第十六話 解呪の選択(1)
「繋の呪いを解く方法が分かった」
電話の向こう側にいる泉に、俺は冷静な装いでそう告げた。
夏休みが明けるおよそ一週間前、俺は以前から続けていた解呪の方法をやっとの思いで見つけ出したのだ。
家にある古臭い本の数々を漁り、時に魔法界へ赴き何千もある資料に目を通した。
もとより魔女狩りの魔法は我流のものが多く、正直当てにできる情報は少ない。その中で繋の呪いに類似したものを見つけ、他の情報と照らし合わせた結果、解呪の方法らしきものが導き出されたのである。
だがそれは完全な答えではなく、あくまで俺なりの回答だ。解ける可能性は正直、期待できない。
電話の開口一番に拍子抜けしたらしく、泉は間の抜けた返事をした。
『そう、なんだ』
「どうする、今すぐ解くか」
俺の問いに彼女は沈黙で答える。長いこと考えた末に、泉はこう言った。
『直接相談したい』
・
・
・
学校付近の公園。
今日は不機嫌そうな空模様だ。
待ち合わせ場所に俺が着くと、既に彼女はそこに居た。いつにも増して物憂げな表情で虚空を見ており、思い切り脱力している。声を掛けると、小動物のようにビクリと反応しベンチから立ち上がった。
まだ暑さの残る公園には誰もいない。話し込むのには丁度いい。
「どうして電話で答えなかった」
頭の片隅に引っ掛かっていた疑問を口にすると、泉は俯いて答える。
「どうしてかな、私も分からない」
「ンだよそれ」
まぁいい、今回大事なのはそこではない。
俺は気を取り直して再び彼女に問いかけた。すると泉はばっと顔を上げ、不安そうな声音で質問返しをしてくる。
「千田くんはどうしたい」
それはもちろん解きたい、とは絶対に言えなかった。
出会ったばかりの頃はきっと、問答無用で解呪していたに違いない。しかし今はそんなことさえ頭に思いつかなかった。理由は明白、俺は彼女との関係性を失うことを恐れているのだ。
泉はただの呪いの相手。呪いが解ければそれまでの関係であり、私情を持ち込むことも許されない。何があろうと赤の他人のままでいる。
筈だった。
俺は心を許してしまい、赤の他人どころか彼女に近づきたいと思ってしまった。それに、この間は本人を目の前にしてあんな恥ずかしいことを。
魔女であり常に命を狙われているという自覚が足りなさすぎる、何をやっているんだ俺は。
中々応答しない俺に対して泉は控えめに小首を傾げる。はっと顔を上げ、慌てて答えた。
「お、お前が決めろ。俺はそれに賛同する」
「本当?」
俺の答えに不満があったらしく、間髪入れずに彼女が問いただすように訊く。予想だにしなかった泉の行動に驚きが隠せず、反射的に肯定した。
しかしそれも気に入らなかったようで、もう一度同じように聞き返し顔を近づける。ずいっと距離を詰められ、頭が文字通り真っ白になってしまった。
「な、何だよ急に」
「ごめん、嫌だった?」
軽やかな動きで離れると、彼女は浮かない顔になって俺のことを見つめる。
どこか寂しそうな表情で首元の刻印に触れると、ゆっくり確実に力を込めて押し当てた。俺の首に彼女が感じている触感が襲い、微かな違和感と淡い痛みが走る。
彼女の行動がさっきから理解できない。
何かを伝えようとしているのか、それともやはり俺の回答に不満を抱いているのか。だとしたら何故不満なのだろう。彼女に選択を委ねているのは信頼しているつもりなのだが。
それに、どうして彼女は決断しないのだろうか。
命を狙われずに済むし、解呪ができたら狩人避けの魔法をかけることができる。そうすればこれから先、アイツらの攻撃や災いから逃れることが可能だ。日常生活に戻れる、首の感覚にも気を遣わなくても良い。
だというのに泉は即決せず、むしろ俺の意見を求めた。コイツ、何がしたいんだ?
ふと彼女は強く首を抓った。思っていたより痛く感じ、つい声が出る。
「い、痛いです泉さん」
しかし彼女は手を離すことなく、代わりにこう返事した。
「じゃあ千田くんも触って」
なんて?
抓る力を緩めずにこちらを見つめ返す。そんなにじっと見られたら触るしかないだろ……。
恐る恐る手を伸ばし優しく触れた。今までココには触らないように意識していたものだから、本人を目の前にして触れると緊張してならない。
すると泉は手の力を抜いて、俺と同じように優しく触れた。思わずビクッと体が震え更に緊張の糸が張る。
「変なの」
感情の籠っていない声でぽつりと呟く。俺は視線を迷わす。
「この感覚が恋しくなっちゃいそう」
涼しい風が吹き、肌の表面に滲んでいた汗を冷やす。木々が騒がしく葉を擦らせ鳴き、細い枝をしならせる。
落ちる影に隠れるような彼女の表情を、逃がしたくないと思った。
距離を一気に詰め、自分の首に触れていた手を泉に伸ばす。彼女が触れている手に俺自身の手を重ね、泉の耳元で囁いた。
「恋しくなるなら、いつでも触れてやるけど」
少し顔を離し、彼女の表情を確認する。泉は普段の無表情に取ってつけたような赤面を浮かべていた。
「そんなの恥ずかしい」
「お前さっき似たようなこと自分で言ってたよな」
「それは自分の首だから」
恥ずかしがるところが違いすぎじゃねーか? 格好良いだの何だのと、普通はハードルの高いセリフを平然と言ってのけたクセにこういうのはダメなのか。変なの。
彼女にしては稀有な反応で、俺はどうしてかそれを面白がっていた。
「ははっ可愛いな」
躊躇わずに零れた言葉。これは嘘でも世辞でもない、本当のことを言っただけ。
彼女はあまりの恥ずかしさに顔を向けられず困り切った様子でいる。俺はするりと手を離し、泉からも離れた。
「悪い。からかい過ぎたな」
「許せませんね」
泉が優し気に笑う。
出会ったばかりの頃の彼女は決して見せなかった、その感情を見られて俺は嬉しく思えた。
彼女は笑顔を浮かべたまま、祈るような声音で言う。
「呪いが解けても一緒に居て良いかな」
それはまた命を預けることを承知している、といことである。再び、死ぬ危険のある毎日を送らなくてはいけないかもしれないというのに、どうしてこの人はそこまでしたいのだろうか。
正直それは訊きたかった。
だが訊く勇気がなかった。密かに期待してしまっている自分が馬鹿らしい。
俺は静かに、泉の願いを拒否した。
「ごめん、泉」




