第二十二話 幼馴染は突然に(1)
『つまり、ときのちゃんの幼馴染が暫く滞在する事になったってこと?』
子猫の姿で悪魔が尾を揺らす。俺はベッドに突っ伏したままそれに首肯した。
制服が皺になってしまうが、今はそれどころではない。形容しがたい気分の所為でモヤモヤして仕方ないのだ。
事の発端は今日の下校時。
普段の通り泉を送ったのだが、彼女の家に見慣れない少年がやって来ていた。丁度家を訪ねようとしていたタイミングだったらしく、インターホンに手を伸ばしていた。
泉が迷わず声を掛けると、彼はあからさまに目を泳がせる。
「ユキくん? 久しぶりだね、どうしたの」
「え、あ、おう」
中学生あたりか、身体に馴染んだ学ランの少年は頬を赤くし応答する。
足元のスーツケースに視線が行き、彼女が尋ねると少年はぶっきらぼうに答えた。
彼の両親は海外で二ヵ月ほど仕事に行くそうだ。子供一人では心配だと言う両親の頼みで、家族ぐるみで交流のあった泉のもとへ来たらしい。真新しいスーツケースはそのための物のようだ。
泉自身は知らなかったが、彼女の両親には前もって話が通っていたため、彼女もまたすぐに受け入れた。俺は事の咀嚼に手間取ってしまったが。
「悪い。俺が首を突っ込むことじゃねーと思うけど、アイツ誰」
「幼馴染の橘 柚希くん。私たちの二つ下だから中学二年生かな」
彼女曰く、小三の時から面識があるらしい。しかし彼女が中学に上がるのと同時に関係が止まったそうだ。
俺が軽く調べたところ、魔力もないし狩人たちの手も伸びていない。普通の人間であると確認できた。
そこまでハルデに説明してやると、彼は間延びした口調で言った。
『なら気を揉む必要ないじゃん。何を心配してんのさ』
「いや年下っつっても男だぞ、心配するだろ」
胸の引っ掛かりの正体。それは泉への不安だった。
俺にとっては見ず知らずの男が、想っている女の家に住むという状況である。彼女があの少年を友人判定にしていたとしても、彼が彼女を友人という認識なのかはイコールではない。加えて示したのがあの反応だ。意識していない筈がない。
『考えすぎじゃない? まだ一回しか会ってないんでしょ』
ハルデが枕元に寄ってくる。相変わらず呑気な様子だ。
言われてみれば考えすぎかもしれないが、心配なものは心配である。何事もないことを祈りたいが。
*
翌日。曇りの火曜日。
昨晩から落ち着きのない主を見兼ねたのか、ハルデも同行すると言ってついて来た。最近気に入っている女子高生の容姿に化けて隣を歩く。
呪いの相手を迎えにいくと件の中学生も出てきた。昨日と同じく不機嫌そうな顔で、くしゃくしゃになった学ラン姿である。せめてもの防寒具でマフラーを巻いていた。
「おはよう千田くん。ハルデがいるなんて珍しいね」
こちらの気も知らないで差し出される挨拶。俺も普段通りに言おうとしたが不自然だった。
「途中まで道一緒だから柚希くんもいいかな」
「構わねーけど、どこ中なの」
「桃中だよ。大通りの方にあるところ」
取り敢えず繋げる会話に緊張が滲む。彼女は気にせず無表情で歩き出した。その隣、ハルデが楽しげに話しかけていく。
自然と前方に女子二人、後方に男子二人の並びになった。
ユキという少年は離れるわけでも、追い越すわけでもなく歩調を合わせて泉の後ろについていた。
閑静な住宅街に弾む話し声。大方うるさいのはハルデだが。
俺と泉で二人きりだった静かな登校も良いが、これもこれで良いのかもしれない。二人して話すのが苦手だからな。
「あの」
不意に掛けられる声。
右に目を遣ると少年がこちらを見ていた。
内心ぎょっとしたが冷静を装って返事をする。彼は三白眼の瞳を瞬かせて問うてきた。
「サクラさん、でしたよね。聡乃と付き合ってるんすか」
コイツ年下のくせに泉を呼び捨てだとッ!?
