第十六話 解呪の選択(2)
俺は静かに、泉の願いを拒否した。
「ごめん、泉」
微笑んで謝罪の言葉を零す。
彼女はふっと表情を消し、不思議そうな声で理由を尋ねた。俺は申し訳なさに押し潰されそうになりながら問いに答える。
どうか分かってほしいと。
「これ以上怖い目に遭わせたくねぇ、傷つく姿も見たくねぇんだ」
誰かを失うのはもう嫌。何度この胸を引き裂かれたことか。
大事だからこそ傷ついてほしくない、彼女を恐怖から遠ざけたい。今までの生活に戻って、平穏を取り戻してほしい。
私欲で彼女を危険に晒したくない。
友達でいることはできても直接話したり交流することは、きっともうできない。
「俺は嫌だ。お前と居たいと思うし、楽しいから」
でも、それ以上に失うかもしれないという恐怖心が大きくなる。
ごめん。ごめんな。
俺は説明し終えると、胸の息苦しさに目頭が熱くなった。ほんと、優しくなったな、俺は。
「それは、呪いにかかっていてもいなくても、同じじゃないの」
彼女の声に視線を上げる。泉は切なそうに目を伏せさせて言った。
「解呪しても貴方の傍にいる危険の程度は、今と変わりないでしょう。もし私が足枷になるのなら構わず解呪してほしい、でもそれ以上に私の身を案じるならこのままにして」
我儘でごめんなさい、と彼女は表情を強張らせる。その食いつきようと願望内容に、俺は疑問を口にした。
「どうしてそこまですんだ。自分の命が狩られるかもしれねぇんだぞ」
「私も千田くんと同じ気持ちだから。私も貴方のことを心配しているの、それに」
泉はぎゅっと両手を胸の前で握った。
不意に脳裏に駆け巡る情景。
祈っている、あの少女の絵を彷彿とさせた。
「千田くんは大切な人だから」
真っすぐな瞳、酷く優しい心、そして躊躇いなく放つ言葉。あぁ、彼女はあの方にそっくりなんだと今更気が付く。
憧憬を捧げてきた、白魔女のシンシャに。
・
・
・
私の言葉に、彼は顔を赤くして困ったように慌てた。どういう顔をしていいのか分からないらしく片手で顔を覆う。私、思っていたことを言っただけなのにな。
その後、落ち着きを取り戻した千田くんは私の存在は足枷ではないと言ってくれた。つまり解呪は最優先事項ではなくなったということである。
呪いを解かない、ということは、この関係をまだ続けて良いということだ。私の胸の中で何故か安堵の温かさが広がった。
「本当に呪いにかかったままでいいのか」
「うん、まだこのままがいい」
はじめは早く解けないものかと思っていたが、今はそうではない。
この呪いが彼と繋がっていられる証なら、私は喜んでかかったままでいよう。これからも千田くんの障害にならないように努力するし、精一杯彼の力にもなるつもりだ。
そして椿妃さんに託された彼を『引き留める役』。しっかり果たさねばなるまい。
呪いの相手として、友人として、一人の人間として。
私はまだ彼と繋がっていたいんだ。
「あとで泣きにみるようになっても知らねぇからな」
意地悪そうに笑いながらいう彼に、私は冷静に返した。
「でも千田くんは知らないフリしないでしょう」
「んなっ」
図星なようで彼はおかしな声を出した。それに対し思わず笑みが零れると、千田くんも恥ずかし気に口角をあげる。
ふと一際冷たい微風が髪を揺らした。
違和を感じて周囲に視線を巡らせると、目の前にあった千田くんの姿が消える。同時に彼の悲鳴が鼓膜を刺し、慌てて彼を視界に捉えた。
見覚えのある人影が千田くんを押し倒している。
「うわぁッ離れろ‼」
「すみません、久しい再会でしたので」
「こないだ会ったばっかだろ!!」
低く落ち着いた声。深緑色の軍服に似た服を纏う青年が、上体を起こしながら謝罪の言葉を口にした。
彼は西の吸血鬼・シュークさんだ。
