第四十話 あなたに餞を(2)
この戦いがどんな結末を迎えるのか、どちらが最後まで立つのか、私には到底予想がつかなかった。
戦力外の私は、借りた箒でひたすら邪魔にならないような場所を飛行していた。彼のお母さんがこちらを気にする素振りはなく、息子との戦闘に集中しているみたいに見える。
否、集中なのかは分からない。視界に入っていないだけだからなのだろうか。
砂埃が舞う。慌てて高度を上げた。
魔法同士の攻撃というよりか、剣を使った肉弾戦らしい。
彼は見慣れているからか、千田くんのお母さんの人形じみた動きは気味が悪かった。洗脳されて操られているとは聞いたけれど、これじゃ本当に糸で吊られているみたいだ。
甲高い音が鼓膜を刺す。
時々魔法がぶつかり合って、風圧に似たものに押されてしまう。一人で箒に乗るだなんて初めてだから不安だけど、そんなことを言っている場合ではない。
目下で赤が飛沫をあげる。千田くんの一振りが相手の片腕を抉った。
立て続けにもう一押し。しかし彼女が張った結界に阻まれ弾き返される。
「嫌いなの、お母さんのこと」
聴こえたのは悲痛な声音だった。
息の上がった千田くんに対して、相手は顔色一つ変えずに話している。怪我を負っているのは向こうばかりなのに、体力はあまり削れていないのかな。
魔女は顎に伝う汗を拭った。答える気など更々ないようで、刃に付着した血を払い、構え直す。左手を外に向けて、いつでも魔法が使えるようにしているようだ。
「嫌いよね、私のせいで魔女を継ぐことになってしまったんだもの。なら、こうして傷付けても平気よね」
彼に切られた腕を掲げる。滴る血液は地面を汚していった。
彼女の足元に巨大な影が戻ってくる。やがて顔を出し、泥となって具現化された。まるで彼女を捕らえる檻のように、私は見えた。
千田くんは相手の話を最後まで聞かずに踏み込む。その目に感情はなかったが、確かに押し殺した何かが滲み出ていた。
殺したくないと、言っているようだった。
彼の母親は造作もなく刃を避ける。檻に似た泥が大地から引き抜かれて槍へと変化した。一直線に息子の身体へと鋒を向け、降り注ぐ。
ひやりとした私の気持ちを返すように、千田くんの無事はすぐに確認できた。彼の母親とまったく同じ、結界を張って防いでみせたのだ。
泥が粉々に崩れる。その隙に彼は相手との間合いを詰めた。
あ、殺しちゃう。
私が制止の声をあげる寸前、砂埃が晴れる。
千田くんは母親に馬乗りになっていた。仰向けになる彼女の首元に刃を立て、身動きが取れないように自身の足で押さえつけている。
項垂れた彼の表情は分からない。でも、母親の顔を見ればわかった。彼女は目を見開いて呆然としていたのだ。
「あぁ嫌いだッ 今のお前は母親でもなんでもねぇ、ただの狩人だッ」
響き渡る彼の叫び。剣の柄を握る両の手が大きく震えていた。
「だから俺は魔女として狩人のお前を殺すッ 殺したくなくても殺すしかねーんだッ」
彼は泣いていた。落ちる雫が音を立ててしまう気がするほど。しゃくり上げる息を押し殺して、必死に言葉を紡いだ。
子どもの涙が母の頬を滑る。彼女は悲しげに微笑んで手を伸ばした。
「泣かないの、咲薇。あなたはお利口さんなんだから」
指先が彼の頬に触れる――直前。
彼女の動きは止まり、皮膚が色を失う。罅が入り形がなくなっていくその様は、さながら水分をなくした泥が崩壊するものに近かった。
母親の姿は跡形もなく砂と化してしまったのだ。
なんの前触れなく消えた相手に、千田くんは戸惑いと動揺を隠せていなかった。力なく膝から崩れ落ちて辺りに視線を回す。
「お、かあ、さん、?」
呟きが溶ける。
彼は迷子になった子どもみたいだった。




