第二十九話 魔女と青春(5)
「ありがとう」
その言葉は私が言うべきものであって、彼の声で聞くべきものではない。でも何故か、胸があたたかかった。
魔女に感謝されたのは片手で数える程度にはあったけれど、どれも筋が通っているものばかりで、今みたいなことはなかった。
私、何もできていないのに?
元はと言えば、千田くんの命をより危険に晒す状況にしたのは私が呪いにかかってしまったからだ。私のせいだ。いつだって足手纏いになってしまうし、気を遣わせてしまうことだって多かった。
私、無力なのに?
彼を助けたことなんてない。近くにいるだけで精一杯だったから。
惨い過去を抱えて、抗えない宿命に縛られている彼を、同情したり慰めたりなんて。できたとしても、あまりにも烏滸がましいことだ。
だのに彼は、こんなにも優しい表情をする。
魔女は気恥ずかしそうに目を逸らした。
「こうやってちゃんと伝えたことなかったな。泉、いつもありがとう」
胸が、熱かった。
彼の声が頭の中でよく響いて、場違いな嬉しさと慣れない照れくささが込み上げてくる。衝撃というにはあまりに強いけれど、それぐらい私は驚いて仕方なかった。
返答をしない呪いの相手に、千田くんはむっとした顔をして言う。
「ンだよ、なんか言ってくれ」
「あぁ、ごめんね。びっくりしちゃって」
私は取ってつけたように感謝の言葉を送り返すと、魔女は頬を赤くしたまま小さく笑った。
変なの、と呟いて立ち上がる彼の足はふらついていない。こちらへ手を差し伸べてくれた。しゃがんでいた私はそっと手を重ねる。冷たさはなかった。
立っても、魔女への視線は上。でも彼は私と目を合わせてくれる。
私も貴方と同じ世界が見たい。
そのような内にある願望には、蓋をしておこう。
千田くんはするりと手を離し、わざとらしく咳払いを一つした。
「気ぃ取り直してバカ猫探しに行くか」
「誰がバカだって?」
探していた声が伝ってきた。振り返るとそこには、跳ねた小豆色の髪が揺れている。
ハルデは呆れた面持ちで、盛大な溜息を吐いてみせた。
「勝手にどこか行っちゃうんだもん、探したよ」
「お前がはしゃぎ過ぎてたせいだろ」
「なんだって! お祭りははしゃぐもんでしょ!」
「あーうるせぇ」
子どものような愛らしい口調と、力を入れずにあしらう口調が行き交う。
言い争いと表現するには些か誇張している、そんな二人の会話には、以前本気で殺し合った面影などなかった。でも子猫のワガママの度合いは変わらないし、千田くんの彼への当たりは強いまま。
変わったところと挙げるなら、互いが相棒であることを認めているということだろうか。
二人を宥めつつ、私は校庭イベントへ誘い出す。せっかく揃ったんだから、思い出作りはしておかないと。
私の提案に魔女と子猫は乗ってくれた。ハルデが軽い足取りで先頭を行こうとすると、すかさず千田くんが首根っこを捕まえて歩調を合わせるように言った。またはぐれたら困るしね。
「ハーネス付けるか、いやリードの方がいいな」
「ボクはペットじゃない! ちょっと、本気で付けるつもり!? 待って! 待ってってば!!」
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無理やり子猫の姿にさせたハルデを抱えながら、校庭に出る。てしてしと腕を叩かれているが、爪が当たるくらいで痛くも痒くもなかった。
首輪は人の目があるため許してやった。流石に猫連れでは視線を集めてしまうからな。
広いグラウンドには大きなステージが用意されていた。今は女装・男装コンテストの結果発表待ちをしているらしい、多くの人が腰を下ろしていた。
……そういやシンの奴、参加するとか言ってたっけな。
とりあえず俺達も並んで座る。この後は確か、部活の出し物だったはずだな。
俺達の目的は、文化祭の最後に行われる打ち上げ花火である。
とはいえ、花火など大袈裟なのは音ばかりで実際は小規模なものだそうだ。まぁ、考えればわかるか。
屋外ステージに数人が並び出し、観客たちが騒ぎ出す。
続々と結果が明かされていく中、俺の友人は準グランプリを獲った。なんでお前なんだよ。
「林田くんすごいね、可愛い」
「本気で言ってんのか。どう見てもいつものシンだろ」
『自然体なのが良かったんじゃない?』
ここに来て友人の(見たくもない)意外な一面を見て、先ほどの貧血の余韻など消え去ってしまった。
日が傾いた頃。
各部活の思考を凝らした出し物も終わり、いよいよ最後のイベントとなった。
校庭の中央から円形に広がった人の群れは、昼間の熱気が冷めていないらしくソワソワとしている。準備が着々と進み、会場の盛り上がりも最高潮といったところだろう。
どうしてか、唐突に終わるのが惜しく思ってしまった。
初めは乗り気ではなかったが、いざ祭りの騒ぎに混じってしまうと楽しんでしまうものなんだな。素直に子どもらしく居られない自分が歯痒い。
泉も楽しんでくれたなら、いいんだが。
アナウンスが鳴って、カウントダウンが始まる。
思えば今日は一日中、狩人の気配がしない平和な日だった。だから尚更、イベントに集中できたのだろうか。
数字がゼロになる。歓声とともに花火があがった。
高校であげるものにしては立派な方か。数もそれなりに多い。
感心している傍ら、泉が俺の右腕をつついた。なんだと応えると、彼女はつぶらな瞳を細めて言う。
「来年も見ようね」
その優しげな表情は、俺の中にある憧憬に限りなく近かった。まさか、ここまで白魔女――シンシャに似ているなんてな。
「……あぁ」
目を逸らし、力なく肯定する。
彼女との約束を、俺はすぐに破ってしまうことになるだろう。自分の選んだ末路に、今さら後悔なんてない。
前より随分と嘘が下手になったと、密かに溜息を吐いたのだった。




