第二十話 凛々しき王子(2)
「ただの人間が紛れ込んでいるなんて、命知らずな」
女が鋭利な眼光で睨みつけたのは、アッシュグレーのスーツに身を包んだ一人の少女。彼女は凛々しいその眼差しで見つめ返していた。
「失礼、動揺してしまいまして」
泉は相変わらずの無表情で、棒読みの台詞でそう言った。
彼女の背後にリーリンが隠れている。すっかり怯えてしまって端正な顔は真っ青だ。それもそうだろう、自分のパートナーがテロリストの注意を引こうとしているのだから。
って、んなこと言ってる場合か! 何やってんだアイツはッ!!
泉は冷静そうにしているが、彼女のデフォルトが無表情である。実際の感情は分からない。
狩人の女は警戒したのか、男装した彼女に向けた刃の先を逸らさずにいる。そのせいで泉の周りにいた人たちが一度に捌けた。
女は睨みに近い視線で彼女を射抜く。泉の表情が変わる兆しはない。
「娘、なぜ此処にいる。魔法使いではないだろう」
「はい、同伴者として参加しています」
「同伴? 誰のだ」
「この方です。それと」
不自然なところで言葉を切った彼女に、狩人は怪訝そうな顔をする。向こうに立つ泉は、構わず自身のネクタイを緩めた。かと思えば襟をぐいっと引いて見せ、自分の首筋を露わにする。
その時、俺は気が付いた。彼女の行動の意味に、覚悟していることに。
考えるより先に体が動いた。
ここに居る全員が視認できる「呪いの刻印」。それが色を濃くして晒される。
彼女は至って平然とした様子で言った。
「繋の呪いの相手です」
「――エスパイア」
数センチまでに迫った狩人の背。俺は、泉の言葉に覆い被さるように魔法を唱え、狩人の体を硬直させた。
そして設置魔法が作動する。空間に蔓延っていた鎖の魔力が、俺の唱える声で目を覚ました。
物騒な音を立てて絞めつけにくるそれを既のところで躱す。勢い余った魔力は、対象を魔女ではなく狩人の女に移し替えた。
鎖を象った魔力は、エスパイアの効果で動けなくなった狩人に作動したのだ。
ばちんという音が耳を劈くと、間もなく女の苦悶の声があがる。上手く誤作動してくれて良かったと安堵で胸を撫で下ろした。
躱した勢いで泉の元へと駆け寄る。彼女はいつも通りだった。
「千田くん、ほっぺ切れてる」
「あ? 掠り傷だ。んな事より危ねーことすんなよ。気付かなかったらどうするつもりだったんだ」
「千田くんなら気付くって思ってたから」
「んだよそれ」
緊迫した状況下に交わされる、放課後のような会話。
泉は普段の通り表情がなかったが、瞳は酷く真っ直ぐだった。いつも以上に凛々しく見えるのは男装しているからだろうか。
途端、呻いていた声が聞こえなくなる。
振り返ると、そこには設置魔法を解いてしまった狩人がいた。双眸に宿るのはこちらへの恨み、纏っていた衣服の一部は裂けている。
「ガキが、ふざけた真似を!」
怒りをまき散らす彼女は、手にした剣を力任せにこちらへ投げた。丁度俺と泉の間だ。
お互い身を引くと、刃は後ろにあったテーブルを破壊する。魔法使いたちが慌てて離れていくのを尻目に言った。
「まずはリーリンを避難させろ。念のため付き人は頼るな」
「千田くんは?」
「コイツの相手をする。何、策はあっから心配すんな」
彼女は何か言いたげに口を開きかけたが、すぐさま噤んで頷いた。それを見て思わず頬が緩む。
泉が幼い姫の手を引くのを確認してから、女に向かって不敵に笑ってみせた。
「お前はさっき二つ選択肢をくれたよな。でも考えてみろ、ここにいる魔女の力量」
捌けた魔法使いの中から現れる数人の人影。瞬間、自分と同じ血の匂いが立ち込めた。
「ここに居るのは過去の魔女狩りから生き残ってる奴らだ。そんな奴らを簡単に殺せると思ったか?」
今の俺に抜け駆け魔女の名は無い。かつての裏切りを、今だけは赦されている。
