第二十話 凛々しき王子(1)
「チダ、ここはもういい。中の見回りに行け」
冷える上空。俺は箒に跨って屋外の警戒網を張っていた。
その隣、交代を告げに女性の魔法使いがやってくる。もう一時間経ったのかと、ポケットに入れていたスマホを起こす。時刻は十八時を過ぎようとしていた。
軽く感謝の言葉を口にし、ゆっくりと降下する。会場のテラスに降り立った。
会場内は人の熱気のお陰で暖かかった。目立った騒動もない、今の内に腹に何か詰めておくか。
そう思って眩しい一階へ足を向ける。丁度ダンスの時間になったらしく、音楽が変わっていた。
脳裏に貼り付いていた不安が目を覚ます。泉は大丈夫だろうか。
舞踏会の一週間前に突然、小学生の相手をしてくれと頼まれて、内心嫌な顔をしていただろう。俺だったら断るところを彼女は構わないと承諾してくれた。本当に頭が上がらない。
始めはハルデに任せようとしていたが、あの薄情な子猫は当然といったような顔で断ってきた。果たして本当に使い魔なのだろうか。
人混みの間を通り抜け、料理の並ぶテーブルに寄る。
そこまで空腹ではないが何か食べておかないといけない。いつ襲われるか分からないし、交流の糸口にも使えるしな。
ふと貴族がざわつく。何事かと耳を澄ませるも、断片的にしか情報を得られない。
「あの中央で踊っている娘、フェイト家の令嬢か。なんと美しい」
「相手は何方かしら。見ない顔だし……あら? 女性?」
フェイト家、令嬢。
それだけで十分だ。リーリンたちのことを言っているのだろう。周りを騒がせるほどの何かがあったのか?
泉は男性の作法に関して心配ないと言っていた。男装だって違和感はなかった。特別、女であることがばれても問題はないが、名高い家の娘の相手が女子だと言われても聞こえが悪い。変な奴に絡まれるかもしれないという危惧もある。
ほんの少しだけ様子を窺ってもいいか。見るだけ見るだけ。
大人の間を掻き分け、開けた会場の中心に近づく。かなりの人が踊っているな、見つけられねーかも……。
だがそれは杞憂だった。
探す間もなかった。
すぐに目に留まる、異様な美しさ。
外見だけでない。
踊りは他のどのペアよりも秀麗だった。
金糸の髪に合う濃紺のドレスが翻る。傍に立つ銀灰色のスーツは、迷うことなくステップを踏む。
洗練された動きで舞うリーリンは、すっかり体を相手に委ねていた。泉も優しく導き、少女がよろけると冷静に支えに回った。
なんだ。あいつ、エスコートできるじゃねぇか。
距離があって彼女たちの表情はよく見えない。でも楽しそうにしていることは間違いなさそうだ。
いつの間に心を開くようになったのか不明だが一先ず安心だ。泉とリーリンのことだから仲良くはなれねぇと思っていたが、そんなことはなかったな。
にしてもアイツ、男装が似合いすぎじゃねーか? そこらの男子より紳士だぞ。
顔が整っていることもあり、懸命に覚えてくれた礼儀正しい所作がより引き立つ。俺より丁寧だ。なんかむかつく。
まぁいい、女子二人の安全も確認できたことだし戻ろう。
と思った半瞬後、首筋に熱が駆け抜けた。
殺意に満ちた魔力。
それは完全に殺しにきていた。
咄嗟にしゃがみ込む。間髪入れずに破壊音が後方で響き渡り、悲鳴があがった。硝子と皿が割れる音が空気を引っ掻く。揺蕩う演奏が弾かれたように途絶えた。
「しゅ、襲撃! 避難しろ!」
誰かの使用人が喚起する。しかし貴族らは混乱して足を惑わせているばかりだ。
これだけの人の中、どいつが裏切り者なのかを見つけ出すなんて無理に決まっている。先程の攻撃から位置を割り出そうとしたが、すぐに行方をはぐらかされた。
再び轟音。絶え間なく悲鳴は鳴り渡る。
ここのセキュリティ、前より酷いな。裏切り者が複数いるなんて聞いてねぇぞ。
流石にまずい。このまま皆殺しにされる可能性が出てきた。俺が魔女だと名乗り出てもいいが、他の魔女を巻き込むかもしれない。今は何としてでも敵を探し当てねぇと。
華美な装いの魔法使いは一度に出入り口へと向かった。一部は機転を利かせ、転送魔法で移動しようとする。だがどうしてか皆戻ってきてしまった。
「外に出られない」
その言葉が空気を揺らした瞬間、人々は更なる混乱に溺れた。子どもは女性にしがみつき、女性は男性の腕に縋る。その周りを使者たちが奔走していた。
やはり魔法使い共々潰そうとしている。目的は魔女だけじゃねぇのかよ。
ここでもし全員が殺されたら、今回のパーティに参加していない魔法使いと魔女の間の亀裂が取り返しのつかないことになってしまう。この機会を全面戦争の発端にするつもりか。
沸々と苛立ちが煮えていた。
魔女の俺が動けば、最初から会場に張り巡らされた鎖状の魔力に絞め潰される。今動けるのは魔法使いしかいない。だのに彼等が混乱していまっている。主催は何をしてんだ。
とりあえず人から離れよう。誰が敵かも分からない以上、至近距離にいるのは危ない。
――クリエイトナイト
ぞっと背が冷える。確かにそう、耳元で聞こえた。
振り返るのと同時に風を切る音が鳴る。反射的に左に躱すと右頬に痛みが掠めてきた。目前、銀の剣をこちらに突き出す女。
こいつ、さっき外回りの交代に――っ
「てめぇが狩人かッ!」
剣を躱し続けられるのも時間の問題。向こうは魔法が使えるから、こちらが圧倒的に不利だ。
間もなく主催の従者が駆け付け、取り押さえようとするが近づけない。相手は慣れたように刃を振り回し、無力化魔法を唱えていた。辺りの人々から感じられた魔力が消え去る。これでは魔法使いも戦えない。
こいつの戦い方、人の心がないな。
「なぁ魔女、選べ。お前らだけが此処で殺されるか、このパーティにいる奴ら全員殺されるか」
声が高らかにあがる。今いる魔女たちに問われた選択肢は、どちらも理不尽なものだ。
周囲の魔法使いからは前者を選べと視線で訴えられる。殺されるのなら魔女だけ死ねと。
いつまでも返ってこない答えに苛立ったらしく、女は剣の先端を大理石の床に打ち付ける。彼女の怒鳴りは人々の脳内を恐怖で支配した。沈黙を押し付けられたホール内は、呼吸音さえも聴こえない。
怯むな。弱みを見せたら負けだ。
……つっても抵抗する術がない。生身の人間に何ができる?
いや、相手の気を少しでも逸らせば。
不意に、ぱりんッと甲高い割れる音が鳴る。
息を殺した空間に、それはあまりにも場違いだった。
反射的に皆が顔を上げる。女も音が鳴った方へ剣を突きつけた。その延長線上に立つ人影に、俺は出しかけた声を押さえつける。
「ただの人間が紛れ込んでいるなんて、命知らずな」




