第二十六話 果たすか否か(1)
「咲薇、ちょっと聞いてほしいんだけど」
普段は物静かな夕食の時間。
姉が何やら重い口を開いた。俺は咀嚼しながら「何」と聞き返す。彼女は箸を持ったまま言った。
「私、真佑さんにプロポーズされたの」
暗い表情とは全く似合わない台詞だった。取り敢えず俺は祝福の言葉を口にした。
驚きは特別ない。
いつか来る日だと分かっていたし、彼女が彼女の幸せを手にすることができて、弟として素直に嬉しい。それでも姉の表情に陰りがあるのは大体の予想がつく。
「俺のことなら別に気にすんなよ」
「そ、そんなこと! だってあんたまだ高一でしょ!?」
「もう高二の間違いだろ。一人でも大丈夫だし」
薄い反応を示す弟に、彼女は呆れに近しい顔つきになって言う。だが俺は変わらず食事を進めるだけだ。
結婚するということは、彼女はこの家から出て行くことを意味する。
彼氏の榊さんをうちに置くわけにもいかないし、何より俺は彼と面識がない。だから出て行くのだなと思っていた。
あの事件から六年。小五の頃から姉ちゃんと二人暮らしを続けてきた。
彼女には散々迷惑を掛けてきたんだ。幸せになってほしいと思うことは必然だろう。
彼女は少しの間唇を閉じたが、すぐに開いた。
「一応婚約はすることになったんだけど、同棲は咲薇が高校を卒業してからってなったの」
彼女の言葉を耳にし、ぴたりと動きを止める。胸の内側で至った答えに喉が絞まった。
また、俺のせいで彼女の時間を奪うのか?
「いいって。姉ちゃんはもう姉ちゃんの人生歩めよ、これ以上迷惑かけたくねーんだ」
「そんなこと言って。あんた一人だと心配なのよ」
「子ども扱いすんじゃねーよ、ハルデもいんだし大丈夫だって」
不本意に語気が強くなり、姉の顔が曇ってしまった。居た堪れなくなって目を逸らす。
しばらく食器の音が沈黙を埋めた。味を感じないが、茶碗の中は順調に減っていく。
悶々と次の言葉を考えるが浮かぶものがない。何を言っても今の自分では傷つけてしまう。無言を貫くのが最善策かと下を向いた。
食べ終えたのか、彼女が箸を置く。小さく息を吸って言った。
「ごめんね。咲薇が独りでも大丈夫なのはずっと前から分かってた。でも、一番不安に思っているのはね」
震える声。視線を上げ目を合わせる。俺と同じ赤みがかった虹彩が瞬く。
「咲薇が、魔女と狩人を全部滅ぼすことなんだ」
息が、できなくなった。
どうして姉ちゃんが知っているんだ?
誰にも話した覚えはない。
話したとしても、贖罪のために魔女の家系は途絶えさせてはいけないという事だけだ。
秘密裏にしていた計画。
わざと黙っていた野望。
それを何故彼女が知っている?
動揺する弟を前に、姉は経緯を説明し始めた。彼女曰くハルデがばらしたらしい。
悪魔は人の隠し持つ欲を読むことができる。それは欲求が強ければ強いほど読み取りやすい。使い魔ならやりかねないことだ。
あの猫は勝手に思考を読んで、勝手に広めた。主を怒らせるのには充分すぎる。
弟の大罪に値する望みを知った彼女は、自分が近くにいなくなることがトリガーになる事を恐れていたようだ。
「大量虐殺なんて馬鹿なことしないで。この世界に狩人がいくらいると思っているの」
昔から変わらない姉の諭すような物言い。
内臓が、心が、軋む。
分かってる。知ってる。
己の果たしたいと願っていることが間違いだなんて。
魔女狩りを根本から絶つことがどれほど難しく愚かだなんて。
でも、そうでもしないと。
「終わらねぇんだ」
魔女が途絶えれば、狩人の矛先は魔法使いに向かい戦争になる。
魔女が続けば、過去の悲劇を繰り返して泉のような人間を生む。
そして狩人が残り続けてしまえば、魔法が使えるようになる人間が増える。それも争うための魔法を。
滅ぼすか否か、どちらにせよ血は流れる運命。どうせなら元凶を潰してしまえと思い至った。
全て洗いざらい話す。終始、姉は悲しげな表情をしていた。
「潰すって……話し合いで解決できるかもしれないのに」
「そうやって何人の魔女が死んだ? 魔女狩りは魔女がいなくならねー限り続くんだよ」
「でも咲薇がすることないじゃない」
「誰もやらないしできないからだろ」
「いくら魔力が強いからって、自分の命を軽く見過ぎよ」
正論の矢を立て続けに飛ばす彼女は、まるで息子を気に掛ける母親のようだった。しかし俺には届かない。唯一の血縁が、必ずしも心の拠り所とは限らないのだから。
うるさい、と低く唸る。姉は怯んで言葉を詰まらせたが、再び声をあげた。
途端。ぷつんと糸が切れた。
「黙れよッ 魔女になれなかったくせにッ!」
机を叩いて席を立つ。去っていく弟を、彼女は呼び止めはしなかった。