第十二話 魔女の姉(3)
『えー! デート⁉』
柔らかそうな猫耳を真っすぐ立たせ、悪魔は心底羨ましそうな声を上げた。
帰宅途中、突如として現れた自分の姉に呪いの相手を攫われしまい一人で自宅に着いた俺は、子猫の状態の悪魔にそれを話している。
デートがどうのこうのより、俺は姉ちゃんが変な気を起こさないかで不安だ。彼女は初対面でも構わず抱きしめに行くほどのコミュ力の持ち主だから、泉のことが気掛かりでしかない。
一方ハルデは床に寝転がり、じたばたと手足を動かし駄々をこねている。
『ぼくも行きたかった! 今からでも遅くないよね!』
「何言ってんだバカ、邪魔する訳にもいかねぇだろ」
『大丈夫! 女の子に化ければいいんでしょ!』
そう言うと悪魔は、俺の目線ほどまで床から高く跳ねた。ジャンプの最高到達点に着くと、前方に一回転し一瞬で姿を変える。
音も立てずに着地する頃には、既に一人の女子高生が立っていた。
見た目は悪魔の姿と大差ないが、髪は長くなっており後頭部で一つに結ばれている。頭上の猫耳は隠しきれておらず、側頭部の髪が跳ねているように見えた。すらっとしたシルエットが纏うのは泉と同じ制服で、気のせいだと思うが異様に胸が大きくなっている。
「よし!」
「何も良くないが」
何故か自信満々で外に出ようとした彼を止める。どんなに見た目が可愛らしくなっても、彼女たちの交流を邪魔してはいけないのに変わりはない。
確かに姉たちが何を話しているかは気になる。
だが一時的な好奇心のためだけに彼女らの信頼を水の泡にするのは嫌だ。それに、女子の会話を盗み聞きする趣味など俺にはない。
「えーそしたら、ぼくだけ行くよ」
鈴のような可愛らしい声音になったハルデが提案するも、俺は「そういう問題ではない」とばっさり切ってやった。
テーブルに置いていたスマホが震える。
すぐさま手に取ると、画面には彼女の名前が表示されていた。
「もしもし」
『あ、千田くん。今終わったから、迎えお願いしていいかな』
落ち着く、丸みのある聞き慣れた声。
泉の抑揚のない声音が鼓膜をくすぐると、俺はすぐさま返事した。彼女は優し気に「よろしくね」と返し、電話を切る。その後少しだけ意味もなく、ぼうっとしていた。
「ガキ魔女ー? 女の子のこと待たせちゃダメでしょ、ほら行くよ!」
「ちょっ、引っ張るなっ」
ハルデに手を掴まれ、転びかけそうになりながら彼女を迎えに行った。
*
「お、来た! って誰だ」
言われた喫茶店の出口には、長い茶髪の姉と無表情な泉が並んで待っていた。二人は俺の隣を歩く女子高生を見て、揃って首を傾げる。
彼女たちの前に立つと、さらに不思議そうな顔をした。
「もしかしてハルデ?」
「さすがときのちゃん! 大当たり!」
自分の正体に気付いてもらえて嬉しいらしく、ハルデは跳ねて彼女に飛びつく。俺が軽く説明してやると、二人は納得したような表情になった。
すると姉ちゃんが両手を叩き、ぱっと笑顔になって提案する。
「そうだ、折角その姿になったなら私とお茶してかない? アナタには聞いておきたいことが山ほどあるの」
「行く行く! 行きたい!」
お茶という単語を耳にすると、ハルデは隠していたつもりであろう猫耳を垂直に立たせた。おい、人がいないからって気を抜きすぎじゃないか。
そんな成り行きで、姉は悪魔を連れてカフェをハシゴすることにし、俺は泉を家にまで送ることとなった。
いつものように彼女を先に歩かせようと、一歩下がる。しかし泉は一向に歩き出そうとしないため、不審に思って視線を向けた。
「どうかしたか」
「えっと、今日から隣に立ちたいなって思って」
予想だにしなかった彼女の言葉に、思わず目を見開く。泉は俯き、上目遣いになってこちらを見てきた。
な、何を血迷っているんだコイツはッ……⁉ 姉ちゃんに何か悪いことでも吹き込まれたのか? それとも約束を諦めたのか? どちらにせよ、今どう答えれば正解なんだ?
脳内で緊急会議を開きかけたところで、泉が冷静な口調で理由を説明した。
「あの約束、私は守れる気がしなくて。だから赤の他人はもう辞めにしたいの。だめ、かな」
今度はしっかりと目を見て言い、真剣そうな顔で言う。俺は一旦落ち着きを取り戻し、見つめ返した。
あの約束。
俺と関わったために命を狙われることになった彼女に、以前と変わらない毎日を送ってほしいことから提案した約束。
本来ならば、彼女は俺と交わることなく生きる筈だった。だから俺と関係を持っていない状態に近い日々を送らせるつもりだったのだ。
しかし実際、俺は彼女に心を奪われ、彼女もまた俺に近づこうとしている状況になっている。
確かに、俺も約束を守れる気がしねーな。
俺は自然と上がった口角に気が付かない振りをして、泉の願いを聞き入れた。
「わかった。ただし噂されても、勘違いされても文句言うんじゃねぇぞ」
嫌味で言ったつもりだった。しかし彼女は、表情を変えることなく平然と言ってのける。
「私、貴方となら勘違いされてもいいけど」
一瞬にして頬が赤く染まり、熱を帯び始める。耳までもが発火したように熱くなってしまった。
コイツ正気か……⁉ いやただの天然? もしや俺で遊んでいるのか? 表情が無いから読めないし分からない。本気で言っていると思えなくもないが、もし本気だったとしたら俺の頭が文字通りパンクしてしまう。
「大丈夫? 顔、真っ赤だよ」
無表情のまま心配そうに覗き込む彼女から耐えられず、俺は顔を背けた。近づこうとする泉を片手で制し、気持ちが声に滲み出てしまわないようにと声を出す。
「あ、暑いだけだ。見ないでくれ……」
「そうなの、ごめんね」
彼女が離れたことを察してから体勢を整えた。
ふと、下を向く泉の表情が視界に入る。
悪いと思いつつ少しだけ横目で確認すると、彼女は珍しく感情を表に出していた。
嬉しそうに微笑みながらも、頬をほんのり赤らめさせていたのだった。