第二十九話 魔女と青春(3)
その後、リーリンは従者に捕まって連れて行かれてしまった。
俺たちと一緒に周りたかったらしく駄々をこねていたが、魔法の使えない魔法使いの娘は為す術なく連行された。
まぁ俺からすれば、泉との時間を削られるのは嫌だったから都合がいい。リーリンには悪いが。
別れた後は見失った使い魔を探している。あんなに目立つ姿をしているのに見つからない。
道中、買い食いをしつつ歩を進めた。
「あっついな、夏みてぇ」
「たくさん人が集まってるしね」
今日はそこまで気温が上がらない予報だったが、小汗をかくくらいには暑さを感じる。
それから逃れたくてジャケットを脱ぎ、黒のネクタイを緩めた。まだマシになった方だな。
すると突然、首元に冷感が刺してくる。
思わず声を上げ、首を手で押さえた。冷たさはまだある。その場所に覚えがあって、咄嗟に呪いの相手へと視線を向けた。
彼女は首に、冷えたペットボトルを当てている。丁度、呪いの刻印が在る箇所。
「な、何してんだよ」
「これなら一緒に涼めるでしょう」
小さく微笑む彼女は、良いアイデアだろうと自慢げな目をしていた。
ついこの間まで表情筋のひの字すら動かなかったのだから、ここまで感情を露骨に表すだなんて大きな進歩である。いや、俺が見分けられるようになっただけか?
名案を口にする泉へ、俺は勝手にしろと言う。実際、涼しいのは涼しいのだが脈が急いているおかげで熱いままだった。
彼女は僅かに考えた後、再び首にペットボトルを当てる。このやり方が気に入ったらしい。
……改めて考えてみるとなかなか凄い状態なんだな、好きな奴と感覚が繋がってるって。
その事実から目を逸らしたく思い、気を紛らわすために焼き鳥を齧った。残念ながら味がしない。
ふと、冷気が過った。
呪いの刻印からではない。全身を掠めるかのような細かなものだ。
思い当たるものがあって少し迷う。会いたくはねーけど、彼の想いも無下にはできねーな。
泉も気配を感じ取ったようで、俺を軽く見上げて言った。
「シュークさん、だよね。何処かの日陰にいるのかな」
「多分あそこ。魔力が滲んでる」
わざと居場所を示すような滲み方だ。来てほしいという意味だろう。
吸血鬼だから日の下に出られないのは知っていたが、わざわざ昼間会いに来るなんて相変わらず馬鹿な奴だ。そんなに健気な行動をされても、俺はどうしようもねーのに。
とりあえず使い魔は放っておいて、協力者に挨拶するのが先だな。
人気のない校舎裏は大きく日陰になっている。
名を呼ぶと赤紫の霧が立ち込め、やがて彼が現れた。
「お久しぶりです、お二方。お変わりないようで」
シュークは牙を覗かせ、眼鏡越しの赤い瞳を細めてみせた。
「そういうお前は随分と痩せたな。断食のせいか」
「えぇ、まぁ。ここ最近は流石につらくなってしまったので戻りました」
つまり俺の血を吸いに来たのか。前より間隔が狭まってきている気がするが、空腹の耐えがたい苦痛はよく共感できる。今は泉に席を外してもらおう。
と、思ったのだが。
「血、吸ってるところ見てもいい?」
コイツとんでもねーこと言い出した。
・
・
・
呪いの相手からのお願いに、千田くんは心底嫌そうな顔をして却下した。そうだろうなと思う反面、興味はあったから残念に思う。
それを見計らってか、シュークさんは満面の笑みで言った。
「私は構いませんよ。咲薇様、ここはひと肌脱ぎませんか」
「マジで脱ぐ気じゃないだろうな。外なの忘れんなよ」
「おや、これでも私は紳士でございますが」
「あれのどこが紳士だっつーんだ」
会話の裏に何か蠢いているのは分かるのだが、それが何を指すのかは考えないようにした。大人の事情は私にはまだ早い。
でも私がいると魔女の都合が悪いらしい、見ることはできなさそうだ。どういう仕組みなのか気になったんだけど。
じゃあ、と一旦別れを告げる。ハルデでも探そしに行こうかな。
人混みへと戻る。至るところで笑い合う人々が、なんだか羨ましく感じた。私もあんなふうに笑えたら良いんだろうけど。
よく昔からお面みたいな顔だと言われていた。どんなに親しくしていても表情が変わらないのは、簡単に人との距離を生んでしまう。
はじめは彼も、彼等もすぐ私の元から去っていくものだと思っていた。それでも仕方ないと言い切れる分には、私は彼等を信用していなかった。
でも違った。今でもあの人たちは笑いかけてくれる。
友達だと言ってくれる存在があるのは、私にとってあまりにも幸せなことだ。長い時間、浅い友人関係と孤独の狭間にいた、私にとって。
だからこれは、高望みなんだろう。
そう思って足を動かした。
悪魔を探して十分ほど経つ。歩き疲れてきたが肝心の彼の姿が見えない。
どこに行ったのかな、甘味のある場所はある程度周りきってしまったんだけど。
「あれ、イズミさん? 奇遇だね」
呼びかけに心臓が跳ねる。
振り返ると見覚えがあるような、ないような青年が立っていた。後ろからは背の低い子供たちが顔を覗かせている。
思い当たらず困惑する私に、彼は申し訳なさそうな顔をした。
「忘れちゃったよね。ハヤトだよ、遡行魔法使って君を子どもにさせちゃった魔法使い」
「あ、隼人・グリークさん?」
フルネームの確認をすると、彼は優しげな眼差しを細めて笑った。私のこと覚えてくれてたんだ。
隼人さん曰く、あの出来事から定期的に千田くんと連絡を取っているらしく、今日のことは彼から聞いたそうだ。家族ぐるみで親交があるのだとも言った。
背後の弟たちにも挨拶をすると、隼人さんは小首を傾げて問う。
「チダはいないの? 君たち呪いに掛かってるから離れちゃダメなんじゃなかった?」
「少しの間は大丈夫です。困ったらすぐに来てくれるので」
返答に、隼人さんはくすぐったそうに笑う。
「さすがチダ。責任感は変わらず強いんだな」
「ハヤトにーちゃんお腹空いたぁ!」
「焼き鳥食べたい焼き鳥!」
弟妹たちがツバメの雛の如く鳴き出した。
兄は宥めながら、また今度ゆっくり話そうと言う。その様子に狩人の面影は一切なかった。
愛らしい兄弟を見送り、私は再び子猫を探し始めた。