第二十四話 魔女の友人(1)
帰宅の準備を済ませる。騒ぎながら各々の部活に向かうクラスメイトを横目に、私も教室を出た。
生徒でごった返す狭い廊下。いつも居るはずの場所に彼がいない。また委員会の呼び出しかな。
「あの、ちょっといい?」
後頭部に掛けられた声にびくりとする。
声のした方向に顔を向けると、スーツを着た一人の若い男性が立っていた。首からは名札がぶら下がっている。
この人、たしか一昨日からこの高校に来ている教育実習生の……。
「佐山先生。どうかされました」
「いま狸塚先生を探しているんだけど、何処にいらっしゃるか知ってる? まだ慣れなくって」
二十代に相応しい爽やかな笑顔で答える。彼、佐山勇先生は自身の手元にある書類を指さした。
私は少し考えてから口を開く。
「たぶん国語科準備室ですね、部室棟に行く途中にありますよ」
彼はぱっと笑って感謝の言葉を言う。が、瞬く間にそれは萎んでしまった。どうやら場所が分からないらしい。
千田くん探すついでに、連れて行くだけならいいか。
私が案内する旨を伝え、一旦人の群れから外れた場所に荷物を置く。彼は安心したかのように笑って見せた。まるで子犬みたい。
目的地のある南校舎は、特別教室が集中していることもあって基本的に人通りがない。運動部など部室を多く利用する生徒は出入りするが、それ以外では通り道でしかない。
私も授業くらいでしか行く機会がないから、向かう足がちょっと不安だったりする。
意外にも行く道中は無言だった。佐山先生は底抜け明るい性格の人だから、てっきりマシンガントークをするものかと思っていた。人を見た目で判断してはいけないとはよく言うものだ。
窓から部室棟の屋根が見え隠れする。そろそろ目的地だ。
ふと目前に何かが横切る。
びっくりして思わず半歩下がった。急に動いた私の後ろにいた先生も驚く。
飛んできた物体はすぐに床へ落ちた。それは白い球体に付けられた作り物の羽、バドミントンのシャトルである。
拾い上げるのと同時に横から声が聞こえた。聞き覚えのあるそれに顔を上げる。
「わーごめん泉さん! 変な方向に打っちゃって。当たってない?」
「林田くん。私は大丈夫だよ」
魔女の友人である林田くんは、体操着にラケットという格好をしてこちらに駆けてきた。そっか、バド部だったっけ。
シャトルを手渡すと、彼は私の背後に視線を向けつつ此処にいる理由を尋ねた。教育実習生の道案内だと簡潔に説明すると、林田くんは口角を持ち上げながら何か言いたげな表情になる。あ、千田くんが傍にいないことを気にしているのか。
彼はきっと部活の最中だろうから長話しをしてしまっては悪い。遠回しに「自分は一人でも大丈夫」だと言い、その場から離れようとした。
「ちょっと待って。右の袖にゴミ付いてるよ」
林田くんの言葉を聞いて、私は自身の袖を寄せた。
瞬間。
「走って!!」
思い切り彼は私の右手を握って走り出した。
唐突に掴まれ、案内中の先生の元から走り去ることに混乱する。しかし彼の必死さに従う他なかった。
「な、なに急に」
「あの先生さっき君を刺そうとしてたっ、それも首っ!」
更に加速して校舎内に戻っていく。通り過ぎていく景色に一瞥もできない。
林田くん曰く、彼は書類の後ろに刃を出したカッターナイフを隠していたらしい。それをたまたま振り翳していたところを目撃し、後先考えず、林田くんはわざとこちらにシャトルを打ったそうだ。
いつか千田くんが教えてくれた事を思い出す。
時にただの人間、つまり魔法を使えない狩人が存在すると。
そのような類の狩人は、普段は一般人として生活しているため世間体というものがある。要するに人目につく場所なら狩りを始めることができないのだ。
下手すれば警察沙汰になってしまうのに、どうしてそこまでして魔女を殺したいのだろう。あの人だって家族や友人がいるはず……。
「泉さん、咲薇呼んでっ ただの人間相手でも大人には勝てないっ」
速度を落とすことなく、生徒が残る校舎に行くも放課後では人が少ない。ここに居られるのも時間の問題だ。
彼の指示通り千田くんを呼ぼうと、走る足を止めず首に手を伸ばす。だが曲がり角に差し掛かったところで、先導していた彼が勢いを殺した。
塞がるように立っていたのは佐山先生だった。手にはカッターが握られている。
彼の面には先程の朗らかな笑みなどなく、気が狂っている様子だ。生徒に向ける顔じゃない。今にも食って掛かってきそうな気迫である。
不幸にも人気がない。先生にとっては最高のシチュエーションだ。
震える刃を突き出し、彼は大きく肩で呼吸して言った。
「お願いだ、大人しく殺されてくれ。お前が死ねば、あの魔女だって死ぬと聞いたんだ。ミユの仇を討たせてくれ」
余りにもおかしな懇願に生徒二人は怪訝な顔で返事する。仇ってどういうこと? 千田くんが誰かを殺したの?
戸惑う私たちを他所に、先生は奇声をあげてカッターを振り下ろした。咄嗟に林田くんが前に出る。さっと血の気が引いた。
躊躇わずに首に刻まれていた刻印を引っ掻く。助けてと口の端から本音が漏れる。
泡が弾けるような音と、先生の短い悲鳴が空気を揺らした。




