えるのも嘘にしないつもり」
冷たい風が横切る。彼の温度のない声が痛い。
「じゃあなんで俺を死なせた」
怒りを押し込んだ千田くんの声。対して能天気な高い声が答える。
「それはボクも想定外! キミの体から魂が抜けきっちゃってたら契約違反だったけど、ギリギリ間に合って亜空間に保存しといたし」
でも、と言いかけて子猫がこちらへ視線をずらす。細められた瞳孔に射抜かれる気がして足が竦んだ。
ハルデは続ける。
「まさか、ただの人間が禁断魔法を使うとは思わないじゃん」
険しい目つきをする私に怯むことなく、彼は平然とした表情で尾を揺らす。
ハルデの目的はまだ謎が多い。しかし、少なくとも千田くんや私を死なせるつもりはなかったということは感じ取れた。
それが計画通りにいかなかっただけで、今こうなってしまっている。
「ガキ魔女は死んだと思ってプランBに舵切ったのに、まーた変えなくちゃじゃん!」
「そのプランBって、どうするつもりだったの」
やっとの思いで声を上げる。だが彼は、さぁねと不敵な笑顔を浮かべるばかりだった。
「二人とも生きてんならそれでいいよ。結局主の願いを叶えるのに尽力することは変わらないし、プランAに戻るだけだし」
「本当の目的は違うだろ、俺はそれを早く説明しろと言った」
「いずれ分かることだよ。そんなカッカしないで」
とりつく島もない様子で、使い魔は飼い主の言葉を華麗に避ける。
怒りの矛先を子猫に突き立てたまま、千田くんは立ち上がった。低い声で、埒が明かないと言うと悪魔へ歩み寄る。
離れていく彼の背を見て、私は思わず零してしまった。
「ねぇハルデ。どうして槭さんに形を与えたの」
彼の話を聞いてから暫くつっかえていた疑問。どうしても訊かずにはいられなかった。
わざわざ元の姿に戻して、洗脳を解くこともなく契約し直して、そして千田くんと戦わせた。これらの意図が理解できない。そうする必要なんてあったのか、主の心の傷を抉るような真似をする意味はあったのか。
真っ直ぐに紅い瞳を見つめ返す。そこにあるのは濁りのない純粋な――悪意だった。
「え。ただガキ魔女のツラそうなカオが見たかっただけだけど」
悪びれる素振りもなく、反省する機微も後ろめたそうにしていることもなく、当然のことを言うかのように。
なにかが私の中で壊れる音がした。