っじゃねぇ、しっかりしろ俺。中学生だからって侮ったら負けだ。
「ちげーよ、ただの友達だ」
「それにしては距離近いっすね」
「何が言いてぇんだ」
「男女の友情は成り立たないんで、他意あるんじゃないかなと」
なんだこのくそガキ……配慮を知らないのか……?
にしても随分とませている。初対面の年上に対する口の聞き方じゃねぇ。
でもここで取り乱してはいけない。今は泉の友達という体で話さなくては。
「そんなもんねーよ。お前こそやけに執着すんじゃねぇか。何かあんのかよ」
冗談のつもりで言ったはずだった。ユキは上目遣いで変わらない声音で答える。
「おれ、聡乃のこと好きだから。あんま邪魔しないでくださいよ」
秋の入口だと言うのに、背に冷や汗が伝ったような感覚がした。
「で、どう返したん?」
騒々しい教室の隅。興味津々な面持ちでこちらを覗き込んでくるシンに、軽く首を左右に振った。
俺の解答を見て彼は大袈裟な溜息を吐く。
「なんであんたはそうなんだよ! これだから奥手は!」
「うるせぇ動揺したんだよ!」
登校して間もなく、様子のおかしい俺にシンが話を聞くと言ってくれた。しかし話したらこの有り様である。
確かに奥手であることは否めないが動揺したのもまた事実だ。あの時、何も言い出せず微妙な相槌を打つことしかできなかった自分を殴りたい。
眼鏡を押し上げ、シンは呆れ顔で言った。
「ていうか、あんた泉さんのこと本気で好きだったの? 知らなかったわ」
「言う必要ねーと思ったんだよ。つーか声でかい」
顔を顰めてみせたが、彼は悪びれることなく笑った。
好意の明確な定義は分からないが、少なくとも俺の見る世界は彼女中心になりつつある。命を共有しているということも原因だろう。
頬杖をつき、目を伏せる。
アイツも好き、なのか。
あんなに真っ直ぐ、淀みなく言われてしまうと何も言い返せない。それほど想っているのだろうがなんだか癪だ。
「……九年間は片想いしてんのか」
ぽつりと独りごちると、シンはすかさず言った。
「そういうのって年月の問題じゃないと思うぞ。現にあんたは命賭けられるくらい好きな訳じゃん」
「そう思うとくそ重いな俺」
「軽いよりは良くない?」
彼が励ましてくれているのは有り難いが、不安は取り除かれる兆しがない。
もしこれからの二ヶ月間で、彼に泉の心を奪われてしまったらどうすればいいのだろうか。彼女は優しいから幼馴染の想いを無下にすることはない。
だからと言って、俺に何ができる。
下手な動きを取れば不快に感じられてしまうし、何より彼女が何を考えているのか分からない。いっそのこと俺が行動をしてしまえば良いのだろうか。でも、そんな勇気は。
「咲薇、いつも通りが一番なんだよ」
神妙そうな顔つきでシンが言った。
「相手だって泉さんだって人間だ。人は環境の急変を嫌う習性にあるから、あんたがドンと構えてなくちゃ泉さん安心できないでしょ。今はいつも通り、呪いの相手を守るべき!」
言い終えると彼は一笑してみせる。
得体のしれない焦燥に駆り立てられていた心が安らいでいった。
そうか。何も特別なことはしなくていい。俺はやるべきことをするまでだ。
元から俺と泉は赤の他人だった筈である。そもそも想うこと自体が筋違いだが、それ以前に守らなくてはいけない。
俺は彼女の呪いの相手なのだから。
「ありがとうシン。やっぱりお前に話して良かった」
そう言うと、彼はぱっと笑って頷いた。