第十五話 好意とは(2)
「泉の表情を崩してみたい」
気が付いたら俺は、そうシンに言っていた。
彼は間抜けな顔になってこちらを見つめ返しし、勢いよく立ち上がった。かと思えば、間髪入れずに俺のネクタイを強く引く。
「気でも触れたか変態魔女」
「んだと黙れメガネ」
売り言葉に買い言葉のようなやり取りの後、シンはネクタイを掴んだ手を放した。
「あんた下心あって泉さんに近づいてんのか?」
「なんか勘違いしてね?」
俺は周りに聴かれないよう、そっと遠回しで言葉の意図を伝えた。
まず前提として、泉は何があろうと無表情である。
理由は分からないが生まれつきそうなのだろう。俺と呪いにかかった時も、多少なりと動揺していたが一般人に比べたら冷静すぎる反応だった。
それからも、襲ってくるのが悪魔だろうが狩人だろうが姉だろうが、取り乱すこと無く平然とあの表情を保ち続けているのだ。最近になって笑う確率が上がってくれたのだが。
その、仮面を付けたような彼女の他の表情を見てみたいと、好奇心からそう感じたのが原因の発言である。
「ほーん、反応ってこと。それならオレも興味あるな。見たことない表情をあげてこう」
シンが乗り気になってくれたようで、そう返してくれた。
見たことない表情。声を上げて笑ったり、驚いたりしたのはないな。怒る、泣く、のも見てみたいが彼女のストレスになるようなことはしたくない。
あとは、と言おうとシンに視線を向けると、彼はニヤニヤと不快な笑顔を浮かべて言った。
「えっちな顔とか?」
「死ぬ覚悟は出来てるみたいだなシン」
一瞬の間も置かずに、今度は俺が彼の胸ぐらを掴む。彼は悪びれる素振りもなく、へらっ笑って言った。
「落ち着けって、事実だろ!」
「何を根拠にンなこと」
「考えてみろよ、泉さんのそういう顔興味ないのか?」
無いと言ったら嘘になる。が、今はそれが最優先事項ではない。
解放してやるとシンは、何か妙案が浮かんだらしく目を見開いて、両手をパチンと叩いた。
「泣き顔見る方法、思いついた」
あまり期待はしたくないなと思いつつ、彼はニコニコ笑って作戦を話した。
*
放課後。
シンの考えた作戦とは、感動する動画を見せて泉さんの涙腺崩壊作戦、という名前から既に崩壊していそうなものだ。
作戦名の通り泉に感動的な動画を見せて泣かせる、というもので、かなり良心が痛む。
どんな理由であれ、女子を泣かせようとする男子二人組とは如何なものだろうか。ちょっとどころか、かなり申し訳ない。
シンは適当な理由をつけて、帰宅途中にある公園に寄らせることを成功させる。泉は不思議そうにしつつ後を追う。
夏の終盤が照る夕暮れ。
日陰に集まり、彼は自分のスマホを取り出した。
見せたい動画があるんだと言いながら、彼は慣れた手付きで動画を開く。画面が横になったスマホを彼女を手渡し、再生させた。
何を見せられるのかと戸惑いながら、泉は目の前の映像をただ見つめる。
動画の内容は、事故で下半身を失った子猫の短い一生をまとめたものだった。
人間の言葉での説明はなく、ただ字幕が静かに流れていく。たまに聞こえる子猫の鳴き声が、とても愛らしい。
動画を見ていて、彼女は子猫の様子に時折笑みを溢した。目を細めたり、微笑んだりするその反応に、思わず俺の口角も上がってしまう。
動画が終盤に差し掛かった。
切ないBGMが流れ始め、子猫の容態が急変する。必死にまだ生きようと瞳を開け、か弱く鳴いていた。
悔しいが、俺も目頭が熱くなっている。
この手の動画は大体がお涙頂戴だ。そんなこと分かっている、分かっているが、動物モノは弱い。
画面が暗くなり、終わりを告げる。
俺は顔を上げると、隣で大号泣しているシンが目に入った。眼鏡を外して、自前のハンカチがぐしょぐしょになってしまうほど泣いている。
「そ、そんなに泣くほどか?」
「これ観るといつも泣くんだよ、むしろ何故泣かないのかが分からん……ゔっ」
通常の彼と違って、文句の切れ味が劣っている。まぁお陰で涙が引っ込んだからいいか。
ふと、スマホを持ったまま静止する彼女に視線を遣る。俯いていてピクリとも動かない。
「泉、大丈夫か」
俺の言葉でやっと意識が戻ってきたらしく、ゆっくりと面を上げた。ふわりとショートヘアの髪を揺らし、こちらに向けた顔には。
「え、あ、ごめん、大丈夫」
いつものあの無表情に、取って付けたような涙が頬を伝っていた。それもかなりの量。その表情があまりにも新鮮だった。
ってンなこと思ってる場合じゃねぇ! コイツ号泣してるぞ!?
俺もシンも勢いよく立ち上がり、彼女の正面に回る。俺はハンカチを取り出し、邪魔する泉の髪を彼女の耳にかけた。
膝を付き、顔を覗き込む。そっと布を頬に当てようと手を伸ばすと、彼女は目を瞑った。頬を撫でるも、抵抗するような素振りは見せず、むしろ力を抜いて俺に身を委ねる。
途端に緊張の波が押し寄せ、ぎこちなく手を動かした。コイツ、もしかしてわざと俺に拭かせてる?
手を離すと、彼女はいつもの無表情になってそこに居た。少しばかり頬を赤くして。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
呟いた後、泉の小さな笑みを浮かべた。
それを見て一気に胸が安堵に包まれる。傷つけたのかと、不安になってしまった。
「ごめんね泉さん!! ま、まさかこんなに泣くなんて思ってなくって!!」
そこへ酷く取り乱したシンが突撃してきた。泉は無表情に戻り、彼を安心させるような口調で優しく言う。
「ううん。私もこんなに泣くんだってびっくりしちゃった」
いい話だったねと動画の感想まで述べると、シンは更に後ろめたくなったらしく、その場で土下座するのだった。
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どうして私にその動画を見せたかったのかが、よく分からないまま林田くんと別れてしまった。でもそこまで重要なことではないから良いかと、私は考えるのをやめる。
帰路を辿っている最中、千田くんは腕を組んだまま歩いていた。
「近くに狩人の気配でもするの?」
そう問うと彼は少し目を見開き、驚いた顔をしてこちらを見た。
「どうして分かった」
「それ、千田くんの癖だから」
私くらいしか知らない、貴方の癖だから。
それは言わずにそっと胸に閉じ込める。彼は無意識だったと呟いて、腕組みを解いた。
何気なく、今朝の会話が脳裏をよぎる。
よく知らない千田くんのことが好き過ぎる、と言っていた女子たちに対して感じていたものが分かった気がする。
そしてなんとなく、この魔女に抱いている感情の正体も。
「ねぇ千田くん」「なに」
歩幅を合わせて歩いてくれる彼は、ちらりとこちらに目を遣った。私は臆病者だから、今は目を合わせられないけれど。
「あまり他の子に余所見しないで」
「は? 何それ」
分かってくれなくても良い。今この時は直接的な意味で伝えられない。
「……から」
わざと聴こえない声で言う。困った表情をした魔女は聞き返したが、私は何でもないと誤魔化した。
私が嫉妬してしまいそうだから。
この言葉を伝えるのには、もう少し掛かりそうだ。