第十二話 魔女の姉(1)
「お願い聡乃ちゃん! 私とデートして!」
帰宅途中の私に、そう言って頭を下げてきたのは千田くんの姉・椿妃さんだった。
「えっと、どういった思惑で?」
「思惑も何もそのまんまの意味! お願い! 今から!」
「今からですか」
期末考査を終えた私は、昼間の明るい帰路を辿っていた。勿論、後ろには千田くんがいる。突拍子もないことを言い出した自分の姉に、彼はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「姉ちゃん、まさかじゃないと思うけど今日の仕事休んだ理由って」
「聡乃ちゃんとデートに行くためよ!」
「大の大人が何してんだよ」
呆れすぎてもう言葉も出ない千田くんに、椿妃さんは可愛らしく怒ったような表情になった。
彼女は時々、心の成長が子供のままで止まっているような言動をする。大人な女性の見た目とは裏腹に、はしゃぎ声をよく出して笑っていた。弟である千田くんの方が、時折大人な対応をする。
数分の相談の後、結局千田くんをおいて椿妃さんと(彼女曰く)デートに行くことになった。なんかごめんね、千田くん。
荷物はあってないような物のため、このまま真っ直ぐカフェに向かった。ここらでは珍しい、古い純喫茶だ。
店内は思いの外、空いていたため待つことなく席に着くことができた。彼女はコーヒーを、私はアイスティーを注文する。
「咲薇とは上手くやってる?」
テーブルに両肘を付き、彼女は穏やかに尋ねてきた。
先程の子供っぽさから一転し、大人の余裕さを感じさせる雰囲気だ。艶やかな長髪が店内の照明を綺麗に反射している。
私は逡巡した後、こう答えた。
「上手く、やっているのか分からないですが、彼には助けられてばかりです」
「それがあの子の仕事だもん、当たり前よ」
優しく微笑む椿妃さんは安心したように返した。
ふと、私は心に引っかかる悩みを口にする。「このまま赤の他人でいられることができるのだろうか」と。
それは以前から心中で濁っていた澱。彼と共に過ごす時間を重ねる度、彼のことについて知る度、澱は量を増して私の心をどんどん不透明にする。
はじめの、あの約束を守ることができなくなっているような気がして仕方なかった。
しかし、千田くんが昼食を一緒に食べてもいいと言った時はひどく驚いたものだ。約束を自ら破るような言動には戸惑わずにはいられなかった。彼はそれで良いと思ったからした言動だったのだろうが、私は引っかかりを覚えたままで今に至る。
私はどうしたいのか、分からない。
千田くんといっそ仲良くなってしまえば良いのか、このまま微妙な関係を続ける方が良いのか。それらが正解なのかも分からない。
一気に吐き出すと、向かいに座る椿妃さんは笑みを浮かべたまま言った。
「少なくとも、あの子は聡乃ちゃんに近づきたいと思っている筈よ」
彼女の言葉に私は、ぽかんとして返すことができなかった。彼が、私に? どうして?
俄かには信じられない言葉を何度も咀嚼するが、一向に私は嚙み砕けなかった。脳裏によぎるのは、口の悪い物言いで注意してくる彼や苦しそうに戦う彼ばかりだ。
「アナタにはまだ理解できないかもしれないわね。でもいつか必ず分かるわ、咲薇の気持ちが」
その言葉の意味を、今の私はやはり飲み込めなかった。
注文した品物がテーブルを彩ると、少しだけ空気が和んだ気がする。冷えたグラスに揺れるアイスティーは透き通り、半透明の氷が照明に照らされキラリと輝く。夏の匂いがした。
「今日、聡乃ちゃんをデートに誘ったのは理由があってね……私たちの両親について、家系について話しておかなくちゃいけないことがあるの」
和やかな笑顔が消え、彼女の表情は神妙なものになる。アイスティーを一口含んだ後、私もしっかり椿妃さんの目を見た。
千田くんの両親といえば、彼が幼い頃に魔女狩りによって殺されてしまったということくらいしか知らない。それに亡くなったショックからなのか、彼はあまり話したがらなかった。
家系について知っていることは一度、彼が『抜け駆け魔女の末裔』と狩人に言われていたことくらいだ。その意味はよく分からなかったが、何か昔にあったのかもしれない。
数秒の沈黙。彼女は意を決したように重い口を開けた。
「咲薇の、私たちの母親は生きているの」
「……え?」