千田くんに命を救ってもらって以来、彼に恋をしているらしい魔女の味方。
彼は常に日陰の中におり、余計表情が分からなくなった。
「お二人が揃っていらっしゃったことは僥倖です。丁度探していましたから」
にこやかに笑うと、彼は胸ポケットから何か長方形のものを取り出した。
それは純白の固い紙の封筒で、中心の赤い印がよく目立っている。
「あなた方宛に『招待状』が届いております」
千田くんが差し出された封筒を受け取る。裏と表を軽く確認すると、顔を上げてシュークさんに詳細の説明を求めた。
彼曰く、それは魔法使いと魔女の交流をするため・更に親睦を深めるために二年に一度開催されるパーティの招待状だそうだ。
魔法使いと魔女はかつて、敵でも味方でもない関係を続けていた。
しかし近年、自身の過激な思想により暴徒の一途を辿っている狩人は魔法省だけでは歯止めが利かなくなってしまい、ついに魔女に飛び火することになった。
魔女と狩人の直接的な戦闘を避けようと尽力していた魔法省は破綻しかけ、魔女狩りは人間界へ進出する。多くの人間を巻き込み、彼らは一気に数を増した。
戦闘を最小限に押しとどめ、彼らの暴走に終止符を打つため、魔法使いも魔女に力を貸すことになったが関係は険悪。両者の間でも諍いは絶えなかった。
それでは戦争の二の舞になると立ち上がった一部の魔法使いが、このパーティの開催を提案したのである。
「会場は当日明かされます。魔法界ではありませんのでご安心を」
彼の手で開かれた招待状にも同じことが書かれている。千田くんは面倒くさそうに顔を顰めて返した。
「参加しねぇ。今まで何度か出席したけど、毎回のように魔狩りしてんじゃん。わざわざ命を差し出してまで行きたくねーよ」
招待状を綺麗に折りたたむと、シュークさんに返却する。
突き出された彼は、きょとんとした顔をしたがすぐに困ったような笑みを浮かべた。
「しかし咲薇様、彼らとの交流は重要ですよ。守りたい人を守りたいのでしょう?」
「……はぁ、わかった参加する。でもどうして泉も名前が書かれてんだ」
名を呼ばれ、反射的に顔を上げるとシュークさんと目が合った。彼は私に一笑すると千田くんの質問に答える。
「呪いのお相手ですからね。繋の呪いは彼らにとっても珍しい呪いですので興味があるのでしょう。それに、共に出向いた方が咲薇様にとって都合がよろしいのではないでしょうか」
「そうだけど、大丈夫か、一緒に行っても」
そう尋ねられて私は逡巡する。
「うん、行く」
「では決まりですね。出席の箇所に丸を書いてください」
シュークさんはにこりと微笑むと、招待状を持つ千田くんにペンを差し出した。彼はそれを受け取り、広げた羊皮紙に円を描く。すると紙が光って何処からか声が聞こえた。
『ご出席いただき有難うございます。咲薇様、聡乃様を心よりお待ちしております』
女性の涼やかな声音が鼓膜をくすぐる。音声が切れると、紙は光るのをやめ静かになった。
「わ、びっくりした」
「にしては全く顔が変わってねーな」
千田くんにそうツッコまれ、私はそうかなと首を傾げさせる。彼は小さく笑ってから視線をシュークさんに向けた。
「お勤めご苦労だった、シューク。引き続き頑張ってくれ」
「ふふ、ありがとうございます。咲薇様とトキノ様のためでしたら如何なることでも」
彼は心底嬉しそうな様子で言い、風と共に霧になって去った。
千田くんは手元に残った招待状を一瞥し、私に視線を向け問う。
「そういやお前、出席すんのはいいけど踊りはできんのか」
わかるはずの言葉に理解が追いつかない。
思わず聞き返すと彼は社交ダンスだと答えた。
そんなの踊ったことがないに決まっている。というかパーティーって、そういうこと?
先程立ち去ったシュークさんに、出席の取り消しをお願いしたくなってしまった。