第二十一話 孤独(2)
戦いの音が静まる。
視界には割れた皿、踏み潰された料理や鮮血が散乱していた。高鳴っていた鼓動を落ち着かせると、俺は周囲の状況を確認するのに歩み出した。
魔女狩りは何とか阻止することができ、狩人も捕らえられた。しかし会場を含め被害は甚大。各々の使い魔は瀕死の状態が多い。
通常、使い魔のみで戦うことなど滅多にない。魔女本人が戦場に立ち共に戦うのだから、彼等も疲労困憊といったところだろう。乱戦となった今回は自分の悪魔が何処にいるのかすら不明だ。まぁ、死人はいないようだから及第点としよう。
ふっと嗅ぎ慣れた匂いが漂う。
肩にずしりとした重みが掛かり、熱のない腕が首に巻きついてきた。背を覆う気配に俺は不愛想に言う。
「疲れてんだろうけど、お前を背負えるほどご主人様も元気じゃねーんだ。ハルデ」
後ろから、こちらに抱き着くような形でくっついてきた使い魔は「知ってる」と一つ返すと黙り込んだ。
身長は俺の方が高いから彼は爪先立ちをしているのだろう、軽く体重を掛けられ後方へ体が持っていかれる。
普段は主が触ろうとすると威嚇する猫の如く拒絶するのに、甘えているみたいだった。
ハルデは戦闘に極力出さぬようにしていたから、久しぶりの殺し合いにメンタルも揺らいでいるのかもしれない。情緒不安定な悪魔ってなんだよ。
これでは歩けないから、渋々彼に解除魔法をかける。瞬く間に子猫の姿になったハルデは丸まって主の腕の中に収められた。
使い魔をいつ、いかなる時も呼び出せる魔法――いわゆる召喚魔法は、呼び出される側に大きな負荷を課す。
使うのは躊躇われたが、そんなことを言っている場合ではなかったから仕方なかった。
と、割り切れるなら良かったのだが。
主の胸の前で眠る子猫は規則正しく呼吸を繰り返す。小さな体には生傷が目立っていた。
それなりに痛かったのではないかと思う。でもコイツは悪魔だし、簡単には死なないのは承知している。使えるものは何であろうと使うのが数年前の考え方だったが、ここ最近は否定的だ。
使い魔は、ハルデは、道具じゃない。
そう思うようになったのは、弱くなったからなのだろうか。
会場の騒ぎが落ち着いてきたのを察したのか、避難していた貴族の魔法使いたちが戻ってきた。皆揃って胸を撫で下ろしている。
人混みの中、少女を連れて泉がやって来た。二人とも怪我はないみたいだったため一安心だ。
リーリンが甲高い声で怖かったと、こちらに猛スピードで泣きつく。
苦笑しつつあやしてやっていると、首の一部――丁度呪いの刻印がある箇所に温かさを感じた。思わず泉の方に目を遣る。彼女は相変わらずの無表情で、自分の刻印に触れていた。
「無事でよかった」
棒読みで感情のない言葉。なぜだか安心する。
「お前もな」
「さっきゅんさっきゅん! あのね!」
唐突にリーリンが顔を上げる。彼女の頭が俺の顎に直撃し、咄嗟に手を当てたが物凄く痛い。
慌てて彼女が謝るが、俺は痛みを堪え言葉の続きを催促した。彼女は気を取り直して言う。
「あのね、リー、トキノと結婚するのよっ」
数秒間、この少女が何を言っているのか理解できなかった。ゆっくり咀嚼してみると、途端、思考が停止する。
「はッ⁉ おま、何言って」
「あ、もちろんさっきゅんとも結婚するわよ」
「そういう問題じゃねーよ、おい泉どういうことだっ」
「私もよく分からない」
「だめじゃねーか!」
コイツら、なんでそんな仲になってんだ。というか結婚って正気かよ。こっちが殺り合っている間に何があったんだ誰か教えてくれ。
混乱する魔女を他所に、泉は冷静な様子で少女に耳打ちする。
「リーリン様、流石に二股は宜しくないかと」
「別にいいじゃない二人くらい。トキノはリーと結婚したくないの?」
リーリンは唇を尖らせ問いかける。彼女は動揺すらせず答えた。
「大変光栄なことではありますが、結婚は貴方様にとってとても大切な選択です。ご決断はもう少し先でも良いのではないでしょうか」
淡々としているが優しい物言いで諭す。コイツ見た目も心も紳士だな。
泉の提案にリーリンは不服そうな反応を示したが、しょうがないわねと言って身を引いた。泉はすっかりこの少女の取り扱いに慣れてしまったようである。
「リーリン嬢、お帰りのご準備が整いました」
間を見計らったのか彼女の付き人が言った。時刻は二十二時になる頃だ。
お嬢様は駄々をこねかけたが、これまた泉の一言で丸め込まれる。
「今夜はありがとう、次はリーが会いに行くわ」
去り際、彼女は満面の笑みで言った。正直もう暫くは会わなくていいな。
我儘なお嬢様が立ち去って間もなく俺たちも会場を後にした。
秋に差し掛かった夜の空は肌寒い。落下防止のために背中に引っ付く泉の体温があたたかった。
「今日は色々ありがとな、すごく助かった」
「こちらこそ。良い経験になったよ」
抑揚のない声音。彼女も疲れが溜まっているのだろう、眠そうにも聴こえる。
とりとめのない会話であるのに気が散ってしまっていた。漠然と泉の様子がおかしいと察する。
いつもなら俺の背に自身の肩を委ねているだけのに、今回は腕をこちらの腹に回してきていた。
確かにこれだと落ちる心配がない上に安全だが、触れている面積が広い。コイツもよく異性の身体にくっつけるもんだな。
沈黙が続くと泉が口を開く。
「千田くんは、淋しくない?」
彼女が時折する、脈絡のない質問だ。ひと呼吸置いて答える。
「淋しくねーよ」
「そっか、うん」
「なんでンなこと訊くんだ」
「なんとなく」
「意味わかんねぇ。淋しいっつったらどうするつもりだったんだよ」
背からの声が途絶える。軽く振り返ろうとしたが、なんだかそれは野暮な気がしてやめた。
だが彼女がぎゅっと力を込めてくる。驚いて視線を向けると、泉は俺の背中に額を押し当てていた。
「私が居るのにって思う、だけ」
その言葉の真意は分からなかった。ただ優しく、囁くような口調だった。
「俺が淋しそうに見えたのか」
「うん、ちょっとだけ」
「……そう」
深い意味のない会話はこれ以上続かなかった。冷たい風が二つの影の合間を縫って通り過ぎるだけ。二人の短い髪を靡かせるだけだ。
お前たちがいるから淋しくない、と言うのが正解だっただろうか。
俺は僅かに視線を下ろす。
少し前までは孤独など感じる暇もなく生きていた。だから彼女が思っているより淋しいとは思ってはいない。
……厳密に言えば孤独よりも、皆とは違う世界に自分は生きているという事が悲しかった。何度も魔女なんかに生まれなければ、と過去を恨んだ。
でも今はそうじゃない。
魔女として生きる道を選んだからこそ、リーリンやシューク、ハルデ、シン、そして泉と出会えた。
我ながら悪くない選択をしたのではと、最近は思えるようになっている。
三日月の浮かぶ夜空に、二つの影を運ぶ箒が駆けていった。




