第二十九話 魔女と青春(4)
結局、使い魔は見つからず千田くんからの連絡が先だった。
骨折り損とまではいかないが、無駄足だったことは違いない。ちょっと疲れたな。
一旦魔女と落ち合ってから捜索を再開することになった。待ち合わせ場所は一階の階段裏。人通りが最も少ないであろう場所である。
ここから少し離れているけど、吸血後で貧血気味の千田くんを歩かせるわけにもいかない。急ごう。
足早に人の合間を縫っていく。校庭イベントが始まる頃だからか、昼時より密度は低く感じた。
ふと出処のわからない問いが浮かぶ。
シュークさんは帰ったのだろうか。
ミステリアスで苦手だけど、心優しいバンパイアなのは知っている。千田くんの事が好きだということも、それでは彼を殺してしまうことになることも。
好きになった人の血しか吸えなくなる、か。
日に日に衝動が強くなって、最終的には想い人のすべての血を吸い尽くしてしまうだなんて。酷い話である。
体は血を欲しているのに、本能に従ってしまえば自らの手で殺してしまう。確かシュークさんは、そのような別れをすでに経験していた。
千田くんはどう思っているのだろう。
応えてしまえば死んでしまうが、だからと言って簡単に切り捨てる訳にもいかない。彼自身の心は、傾いているのだろうか。
なんか、だめだな。最近はずっとこうだ。
随分とわがままになってしまったな。
角を曲がるとすぐに目的地だ。人気のない場所は冷えていて、遠くから谺する喧騒が心地良い。
でも、聴こえたのは。
「咲薇くん、私、ずっと好きでした」
息が止まってしまった。
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俺が落ち合おうとしたのは呪いの相手だった筈だのに、今目の前にいるのは違う女子高生。
会った直後は誰なのか分からなかったが、名前を聞いて思い出す。小学生の時、同じクラスだった子だ。
「急にこんなこと言われても困るよね」
大人しそうな彼女は真っ赤にした顔を俯かせる。決死の覚悟だったのか、こちらから見ても手が震えていた。
「付き合いたいとかじゃなくて、ただ、いい加減この気持ちから解放されたかったんだ。一方的でごめんね」
彼女は何度も頭を小さく下げて、返事すら聞かずに走り去っていってしまった。一撃離脱とはまさにこの事だろうな。
予想だにしていなかった告白に頭がぐるぐる回る。なんか言えば良かったか?
「ごめん、待った?」
聞き慣れた声に心臓が軽く跳ねる。
振り返ると、泉が無感情な眼差しで見つめていた。
咄嗟に首を振る。
「いや、俺も来たばっかだし」
「……そう」
普段と違う、温度のない返答。彼女の機嫌が悪い気がした。
なんだか胸騒ぎがして謝罪に出る。
「一人にさせて悪かった。シュークならもう帰ったし、貧血も大丈夫だ」
大丈夫という単語に安心したらしく、泉は少しばかり目を細めてみせた。が、すぐに元に戻ってしまう。
彼女は他人事のように呟いた。
「モテるんだね」
「き、聞いてたのかよ。でも付き合う云々の話じゃなかっただろ」
「そうかな。あの子、とても一途だったね」
棒読みの台詞には距離があった。
彼女が歩き出し、慌てて駆け寄る。襟から呪いの刻印が顔を覗かせた。
思わず返しに詰まる。一途と言えばそうだが、俺は知らなかったし気づかなかった。応えようがなかった。
泉は淡白な相槌を打つばかりで、一向に俺の言い分を聞き入れてはくれない。隣を歩いているのに、集中してくれていないみたいだ。
「おい、泉」
ショートヘアは俯く。声は答えているが、心ここにあらずといった感じだ。
見過ごせない違和感に手を伸ばす。
途端。
視野が暗転する。四肢の力が抜けて思わず前へ倒れそうになったが、反射的に片足が踏み出される。それでも脱力したまま。
しかし床に倒れ込むことはなかった。泉が支えに回ってくれたのだ。
「千田くん、顔真っ青だよ。大丈夫じゃないでしょう」
「わ、悪い……」
華奢な肩に凭れ掛かってしまう。非力そうな腕が精いっぱい俺の身体を抱き止めてくれた。
早く、離れないと。
そうは思うものの頭の中が点滅してしまって言うことを聞かない。くそ、今になって貧血かよ。
全身の血の気が引いていく。
鼻先にある彼女の匂いにすら反応できない。
「ちょっと休もう。座って」
泉はそっと片手を取り、もう一方の手を背に回す。導いてくれる所作は丁寧で優しかった。
壁に背を預ける。幾分かマシになったが身体の先々が冷たく感じた。なんか、嫌だ。拒みたい。
「待ってて、先生呼んでくる」
泉が腰を上げそうになる。遠ざかりかけた体温に、無意識に手を伸ばした。
掴んだのは彼女の左手首。こちらへ振り返ったのは分かったが、どんな表情をしているかだなんて俺には見る余裕がなかった。
少し休めば回復すると言うと彼女は困惑した言葉を口にする。心配してくれているのだろうが、今は。
「隣に、いて」
熱が去っていく感覚がどうしようもなく怖かった。目に見えて死んでいくみたいで。
様子のおかしい俺を落ち着かせるためか、彼女は目の前に座り直す。両手を繋ぎ一言、いるよと答えた。その手はあたたかくて仕方なかった。
数分経つと視界が開けてくる。
前触れなく、泉は決まりが悪そうに言った。
「さっきは冷たい態度とっちゃってごめんね」
「いや、俺こそ迷惑かけた」
「これくらい全然。いつも千田くんには助けられてばかりだから」
それは、違う。
「俺もお前に助けられてる。今だって傍にいてくれてる」
賑やかな騒音から離れた此処で、僅かに低い気温の真ん中。
口を衝いたのは久しい響きだった。
「ありがとう」