第十二話 魔女の姉(2)
「咲薇の、私たちの母親は生きているの」
「……え?」
目を思わず丸くし、その後の話を黙って聞いた。
「父は本当に亡くなったけれど、母はまだ生きている。でも咲薇が死んだといったのは、あの子の中の母親。咲薇の知ってる母は、もういないの」
彼女の話によると彼が幼い頃、彼の母親は魔女狩りによって洗脳され、魔女の狩人になった。
元から、魔力の強さに波がある家系だった千田家――元の名・シュレイア家は昔、魔女戦争の時に仲間を裏切ったそうだ。裏切った詳しい理由は不明だが、一抜けして戦火から逃れた一族は総じて『抜け駆け魔女』と呼ばれることになる。
戦後、生き残った魔女と狩人の蟠りが解けぬまま平穏な世界に突入し数十年。度々起こる狩人との争いから身を守るため、魔女は一度団結を取った。しかしシュレイア家は他の魔女たちから距離を置かれ、酷い仕打ちを受けたそうだ。
孤立を余儀なくされた彼らに近づいたのは、敵である狩人だった。
「母はまんまと騙され、洗脳されて父を殺した。『私たち一族は異端な生き物だ』と叫んでは、咲薇や私をも殺そうとしたの」
娘や息子を殺そうとしたその時、彼は痛感したのだろう。自分の母親は魔女狩りで狩られ、死んでしまったと。
そんな狂った母親を止めたのは、シュレイア家の契約悪魔であるハルデだったらしい。
彼は子供たちを守り自ら契約を無理に切って母親の魔力を一時的に奪い取ったそうだが、彼にかかった負荷は大きなものだった。
契約した悪魔にとって、契約者である魔女の家系は自分の命と同様。自殺行為に値する彼女の行動は、止めなくてはいけないため止むを得ないことだった。その代償としてハルデは莫大な魔力を独りで抑えられず、暴走の一歩手前に立つことになる。
そこで千田くんが自分と契りを交わすように言ったそうだ。自ら、魔女として生きることを選ぶことにした。
これが彼の原点。
彼の存在理由だと、椿妃さんは言った。
「分かって、くれたかしら」
力なく口角を上げる彼女を見て、私は喉につっかえたものが取れた。彼の戦う理由が罪の償いと仇討ちということが判明して、納得した自分がいる。彼ならやり兼ねないとも思えた。
ただ不安なのは、彼の辿り着く先が母親を殺すことになってしまわないか、ということ。
千田くんの魔女狩りへの怒りや憎悪は並々ならぬもので、加減が分からなくなってしまう時が垣間見える。たしか子供の狩人だろうが容赦はしないとも言っていたはずだ。
どんなに憎い相手でも、親は殺してはいけない。私はそう思っている。でも私は殺意が湧くほど他人を憎んだことがないから、彼の気持ちを端から端までは理解できない。
それが、どれほど高い壁であるか。
「聡乃ちゃん、前言えなかったお願いがあるの」
無意識のうちに項垂れていた面を上げる。彼女は困ったように眉根を寄せていた。
「咲薇の傍にいてあげて。私は経済面でしかあの子を支えられない、踏み誤った時にあの手を引き留められない」
こんな姉じゃダメよね、と笑う椿妃さんは綺麗な瞳を細める。
私は迷わずに応えた。
「千田くんのことなら、できる限り傍にいるようにします。それと、椿妃さんは本当に優しくて……ダメなお姉さんなんかじゃありません」
その言葉に彼女は目を丸くしたが、構わず続ける。
「私はまだ全然、彼について知りません。だから椿妃さんが教えてくれませんか、ご迷惑でなければ」
「ふっありがとう。そんなこと言ってくれる子なんて、アナタだけね。もちろん咲薇のことなら何でも聞いてちょうだい」
あたたかな笑顔を浮かべ、彼女は優しく言う。私もつられて、いつの間にか表情を緩めていた。
その後は椿妃さん自身のことも教えてくださった。
魔力が弱すぎるため、私と千田くんの首元に刻まれている呪いや悪魔の姿のハルデが見えないこと。
彼があまりにも報告しないから、知らないうちに彼が吸血鬼と関係を持つことになっていたこと。
今でも時々、狩人に襲われること。
彼女は包み隠さず話した。
あぁ、椿妃さんは私に心を許してくださっているのだな。
心の中にある空っぽの小瓶に、音を立ててその言葉が入り込む。嬉しい、のかもしれない。誰かに信頼されて、心を通わせるということができて。
私は生きている中、家族以外で誰かに極端な感情を露わにしたことがない。他人の前で表情を変えるのが、どうも怖かったからできなかった。
いつも無表情な私に自ら歩み寄ってくれたこの人は、心の底から信じていい人だと確信できる。
「じゃあ、これからも私とあの子をよろしくね、聡乃ちゃん」
右手をテーブル越しに差し出される。
「はい、こちらこそ」
私は照れながら、魔女の姉と握手を交わした。