共に戦おうと、魔女が言っている。
俺は右の踵を力強く床に叩きつけた。そこから広がる魔法陣。本能的に感じたのか、女は考える間もなく突っ込んできた。
設置魔法である、今もこの空間を漂う魔力は、魔女の攻撃でないならば作動することはない。つまり魔女が攻めなければ良いのだ。
一寸先の攻撃。それと俺の間を隔てるように、魔法陣から出現する悪魔。
「――リリーシング・ハルデ」
女が新たに創り出した剣は、こちらの首へ噛みついてくる。しかしそれが皮膚を裂く直前、足元の光が一層強くなった。
金属音が空気を殴る。
目前に現れた影に、俺は不満げに言った。
「遅い。掠ってんじゃねーか」
『いーじゃん、そっちは刻印ないんだし』
蝙蝠の翼、頭上の三角耳、ラセットブラウンの猫毛、ころころ転がる鈴のような声。
主によって召喚された使い魔・ハルデは、狩人の剣を弾き返した。
攻撃を阻止された女が後退する。だがハルデは、逃がすかとでも言いそうな気迫で間合いを詰めた。
周辺の魔女たちも、自身の使い魔を呼び出す。容赦なく一斉に攻めろと指示を下した。
俺らは援護だ。回復魔法を中心に、強化魔法、防御魔法を口々に唱える。
勝ち目のない女の助太刀に、潜んでいた他の狩人らが躍り出た。数はこちらと同じくらいだな、上等だ。
ネクタイを緩める。首元から熱が抜けていく。
「パーティは終わりだ、根腐り狩人」
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会場に閉じ込められた私たちは、各々の控室に逃げ込んだ。少し離れたところから戦闘の音が聴こえる。狩人の魔法の効果なのか、明かりは点かなかった。
部屋に入って早々、連れていた少女が高い声をあげる。
「トキノ! あなたって人は!」
ご立腹な様子のお姫様は、綺麗な顔を歪ませてこちらを睨んでいた。折角の美しい装いが褪せて見える。
私は小首を傾げて問い返した。
「何がでしょうか」
「何がでしょうか、じゃないのよ! よくあのテロリストに関わろうとしたわね!?」
火に油を注いでしまいリーリン様が詰め寄ってくる。彼女は、私の乱れた襟元を指さして怒鳴った。
「あなた魔法が使えないんでしょう!? もし攻撃でもさてれたらどうするつもりだったの!」
少女の指先にある呪いの刻印。唐突に魔女狩りを始めた女性の気を引くために示した囮の材料だ。
なんだか、リーリン様も千田くんみたいなことを言うね。なんでだろう。
私は不思議そうに答えた。
「信じていましたので。千田くんが来てくれるって」
あの時、視界の端で今にも飛び掛かりそうな彼がいた。でも二の足を踏んでいるような様子だったから、なんとなく、狩人の背を彼に向ければいいかなと思った。ただそれだけ。
でも確かに、襲われていたらどうしようもなかっただろう。狩人の体術に対抗できるほど私は動けないし、避けられたとしてもリーリン様が危ない目に遭っていたかもしれない。
今になって体が震えた。
自分の軽率な行動を省みて、私は謝罪の言葉を口にする。しかし彼女は「許さない!」と半ば泣き出しそうな声で言った。やっぱり、この子の機嫌を取るのは難しいな。
とはいえ私には、パートナーである姫を不安にさせてしまったという非がある。大人びていても、十二歳の子どもであることに変わりはない。
困った私は、膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
「リーリン様、どうすれば許して下さいますか」
小刻みに震える姫の睫毛。彼女は答えない。
地面を揺らす戦いの音が責め立てる。薄暗い無言の空間で見つめ合う二人の少女。西洋人形を彷彿とさせる彼女は、おもむろに口を開いた。
「……リーから離れないで」
「承知しました」
握った姫の手は、酷く冷たかった。




