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少年魔女  作者: 朧
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第三十一話 境界線の向こう側(1)

『ココにいたんだ、ときのちゃん』


 背後から聴こえたのは、鈴に近い悪魔の声。

 私は思わず振り返った。


 視線の先は、出入り口のドアの上にある窓に向かう。座る一匹の子猫とぶつかった。黒い毛並みに混じる赤毛、ワインレッドの瞳は煌々と光っている。

 背から生える蝙蝠の翼は、玩具のように小さかった。


「ハルデっ? ハルデなのっ?」

『そうだよ、久しぶり。随分とホコリまみれだね』


 能天気な口調にじんわりと安堵した。良かった、彼が無事なら千田くんもきっと生きている。


 慌てて椿妃さんを呼ぼうと前に向き直す。陣を描く彼女に声を掛けようとした、その時。


「だーめ。魔法陣は途中で描くのやめちゃったら危ないんだよ」


 忠告が耳元で囁かれるのと同時に、私は後ろから悪魔に口を押さえられた。


 視野の端にラセットブラウンの髪が揺れる。少年の姿だと理解するのに、さほど時間は要さなかった。


 彼は静かに続ける。


「ガキ魔女のことを心配してるんでしょ。確かにまだ生きてるけど、無傷ではないかなぁ」


 言葉の意味が上手く咀嚼できない。聞き返したくても口を塞がれては何も言えない。

 そんな、千田くんは怪我をしているの?


「ねぇ、ときのちゃん。君は我が(あるじ)に死んでほしくないんだよね」


 幼気な声が谺する。私は首肯した。


「じゃあ来てよ、境界線の向こう側に。君が直接言えばいいでしょ?」


 瞬間。

 辺りが真っ白に塗り潰された。


 さっきまでの薄暗さは失せ、まっさらな画用紙に囲まれたような空間に変わる。広さすら分からない。分かるのは、ずっと背後にいる少年の存在くらいで。


 彼はするりと手を離した。

 開放された口元は咄嗟に悪魔の名を呼ぶ。今一度、振り返るとハルデは満面の笑みを浮かべていた。


「ようこそ! ときのちゃん。ココは魔法界、ココは戦場、ココは地獄、ココは救いようのない狩場だよ!」


 瞬く間に白は剥がれ落ち、辺り一帯が真っ赤になる。いや、これは炎だ。家だ。人だ。知らない場所だ。


 耳一つでは拾いきれないほどの轟音が鳴り渡り、そこら中から爆発音が絶えず聞こえる。人の声もするけれど、何を言っているのか分からないくらい叫んでいた。

 悲鳴もある。怒声も、泣き声も、呻きも何もかも。


 嘘、ここが、魔法界なの?


 空は紅く暗く、曇っていて蓋をされているようだった。そこらかしこに上がる黒煙が炎に照らされ、得体のしれない化け物のような気さえする。

 話で聞いていたものとは、あまりにもかけ離れた状況。

 シンシャが命と引き換えにして生み出した世界とは、到底思えなかった。


「ありゃ、いろんな修羅場を潜り抜けた君なら平気かと思ってたけどダメだったかな。まー来ちゃったもんは仕方ないけどね!」

「ハルデ、これは、どういうこと」


 彼の緊張感のない雰囲気について行けず、私は震えた声で問うた。悪魔は尾を揺らしながら答える。見たままさ、と。


 魔女狩りとは、まさにこの事なのだろう。

 私が今まで見てきたものとは比にならない、残酷で惨いもの。


 こんなところに千田くんはいるの? ずっと前から、戦ってたの?


「ほらほら。ぼーっとしてちゃ、マジでガキ魔女狩られちゃうぞ」

「千田くんはどこ、人質の魔女たちは」

「なんだ、そこまで知ってんだ」


 ハルデは軽く驚くと、すぐに八重歯を覗かせる。みんな生きているという旨を言うも、その双眼の裏に何かがあるのは透けて見えた。

 私は彼から一歩下がる。


「ハルデは助けて、くれるんだよね」


 問いかけに悪魔は一瞬だけ表情を固めたが、ぐらりと首を傾けて笑う。もちろん、と言う口が信じられそうになかった。

 でも此処では、頼れるのは使い魔の彼しかいない。千田くんの元まで行かなくては。


 回禄の絶叫に耳を塞ぎたく思う。私はハルデの傍へ歩み寄った。


 頭上の三角耳を揺らしながら、彼は戦場に似合わない笑顔を浮かべる。こちらの片手を取り、ふわりとその場で飛んでみせた。

 何故か呼応するように、私の足も地面から離れ、空中に浮かぶ。足元がない恐怖には慣れていた。何度も千田くんの箒に乗せてもらったから。


「正直空も安全じゃないけど、飛ぶ方が早いしね。それじゃ行こっか」


 私は繋いだ手を強く握りしめて大きく頷いた。


 *


 頭の奥で引っ掛かる、見覚えのない記憶。


 あの肖像画の少女は誰だったのだろう。


 彼女は、鏡の中にいるみたいだった。


 *


 空を経由して降り立った場所は、荒れ果てた家屋が並んでいた。戦いの痕が残っていると言う方が適切だろうか。

 ここは既に争いが過ぎ去っているらしい。人気はなく戦闘音も遠い。


 建物は木でできたものが多く、絵本に出てきそうなログハウスだった。すべて半壊以上の深手を負っているが、一部は原形を留めている。


「ガキ魔女、お客さんだよ♪」


 塀が残っている家屋へ、悪魔は声を掛けた。そこに向かって歩きながら、しゅるりと子猫の姿へと化ける。


 応えた声は、あの人のもので。


「は? 客って誰だよ。つーか勝手にいなくなんなって……」


 セリフの言い終わりが萎む。私と目が合ったのは座り込んだ魔女――間違いなく千田くんだった。


 彼は数度大きく瞬いたのち瞠目する。血の気が引くように、彼の面が青ざめていった。

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