第二十六話 果たすか否か(2)
夜の九時過ぎ。
滅多に連絡の来ない人からメッセージが届いた。
椿妃さんだ。
どうしたのだろうと、アプリを起動しトーク画面に行くと、吹き出しの中に長文が詰まっていた。この画面でも収まりきらないほどである。
もはやメールなのではと思ってしまったが目を通す。柔らかい言い回しが脳に滑り込んできた。
簡単にまとめると、椿妃さんは千田くんと喧嘩してしまったようだ。それも発端がかなり重い内容。
千田くんは姉と険悪な空気になると投げやりな行動をとるらしい。今も秋の夜だというのに外出してしまっているそう。
そんな状態の弟が不安だから私に助けを求めたという。私の方が話を聞いてくれるはずだとも。
彼女の期待に応えられるかどうかは分からないが、純粋に彼が心配だ。
私は椿妃さんに了解の旨を示したのち、千田くんに電話をかける。だが一向に出てくれない。
無機質なコール音が一方通行する。ベッドに丸まりながら彼の声を待った。
『……もしもし』
いつもより低い声が鼓膜を揺らす。私は至って平生と変わらない態度で応答した。
彼は開口一番、電話の理由を尋ねる。貴方の姉からお願いされたと、少し迷って素直に答えた。
千田くんは不機嫌な声音で言う。
『やっぱりか。だったら切るぞ』
「待って、少し話したい」
目前に彼の姿はないのに手を伸ばしかけた。行き場を失った指先を折り込み、そっと息を吸う。
「貴方たちの諍いに口を挟むつもりはないよ。私は私で千田くんの心配をしているの」
電話の向こうから雨音がした。彼はまだ外にいるのだろう。
魔女は大きく溜息を吐いて謝罪を口にした。八つ当たりになってしまって悪かったと。私は構わないと首を振った。
「風邪ひくよ。外、寒いでしょう」
『いい、頭冷やしたら戻るから』
彼の言動から察するに、家を飛び出したのは冷静になるためのようだ。家出じゃなくて良かったと一先ず安心する。
その後、言いにくそうに魔女は自身の姉に対して申し訳なさを感じていると伝えた。昔から姉弟喧嘩をすると、しばらく頭に血が上って治まらないそうだ。
また、怒りに任せて手を出してしまわないよう、わざと距離を置いているのだとか。椿妃さんは魔法が使えないから、彼の攻撃で怪我をしてしまう可能性が高いらしい。
千田くんは少々黙り、やがてぼそぼそと話し始めた。
『姉ちゃんは今まで弟中心の生活だった。だからもう普通に生きてほしいんだ。アイツが俺を心配してんのも、必死に親代わりになろうとしてんのも全部、俺のためだって分かってる。でも』
いつにも増して彼は怒っているようだったが、苦しそうでもあった。
互いが互いを強く想ったが故の喧嘩。
椿妃さんにも不器用な一面があるのだなと思いつつ、改めて二人は本当に優しいのだと知った。
同じ傷とその痛みを抱えて生きてきたのだから、両者が幸せになってほしいと願うことは当然。ただ、それがあまりにも強く、一方的だっただけ。
私はふっと笑みを零す。千田くんが不機嫌そうに「なんで笑うんだ」と問うてきた。
「喧嘩するほど仲が良いって本当なんだなって」
『んな事ねーよ』
「でもお姉さんのこと嫌いじゃないでしょう」
反論しそうになった彼が何も言い返せなくなった。どうやら図星みたい。
千田くんが素直でないことは十分に知っているから、きっとそうだと思った。自分自身にも素直になれないのだろう。
彼の本心をあとで椿妃さんに連絡しなくてはいけない。彼女なら呆れたように笑ってくれる筈だ。
「仲直り、できそう?」
感情を音にして吐き出すことができたからか、心なしか彼の肩の力が抜けていた。気が進まなさそうな返事を聞き、私も胸の蟠りが解けるのを感じる。なんだか、今の彼は叱られた猫みたいだ。
『あと少しだけ姉ちゃんに世話焼かせてあげることにする。巻き込んで悪いな、泉』
「ううん、役に立てて良かった」
時計の短針が十時を回る。
電話口、離れたところから彼のくしゃみが微かに聞こえた。寒いのも当たり前だと、私は通話を切ることにする。
柔らかくなった彼の声が別れを告げた。同じくらいに優しく答える。
頭の隅っこで、風邪ひかないといいな、と私が独り言ちた。




